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第十話 偽物の足跡

 =仮想世界013の‥‥失敗した世界なんだよ=

 廃墟に現れた唯一の生き物‥‥謎の鳥は自分を、元管理局の監視官と名乗っていた。そしてここが仮想世界013の失敗した世界だと。リシャンはその言葉を心の中で反芻する。

 あの時、歪みは発生した。だが、世界全体を壊す程の力はなかったはずだ。せいぜい、一区画程。湾岸地域の数キロ範囲。所が実際は少なくとも都市一つ程度は半壊しているようだ。

「‥‥‥‥」

 全壊はしていない。もしそうなれば、この空間そのものが消えてなくなる。まだこうして空間内を移動出来ている事から、完全に崩壊したわけではない事が分かる。

 だが、この元監視官を名乗る鳥が嘘を言っている可能性もある。言う事を完全にうのみにする事は出来ない。聞きたい事は山のようにあるが、少しづつ話を聞きだし、一つずつ検証していくのが安全だ。

「‥‥‥‥」

 リシャンは黙ってドームの端まで歩いていく。鳥がその後をついてきた。

 =何だ、黙ってどこかへ行くつもりか?=

「‥‥別に、落ち着く所を探してただけ」

 だだっ広いマウンド上では声も聞き取りにくい。とりあえず野球?選手の待合室らしき所まで行って硬いベンチに座った。

 =マイペースな奴だな? 見た所、エージェントのようだが、あまりシャオティンとは似ていないな=

「そう言えば、シャオティンを知ってるのね」

 =まあ、俺は、もともとシャオティンの担当だったからな=

「じゃあ、あなたは‥‥」

 =あなた‥‥ではない、俺の事はレイブンと呼んでもらおうか=

「‥‥‥‥」

 会話が面倒に感じたリシャンは、ため息をつきながら頬杖をついた。

 危惧すべき点がまだある。そもそも今のこの空間自体がシャオティンの作り出した幻という可能性もある。あの状態でシャオティンが無事であるとも思えないが、それすらも幻影だったのかもしれない。そう考えていくと、何が正しいのか分からなくなってくる。

 とにかく、現状、情報は何もない。何者かの思惑があるにせよ、ここで停滞しているよりは話を進めた方が良さそうだ。

「ここが013って‥‥あな‥‥レイブンは言ってたよね」

 =うむ=

「私の知ってる013とはかけ離れてるんだけど?」

 =もちろんそう見えるだろう。お前の‥‥ええと、名前は何という?=

「リシャン」

 =おお、リシャンか。そう‥‥リシャンのいた世界とこことは別なのだからな。おお、いい名前だな=

「‥‥‥‥別」

 鳥‥‥レイブンの言い方が面倒臭く感じたリシャンは、言葉を多く発しない。

 =さっきも言った通り、ここは失敗した世界=

「‥‥‥‥」

 =そしてリシャンがいた所は実行中の世界だ=

「‥‥‥‥」

 つまりここは別世界という事だった。

「良かった、じゃあ私のいた013は無事なんだ。‥‥で、どうやったら帰れるの?」

 =呆れた奴だな。他に聞く事があるだろう=

「今はまあいいかな。私は早く帰りたいの」

 もちろん理由を知りたいと思っている。それ以上に、一刻も早く元の世界に戻って安否を確かめたいという気持ちが強かった。

 =なるほどな、ただの管理局のいぬではないようだ‥‥逆に聞きたいが、リシャンは知らないのか?=

「知るわけないでしょ」

 =‥‥‥‥だったら、なぜ、シャオティンはお前をこっちによこしたんだ?‥‥意味がないではないか=

「‥‥‥‥」

 =では手っ取り早くその問いに答えるが、ここからの出口はない‥‥と、言うか知らん=

「ない⁈」

 =正確に言うなら、あるけど不可能という事だ、そして出来たとしても、やめた方がいい方法ならある。それ以外は知らないが、もしかしたらお前が知っているのかと‥‥=

「‥‥もう!」

 回りくどい言い方に、すっかりと腹が立ったリシャンは、レイブンの首を絞める。

 =な‥‥何をする!=

「知ってるなら、その方法を教えなさいって!」

 =だ、だから話を聞いてたのか? 俺はやめろと=

「ここから戻れるなら、何だっていいのよ」

 =わ‥‥分かったから離してくれ!=

「‥‥‥‥」

 リシャンが手を離すと、レイブンは大袈裟に咳込んで見せた。

 =何なんだお前は! 本当にエージェントなのか?‥‥シャオティンはそんな乱暴な事は‥‥=

「‥‥‥‥」

 =わ、分かった! 分かったって!=

 リシャンが睨むと、レイブンは人間のように咳払いしてから話しだす。

 =あー、つまりだ。その方法を説明するには、この二つの世界の説明からしなければならない。それでいいか?=

「‥‥‥‥」

 リシャンは黙って頷く。

 =この013が本来の013だったが、普通に順調に運営されていたんだが、だんだんと連続性バグ‥‥歪みが広がってきてどうにもならなり、管理局はこの013放置を決定した=

「‥‥そんな話、聞いた事ないけど?」

 =それはそうだろう。世界の全てのAIや、そこに接続しているアバター‥‥人間ごと消したんだからな。情報漏洩の防止という点では完璧だ。全ての罪はテロリストになすりつければいい=

「‥‥‥‥でも、そんな事になったら、リアルの人間の家族や関係者は分かるんじゃ‥‥」

 =ほう、統合政府がそんなに個々人に対応してくれると思うのか? 何か言ってきたら揉み消されて終わりだ=

「‥‥‥‥」

 =だが、この仮想世界計画は終わらないし、この013という二十一世紀前後の時代の世界が政府にはどうしても必要だったらしい。‥‥なので、新たに別の013が作られた。それが、リシャン‥‥お前のいた世界だ=

「‥‥‥‥」

 リシャンはドームから外に出た。

 ビル街の景色はいつも見てきた。人混みの中からも、誰もたどり着けない空の上からも。

 騒がしいだけの人の波も、夜空に変わって輝く、ビルの明かりも、それが永遠に続くものだと思っていた。

 そんなわけがなかった。始まりがあれば、いつか終わりも来る。そんな事は分かっていたはずなのに、それが現実として直面すると、心を鷲づかみにされている感じがした。

「‥‥‥‥」

 足元のアスフェルトがヒビ割れており、隙間から植物が生えてきている。まだ、その辺のプログラムは機能しているようだ。見上げれば、ビルが折れて倒れているのもある。時間の経過というプログラムだけは実行されているようだ。どこからか吹いてくる風は埃っぽく、人々の生活の残滓のような紙切れが宙を舞っていた。

「なぜ管理局はここを残したの?」

 そんな都合の悪いものなら消してしまう方がいいと考えるのが普通だ。

 =さあ、統合政府の真意なぞ、底辺の監視官ごときでは分からん=

「‥‥そう」

 リシャンはいつものように足元の石を蹴った。

「そもそもあなたは何? 何で監視官が残ってるの? シャオティンはここにいたの?」

 =それは‥‥その‥‥何だ‥‥=

 レイブンはどもる。

 =この世界のエージェントとしてシャオティンが当たっていた。そして俺は彼女の監視官だった=

「‥‥シャオティン」

 名前を繰り返す。

 =シャオティンは、崩壊を食い止めようと尽力したが出来なかった。最後まで崩壊するこの世界にとどまり、彼女は自分の身体と切り離されてしまった‥‥=

「ちょっと待って! シャオティンは人間じゃなくてAIじゃなかったの⁈」

 =‥‥そんな管理局の戯言を信じるのか?=

「それは‥‥」

 =人間だよ。現実では生まれつき機械の補助なしでは生きられないがな。それはリシャンも同じなんじゃないのか?=

「‥‥‥‥まあね」

 =それなら、今のお前もシャオティンと同じ状態だ=

「‥‥‥‥私も身体と切り離されてしまったって事?」

 =そうだ=

「‥‥‥‥‥‥」

 一気に話を聞いたせいで、リシャンは頭が痛くなりそうだった。

 気分を変える為に、その辺を適当に歩いてみる。

 商店街の店はほとんどの窓が割れている。

 布を売っているこの店は、今では誰も買う人がいないのに、そのまま服が飾られている。

 信号機も全てが止まり、折れているものは店に倒れて壁を壊していた。あと何年、何十年かすれば、更に風化が進み、面影もやがて消えていくのだろう。

「‥‥‥‥‥‥」

 そもそもレイブンの言う事が本当なのか?

 何を信じればいいのだろう。

「‥‥‥‥」

 バサっとクロウよりも大きな音をたてて、鷲が下りてきた。

 =待て、話の途中で何処に行く?=

「‥‥‥‥うるさいな」

 =全く‥‥まあいい‥‥そういうわけでシャオティンはスタンドアローンとしてここに存在する事になった=

「あなたはどうなの?」

 =俺は一緒に取り残された、ただのAIだ。監視官ではあったけどな。最近は違うのか?=

「‥‥‥‥」

 もしかしたら、クロウも連絡端末とは言っていたが本当はAIだったのだろうか。

 =ここが崩壊してからシャオティンと俺はここから出る手段を探し続けた。あの世間知らずだった嬢ちゃんには辛い事だったろうな=

「世間知らずのお嬢さん? シャオティンが? そんな人には見えなかったけど?」

 =フフ‥‥お前さんより、ずっと可憐で素直だった‥‥っと=

「‥‥‥‥」

 リシャンの目に怒りの光が走った事で、レイブンは途中で止めた。

 =それで向こうでシャオティンには会ったんだろ?=

「‥‥まあ、一応ね」

 =そうか‥‥では、無事に身体と繋がる事が出来たんだな=

「‥‥‥‥」

 リシャンは唇を噛みしめる。

 レイブンが言っているシャオティンと、外で会った彼女とは色々と食い違っている。

 何が彼女をそうさせたのだろうか。

「そんな事より!」

 シャオティンが送ってきたからには、自分に何かしらの脱出策があると考えていたのだとは思うが、何も思い浮かばない。そう考えているうちにまたレイブンへの怒りの気持ちが沸き起こってきた。

「そもそも、どうして私がここに飛ばされなきゃならないのよ!」

 リシャンは再びレイブンの首を締めた。

 =待て! 早まるな!=

「色々、言ってるけど、結局、あなたがここから脱出する為に、私を利用しようとしただけでしょ!」

 =うぐ‥‥違う!=

「その、あなたが知ってる、脱出の方法を教えなさい! 早く!」

 =わ、分かった‥‥分かったから、離してくれ=

 手を離すと、レイブンはすぐにリシャンから距離を取った。

 =‥‥むう‥‥エージェントも下品になったものだ‥‥=

「‥‥で?」

 =‥‥仕方ない=

 レイブンは諦めてため息をついた。

 =この都市の中央に、高いタワーが建っているんだが、そこの真上にフレームが抜けている場所がある。そこの隙間を広げれば脱出する事は可能だ=

「何だ、簡単じゃない」

 リシャンは塔のある方向に顔を向ける。常に薄暗いこの世界でははっきりとは見えないが、確かにあの場所に、都市のシンボルとしてのタワーがあった。

「じゃ、行こう」

 =待て、待て!=

 走り出そうとしたリシャンを、レイブンは前に出て止めた。

「何?」

 =全く‥‥お前という奴はどうしてそんなのだ‥‥=

「‥‥‥‥フフ」

 =?‥‥何か面白い事を言ったか?=

「別に。何か言い方が誰かに似てたなって」

 =‥‥そうか=

 レイブンは首を傾げる。

 =言っておくが、塔の周辺は管理局が強力なアンチウイルスプログラムを配置している。突破は困難だぞ=

「私はウイルス?‥‥でも了解」

 =‥‥最後に一つだけ言っておく事がある=

「まだ何かあるの?」

 =身体とのリンクが切れた事は管理局でも把握している。すぐに新しいアバターを作って、体とリンクさせるだろうな=

「‥‥‥‥それって」

 =既にエージェントとしてのリシャンは元の013に存在していると思われる=

「‥‥‥‥」

 =そこのリシャンとは別にな=

「‥‥‥‥」

 リシャンは走ろうとしていた足を止めた。

 既に私が本来の013に存在しているなら、今の私は何なのだろうか。

 しかも、実際に身体と繋がっているのは向こうだ。

 =実際に対峙した時‥‥お前はどうする?=

「‥‥‥‥」

 =その覚悟が出来ないのなら‥‥ここで刻を過ごす方が賢明だ。なので‥‥出口はあっても、ないのと同じだ=

「‥‥‥‥」

 今の自分はAIで、向こうは人間が操作するアバター‥‥テロリストが人間ではない偽物と呼んでいるのはこの自分の方だ。

「‥‥‥偽物‥‥‥私が?」

 手のひらを見つめる。

 鎌を振るっていた時、猫を撫でていた時、外で弁当を食べていた時‥‥その時の手と何も変わらない。同じ小さな白い手がここにあり、その手は、迷いの中にいる自分の頭とも繋がっている。

 それが偽物だと言うなら、今まで向き合ってきた全てが偽物だという事になる。

 でも、その記憶は013の自分も持っている。

 その場合、淘汰されるとすれば、やはり、今、こうしている自分なのかもしれない。

 そう考えたリシャンは、足を踏み出す事が出来なかった。



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