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失われた音

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世界は静寂に包まれていた。

音が消え、風の囁きも、鳥の歌声も、木々のざわめきも聞こえない。

すべてが無音の中に沈み、時が止まったかのようだった。


街には人々が歩いているが、口を動かしても声は出ない。

子どもが笑っていても、足音が響いても、何一つ音は存在しない。

ただ、動きだけが淡々と続いている。


街角に、一人の少女が立っていた。

長い髪を風に揺らし、大きな瞳を見開いている。

耳を澄ませても、何も聞こえない。


少女は両手で耳を覆い、目をぎゅっと閉じた。

しかし、音のない世界は変わらなかった。

彼女は肩を落とし、顔を伏せた。


その手の中には、小さな音叉が握られている。

古びた音叉。先端が欠けていて、錆びついている。

少女は音叉を見つめ、微かに唇を震わせた。


彼女は音叉を振り、耳を近づけた。

だが、何の音も鳴らない。

悲しげな瞳が揺れ、涙が滲んだ。


彼女は音叉を抱きしめ、街を歩き始めた。

音のない世界を、静かに、ゆっくりと。


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街を抜け、少女は森へと向かった。

木々は高くそびえ、空を覆っている。

葉が風に揺れているが、音は聞こえない。


彼女は耳を澄まし、風を感じた。

葉が擦れる様子をじっと見つめ、目を細める。

しかし、無音のままだった。


少女は森を進み、奥へ奥へと歩き続けた。

やがて、古い祠が現れた。

苔に覆われ、ひび割れた石の祠。


その中に、一対の風鈴が吊るされていた。

透明なガラスの風鈴。細かな模様が描かれている。

風が吹き、風鈴が揺れている。


しかし、音はしない。

無音の風鈴が、ただ静かに揺れている。

少女は風鈴に手を伸ばし、そっと触れた。


冷たいガラスの感触が、指先に伝わってくる。

しかし、その冷たさには生命が感じられなかった。

彼女は寂しげに目を伏せた。


その時、風鈴が淡く光を放った。

揺れるたびに光が反射し、七色の光が広がった。

少女の瞳が見開かれ、光を追いかける。


光がゆらゆらと宙に舞い、風に乗って流れていく。

光の筋が森の奥へと続いている。

少女はその光を追い、駆け出した。


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光を追って、少女は洞窟に辿り着いた。

洞窟の入り口は黒く口を開け、冷たい空気が漂っている。

光の筋が洞窟の奥へと吸い込まれている。


少女は音叉を握りしめ、洞窟の中に入った。

足音はない。息遣いも聞こえない。

ただ、光の筋が彼女を導いている。


奥へ進むと、広い空間に出た。

天井が高く、壁には古い文字が刻まれている。

中央に、大きな石の台座があった。


台座の上には、水晶の玉が浮かんでいた。

透明な水晶の中で、光がゆらゆらと揺れている。

その光は、風鈴の光と同じ七色に輝いていた。


少女は水晶に近づき、そっと手を伸ばした。

指先が水晶に触れた瞬間、強い光が弾けた。

眩い光が洞窟全体を包み込み、少女は目を閉じた。


その時、微かな音が聞こえた。

それは、風の囁きのような音だった。

柔らかく、優しい音色が、耳元をかすめていく。


少女の目に涙が滲んだ。

音が、聞こえた。初めて感じる音の温もり。

胸が高鳴り、息を呑む。


水晶が淡い光を放ち、音がさらに広がっていく。

風の音、葉の囁き、遠くの鳥の声。

世界に音が戻っていく。


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光が収まり、少女は洞窟を出た。

森の中に、音が戻っていた。

葉が揺れる音、風が枝を撫でる音、小鳥たちのさえずり。


少女は音叉を振った。

澄んだ音が響き、空気が震えた。

彼女は微笑み、涙を拭った。


街に戻ると、人々が驚きの表情を浮かべていた。

足音、笑い声、呼びかける声。

音が世界に満ち溢れていた。


少女は音叉を胸に抱きしめ、目を閉じた。

音が耳に響き、温かさが胸に広がっていく。

彼女は静かに微笑んだ。


空は晴れ渡り、光が街を包み込んでいた。

音のない世界は終わり、希望の音色が響いていた。

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