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第七話 矜持の天秤(中編)

 ザフラカン政府軍と湾岸都市連合軍‥‥一触即発と思われていたが、すぐにはぶつかる事もなく、数日が経った。それはお互いに警戒しあった結果であり、あたかも先に動いた方が不利益になる‥‥などという事を互いに認識でもしているかのような奇妙な状況だった。

 ザフラカンは、先日の侵攻失敗から、これまでの勢いが削がれた事で、慎重にならざるをえない。とりわけ、一人で食い止めた人物の情報収集に、終始奔走していた。湾岸都市軍側も、リシャンというイレギュラーな存在で防衛出来た事もあるが、政府が使う強力な武器は脅威であり、また、再度彼女が味方をしてくれるという保証もないなか、一度の勝利で激情のままに逆侵攻をかける事は出来なかった。

 お互いがお互いを警戒しながら身動きが取れず、さらに数日が経った。




「お早う!、嬢ちゃん!」

 ジープなどの車両がおさまる大型のガレージの中、その部屋の隅にあるコンテナに腰をかけていた緑の軍服姿の少女に向けて、挨拶の言葉が次々と向けられる。

「‥‥‥‥」

 だが、少女は返事を返さない、ただ膝の上に頬杖をついて、上の窓から入ってくる頼りない光を見つめている。

 シャッターが開けられると、とたんに世界が変わる。機械油と火薬、埃の臭いは外に向かって流れていき、代わって海からの塩っぽい風で満たされていく。

 それまで何も言葉を発していなかった少女‥‥リシャンは箱から飛び降りて、外に向かって歩いていく。

「‥‥‥‥まだ肌寒い‥‥ここは、砂漠の街なのにね」

 クロウが頭を前後に揺らしながら、まるでカラスのように足元に歩いてくる。

 =寒暖差がありますからね。もう少ししたら暑さで、この中にはいたくなくなると思いますよ=

「‥‥‥‥ふふ」

 もちろん、リシャンは暑い寒いなどの感覚は任意で変更できる。それを知ってる上で、普通に話しかけてくるクロウに、リシャンはおかしくなって笑みを浮かべる。

 ここは港湾都市連合軍‥‥政府から言えばゲリラ軍とか反乱軍とか、そういう輩の本拠地の港だ。

 ザフラカンから戻ったリシャンは、リーダーのアジェトに言って、ここで調査をしている。調査と言っても、データを管理局本部に送信してから、次の指示が来るまでの待機時間で、他には何も指示がない以上、リシャンもどう動いて良いか思案中の状態だった。

 どうなれば戦闘を回避できるのか‥‥それは簡単な事で、停戦すればいい。ザフラカンは侵攻をやめ、アジェト達は武器を置く‥‥そうすればこれまで通り、平穏な生活が続いていく。

 だが、その平和は長くは続かない。数年後、もしくは数十年後‥‥再びこの地は戦禍に飲まれるだろう。この港街は、常に他国が狙っている。長期に平和だったのはただ運が良かったから‥‥だけに他ならない。

「お早うございます! リシャンの姉貴!」

「‥‥‥‥」

 同じ緑の軍服を着た大男が、リシャンの近くまで走ってきて手を上げて敬礼する。

 彼の名前はキアン。リシャンが最初にここで大立ち回りをした時に、片手でねじ伏せた男だ。見かけは相当年配に見えるが、頭をボーズにして口ひげを生やしているので、実はかなり若い。リシャンがここに来てから彼は、そんなふうに呼んでくる。

「何なのあなた?‥‥別にあなたの上官でも何でもないんだけど」

「いえ! 自分を指先で吹き飛ばしたあの力! そして政府軍のやつらを次々と打ち破っていく、その雄姿‥‥自分は感服しております!」

「‥‥‥‥」

 ため息をついて、手の平で、サッサっと‥‥向こうに行ってくれという合図をする。

「では、失礼致します!」

 敬礼してから両腕を脇腹につけてクルリと回転してからランニングのように走っていく。

 =随分と慕われているようですね=

「‥‥迷惑。いちいち付きまとってくるから動きにくい」

 リシャンはフン‥‥と鼻を鳴らす。

 この数日で、随分と話しかけてくる人間が増えた。アジェトに何かを言われているのかもしれないが、彼らは笑いながら、時には震える手で握手を求めてくる。

「‥‥‥‥私に取り入ったって、加担するわけじゃないのに、全く、もの好きね」

 魚の絵が描いてある大きなコンテナの前に立ち、開けずに中を見る。

 金属製の物体を満載している。銃火器や、戦闘で使う部品な数々が入っている。とう遠くないうちにこれらは使用される。だが、このような武器では政府軍の使用するものには対抗できないのは明らかだ。

『では‥‥またね‥‥』

 そう言っていたシャオティンの事も気になる。

 彼女はザフラカン‥‥バジラフの中にいる。

「エージェント、リシャン!」

 アジェトが手を振りながら近づいてきた。やはり彼も笑顔だ。

「傷の具合はもういいの?」

「ああ、こんなもの!」

 アジェトは前回の戦闘で痛めた腕をさする。

「‥‥‥‥」

 リシャンは何かを言おうとして開けた口を閉じた。

「‥‥‥ん どうかしたか?」

「‥‥‥‥」

 聞かれて仕方なく、飲み込んでいた言葉を復活させる。

「バジラフがここを併合しようとする目的は、別に占領した後に略奪とかしたいからじゃない。他国の侵攻から守る為‥‥」

「だから我々が受けてきた事を全て忘れろと? 馬鹿な話はやめてくれ!」

 アジェトは大声で返す。荷を肩に勝つんで運んでいた人が一瞬だけ振り向いた。

「ここは我々の地だ。もちろん俺はリアルからの移住者には違いないが、それでもここは俺の故郷だ。‥‥妻と子の眠るかけがえのない場所なんだ。守ってやるから明け渡せなど、受け入れられるわけがない」

「‥‥‥‥」

 アジェトの言い分はリシャンにも分かっている。彼らにどう言おうが、考えを改める事はないだろうという事も。

 その結果、多くの命が失われる事も。

 それでも。

「‥‥‥全く」

 つまりは、話してもどうにもならないという事を、リシャンも知っている。分かった上で、また話している自分がもどかしくなった。

 アジェトを置いていく形で湾岸の敷地から飛び出す。コンクリだった地面はでこぼこの石畳に変わる。少し行けば町だが、そこに行っても仕方がない。

「全く、馬鹿じゃないの⁈ 駄目だと最初から分かってて、何でそんな事をするわけ?」

 足元の石を蹴り飛ばす。

 =理由はあなたも分かってるはずですよ=

「当然!」

 だから腹が立っている、

 一つの可能性として、もしザフラカンが侵攻する前に、その趣旨を湾岸側に伝えていたら、こうはならなかったのではないだろうか。そして湾岸側も、最初から反抗する意志がないと伝えておけば争いにはならなかったのでは‥‥。

 そう思うのは、ただの結果論に過ぎない。こうなる前に、全てを知っているとすれば、人間ではなく、神というものなのだろう。 

「‥‥‥この世界での神‥‥‥」

 リシャンは顔を上げて空を睨む。それは偽物の青空だ。

「知っていて放置した?‥‥まさかね」

 それで一番困るのは管理局だ。

 足元のカラスに似た何かに顔を向ける。

「クロウ‥‥管理局は仮想世界での出来事は不干渉なんでしょ?」

 =はい=

「それが、世界を歪ませる方向に事件が向いていっても変わる事はないと?」

 =そうなる前に対処していますから。エージェントはその為にいます=

「対処出来ない程の事件がこれから起こるとしたら‥‥管理局はまた見て見ぬフリを続けるの? 馬鹿じゃない?」

 =今、その件も含めて本部で方針を検討中です=

「遅いっての! もしかしたらお昼ぐらいから始まるかもしれないってのに」

 =‥‥‥‥=

 クロウは答えない。言っても仕方のない事だ。





「陛下、ご指示の通り、三個師団分の装備の生産が終わりました」

 黒髪にオレンジの花を付けた女性、アミーナは、書類を見ながら難しい顔で唸っているバジラフ王に向けて、そう報告した。

「ご苦労さん。こんなに短期間で部隊を立て直すなんて、さすがだね。僕には出来ないよ」

「いえ、全て陛下の人望があっての事です」

 アミーナ‥‥シャオティンは頭を下げた。黒の外套が揺れる。

「喉に受けた傷は大丈夫でしょうか?」

「まあ、大したことはないよ」

 バジラフは笑って喉に手を当てた。

「‥‥‥‥彼女の事が気になりますか?」

 それはバジラフの執務室に忍び込んだ暗殺者につけられたものだ。

「そうだね。暗殺しにきたのかもしれないけど、僕には彼女が嘘を言うような人間ではないと思うんだ」

「‥‥‥‥なぜです?」

「勘‥‥かな。うまくは言えないけど」

 椅子に深く背を落とす。

「だから柄にもなく、本音を喋ってしまったのかもね。僕は侵略者、憎しみの対象であるべきだという、君の計画とは違うものになってしまうけど、本当は彼らが降参してくれれば丸く収まるとも思ってるんだ」

「‥‥‥‥湾岸都市側は、とても納得はしてくれなさそうですけど」

「そうだね、だから結局、それは僕の希望でしかない。それがベストかもしれないけど、出来なときはベターを選んでいきたいと思うよ」

「賢明な判断です、陛下」

 シャオティンは再び頭をさげた。

「侵攻するのはいいんだけど‥‥また来ると思うかい?」

 バジラフが言っているのはリシャンの事だ。

 彼はまだ、暗殺者の少女が、軍に敗北をもたらした少女と同一人物である事を知らない。

「間違いなく来るでしょう。ですが、心配には及びません」

 シャオティンは僅かに口角を上げる。

「その時は私が対応します」

「君が?」

「はい。彼女は私には勝てません。‥‥絶対に」

「それは頼もしいね」

「お任せください」

 シャオティンは笑顔を向けたが、その目は笑ってはいない。





「姉さん!」

 昼になるとリシャンのまわりに人が集まりだす。

 波止場近くのコンクリの上、波音だけでなく、たまに波飛沫まで飛んできそうな場所で、大きな布が広げられており、その上には食べきれない程の料理が並んでいる。

「‥‥‥これは?」

 その多くは魚だった。焼いたもの、串に刺して塩コショウで味付けされているもの、他にも野菜や、肉類も盛ってある。

「へい、姉さんに食べてもらおうかと‥‥」

 キアンがドヤ顔でそう言ってきた。

「‥‥‥‥」

 仮想空間ではあったが、食べ物を食べるという行為は味も匂いも満腹感もある。仮想世界のAIは生きて行く為に食事をとる必要があったが、リシャンはその理からは外れた存在であり、飲食をする必要はない。

「‥‥魚は好きじゃないんだけど」

「ああ! そうだったのですか! 申し訳ありません!」

 キアンはそう言うと、皿を掴んで口の中に流し込んでいく。

 魚関係はなくなったが、それでもかなりの量が残っている。

「全く‥‥こんな物を食べるわけないでしょ」

 リシャンは吐き捨てるように言った。




 =‥‥で、どうして全部平らげたのです?=

「いつもクロウが言ってるじゃない。目立つなって。あそこで断ったらまた問題が起こるかもしれない。任務に支障が出る可能性は排除しておくに、こした事はない」

 =‥‥そうなんですかね=

 クロウは反対側に顔を向けて、クック‥‥と笑う様に鳴いた。

 それから小一時間した後、リシャンに管理局からの任務命令が届いた。

「何? もう一回言って!」

 =はい‥‥管理局の指示は‥‥この地から撤退するようにという内容です=

「‥‥シャオティンは?」

 =今回は見送るという‥‥=

「じゃあ、ここで戦闘が行われるのを、知らないフリして戻れって言うの? 一度にたくさんのAIが消滅したら空間が歪んでしまう‥‥その為に阻止しなきゃならないんじゃないの? 何もしないなんて馬っ鹿じゃないの⁈ 戻れるわけないでしょ!」

 リシャンは死神の鎌を出した。刃は赤く輝き、燃え盛っている。

 =これは管理局の決定です。落ち着いてください=

「‥‥もちろん、落ち着いてる」

 =決定には従ってください=

「‥‥‥‥」

 =お願いします=

 リシャンには、クロウが何を言いたいかは分かった。

「‥‥従えない」

 =‥‥‥‥=

「大丈夫、あなたの昔の相棒みたいにはならないから」

 =‥‥‥‥=

 クロウの目が光った。

 リシャンの持っていた鎌が宙に消え去る。

「‥‥‥‥!」

 =残念ですが‥‥リシャン‥‥あなたのエージェント権限を一時、はく奪します=

「‥‥‥‥」

 リシャンはクロウのただの黒い球体のような瞳と、その中に映る自分の顔を睨みつけた。


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