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第九話 箱庭の影

「フフフ‥‥あは‥‥旧タイプには負けないからね、先輩!」

「‥‥‥‥」

 鎌の回転を止めて、笑いながらシャオティンに鎌の刃を向ける。

 シャオティンは少しだけアゴを引いて黙ってリシャンを見つめた。

「あなたにとって私と戦う意味は何? 任務だから?」

「それは違うかもね」

 リシャンは鎌の柄を肩で担ぐ。

「‥‥では何の為?」

「私がそうしたいから」

「‥‥‥‥」

 シャオティンは眉をひそめる。

「それなら、あなたの意味は自分の愉悦の為だと?」

「まあ、それでも構わない」

 低姿勢に鎌を持ち、話しながらも少しづつ距離を詰めていく。

「つまりは‥‥」

 倒れる直前まで前傾して、その勢いでシャオティンの正面まで近づいた。

「あんたが大っ嫌いって事!」

「それは良かった、それなら意味があるから」

「何を!」

 シャオティンの首を狙って大きく横から振る。

「‥‥」

 シャオティンは笛で受け止めようとしたが、勢いを殺しきれずに足元の地面に突き刺さる。

「‥‥いける!」

 前回戦った時、壁を叩いているようで、こちらの攻撃は全く届かなかった。だが今は全く違っていた。

「‥‥‥‥」

 リシャンの瞳が光る。

 シャオティンの動きの一挙手一投足が、コマ送りのように見える。笛の先端で突きをいれてきたシャオティンの攻撃は、水の中で振っている棒のように、かわすのは簡単だった。

「これが‥‥」

 抜き手をしてきたシャオティンの手を膝と肘で挟んで止める。身動きの取れなくなったシャオティンに向けて、鎌の柄の先端でシャオティンの脇腹をついた。

 突かれた彼女は、着ている服をなびかせながら地面に転がった。

「‥‥‥‥」

 シャオティンは立ち上がって笛を構えた。

 =リシャン、今のそのステータスは一時的な貸与ですから。あまり乱雑には使わないでください。その力そのものが歪みの元になってしまいます=

「分かってる」

 シャオティンは真っ直ぐにリシャンを見ている。攻撃は命中したはずだったが、全くその痕跡が見られない。

「なかなかタフなのね」

「‥‥‥‥」

 表情の無かったシャオティンが僅かに口の端を上にあげた。

「‥‥‥‥ムカつく奴ね」

 鎌の刃が朱色から赤、深紅へと変わっていき、刃から炎が上がる。その炎は刃の部位を飛び出し、炎だけで巨大な刃を形作った。

 その刃の色が赤から白へと移っていった。

 =リシャン!‥‥それ以上は‥‥=

「次で決める!」

 鎌を真上に上げる。既に吹き飛んでいた天井から、空に向けて白い光の柱が昇った。

「‥‥‥‥お前は‥‥」

 振り下ろすまで、時間的には僅かなものだったが、その中でこの仮想世界で今まで出会ってきた様々な人々、AI‥‥‥彼らの人生での想いや行動が思い浮かんでは消えていく。 

 もちろん、その全てを理解していたなどと思うほど、リシャンは傲慢ではない。だが、その心の欠片は拾い上げてきたつもりではいた。

 この仮想世界は、そんな人々、まで出会っていない人々、そしてこれからも出会う事のない人が生きていく大切な箱舟なのだという事が、心に強く刻まれている。

「お前は‥‥お前は‥‥」

 そんな世界を壊す者は、誰であれ許す事は出来ない。シャオティンはその中の最たる者だ。

「消えていなくなれっっ!!」

 柱はシャオティンの頭上に倒れていく。それはもはや受けきれるとか、そのような問題ではない。

「‥‥‥ふふ‥」

「?」

 が、命中する前、シャオティンは笑った。その笑顔に不吉なものを感じたが、リシャンはそのまま鎌を振り下ろした。

 船体が真っ二つに切れ、海中へと沈んでいく。

「‥‥‥‥」

 しばらく宙に浮かんでその様を見ていたが、

「‥‥‥‥?」

 海中から何かが浮かんでくる。巨大な金色の光の球体‥‥海面を凹ませながらゆっくりと上に上がってきた。

 =‥‥あ‥‥あの力は‥‥=

「‥‥‥‥」

 クロウがうろたえている。その球体はみるみる大きさを増し、やがて船を飲み込んでいった。

 =周辺のデータがエラーを起こしています。もの凄い早さで書き換えられていて、本部でも対処が追いつきません。このままだと‥‥=

「‥‥‥‥歪み」

 唇を噛みしめながらリシャンが呟くと、その光の球の真上にシャオティンが現れた。

 彼女の体には斜めに亀裂が入っており、その断面は七色に光っていた。

 =‥‥やられた‥‥=

「‥‥‥‥」

 クロウがそう呟いた瞬間、リシャンもその意味を理解した。

 世界の歪み‥‥それはデータ処理の上限を超える何かを短時間に起きる事で発生する、連続バグの現象。通常であればそう簡単には起こらない。それには相当の変化が必要であったが、管理局が許可したリシャンの力は、それを起こすに匹敵するものを秘めていた。それをシャオティンに利用されてしまった。

 “リシャン、あなたは短絡的に物を考えすぎだと思います ”

 シャオティンはそう言って微笑んだ。

 “これから先、仮想世界が続く事で、この世界が存続するよりも多くの不幸が生まれます。目の前にあることだけが真実ではないのです”

「‥‥‥‥」

 “残念ながらこの程度の歪みなら、完全に壊れる前に対処されてしまうでしょう。ですが、あなたは、それまでの時間‥‥それを目にする事になります。それを見て、感じた上で判断してください”

「‥‥‥‥何を」

 “統合政府の贖罪と、あなたのこれからを。恐らくあなたは‥‥私と同‥‥”

 光は更に拡大し、シャオティンを飲み込んでいく。

 “それでは‥‥リシャン‥‥よい人生の旅を‥‥”

「‥‥待って!」

 光は拡大を続け、触れたものを小さな四角の欠片にして崩していく。

 =リシャン、退避だ!=

「‥‥く‥‥」

 全力で遠ざかる‥‥つもりだったが、光の領域の拡散はその速度を上回っていた。

 =リシャン!=

 クロウの声が小さくなっていく。

 光の渦の中に埋もれていく。眩しすぎて自分の手すら見えない。

「‥‥‥‥」

 どれぐらい時間が経ったのか‥‥リシャンは仰向けに倒れていた。気が付いた時に思った事はそこに地面がある事だった。

 さっきまで海の上にいたはず。

「‥‥‥‥」

 倒れたという事は真上を向いているという事、それなのに、空が見えない。

 見えているのは‥‥動きの止まった灰色の雲。

「‥‥‥‥」

 起き上がって辺りを見渡す。

 辺りは薄暗い。前にいたビルの乱立していた街によく似ているが、どれも崩れかけていて、人は誰もいない。

 手に当たる感触は石に似ているが、平でもすべすべもしていない。崩れて、ひび割れたアスファルトだった。

「‥‥‥‥どういう事?」

 まさか歪みが発生した結果、世界が崩壊した? 

 強制ログアウトされたなら死んでいるか、本部の体に戻されているはずで、こうしてリシャンとして存在しているのはおかしい。

「クロウ!」

 呼んでみたが、その声は反響してどこまでも流れていくだけだった。

「‥‥‥‥」

 とにかく状況が分からない。

「こういう時は調査が基本」

 判断材料が少ない。ここで何かを断定する事は出来ない。

「‥‥‥‥」

 大通りのスクランブル交差点に出た。信号機や、大きな電光掲示版‥‥どれも見覚えがある。

「‥‥まさか!」

 途中で止まったままの車をまたいで走っていく。奥にある店はやはり来た覚えのある店だった。

 緑の看板のコーヒーショップ‥‥奥のテーブルに座って、テロリストの容疑者を尋問した記憶がある。

「‥‥‥‥」

 間違いなく、ここは仮想世界013。だが、この変りようは何なのだろうか?

 AIや、アバターがいなくなっている。それだけでなく他の生き物の姿もない。疑似的な気象も全て止まっている。

 世界が崩壊したのかもしれない。 

「‥‥‥‥馬鹿じゃないの⁈」

 そう考えてしまった自分にその言葉は向けられた。

 絶望するにはまだ早い。

 全てが終わったわけではないのは、何よりの証拠として、こうしてアバターが存在している。

「クロウ! いないの?」

 もう一度呼んでみるが、何も声は聞こえない。

 こんな時はあのとぼけた声がたまらなく聞きたくなる。

「‥‥‥‥ふん」

 リシャンは日の登らない街を歩いていく。

 何処かに誰かがいるのではないかと、あちこちの店先を覗いてみたが、やはり姿はない。

 かなり風化が進んでおり、こんな状態になるまでには相当の年月が経ったに違いない。それならそれで新たな疑問が沸いてくる。

 いくら何でもそれだけ時間が経ったはずがない。矛盾している。

 いつしかリシャンは、大きなドーム状の建物に来ていた。

 ここも来た覚えがある。

 何万ものAIやアバターが、ここに集まって歓声をあげていた。

 それほど時間が経っているわけではないが、既に懐かしく感じる。

 内部の作りは知っている。迷路のような廊下を進み、ドームの中央まで歩いていく。

「‥‥‥‥」

 電気は来てはいないが、なぜか内部はぼんやりと明るい。

 人工芝と土が敷き詰められており、前に見たときとその辺が違っている。

「‥‥‥‥!」

 不意に気配を感じた。

 鎌を出して身構え、視線をあちこちに走らせた。

 =ほう‥‥小娘にしてはなかなか鋭い=

「‥‥‥‥」

 大きな鳥が飛んでくる。話す鳥‥‥クロウと同じだが、その鳥はクロウより遥かに大きく、こげ茶色の大きな羽を羽ばたかせている。カラスではなく、鷲や鷹の類のようだ。

 その鳥はリシャンの手前まできて止まった。

 =もう誰も来る事はないと思っていたが、こうも早くこっちに送ってくるとは‥‥シャオティンの小娘も意外にやるものだ=

「シャオティン!」

 その名前に反応してリシャンはその鳥に鎌の切っ先をつきつける。

 =待て待て! そんな事をしても意味はない。動くより前に意味を考えるのだ。シャオティンの嬢ちゃんは、やっと覚えてくれたが、お前さんは何も分かってないと見える。また最初からとは、骨の折れる事だ=

「‥‥‥‥」

 とりあえず鎌を下ろした。

「‥‥で、あなたは何なの?」

 =俺か? 俺は管理局の監視官‥‥元が付くがな=

「‥‥‥‥」

 鳥で表情は分からないが、その言い方がリシャンには鼻についた。

「‥‥で、元監視官の人に聞きたいんだけど、ここは何処なのよ?」

 =ここか‥‥ふっふ‥‥そうだな‥‥=

「‥‥‥‥‥‥」

 鳥はもったいぶっている。その姿を見ていると、クロウは何とまともだったのかと思い知らされる。

 =ここは仮想世界013=

「まさか」

 =仮想世界013の‥‥失敗した世界なんだよ=

「‥‥‥‥」

 リシャンは黙ってその鳥の言葉の続きを待った。


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