< – 眠れる街の囁き->
朝靄が街を包み込む。音のない世界が広がり、霧だけが静かに揺れている。
昨夜の雨を含んだ石畳が、かすかに光を反射する。蔦が絡む建物の壁、長年の埃をまとった窓硝子、朽ちたベンチが傾いたまま雨粒を湛えていた。
小さなカフェの看板がわずかに揺れる。しかし、その軋むはずの音はどこにも存在しない。
風が吹く。
だが、それすらも音を持たない。
<– 静止した時の中で->
昼になっても、街は沈黙を保っていた。
時計台の針は止まり、影だけがゆっくりと角度を変えていく。生きた気配の名残はある。枯れた花のプランター、ひび割れた郵便受け、落ち葉に埋もれた階段。だが、人影はどこにもない。
丘の上から見下ろす街は、まるで時間が凍ったように、ただそこに存在していた。
風が通り抜け、落ち葉を舞い上げる。
それでも、音はなかった。
<– 響き渡る鐘の音->
突如として、空が翳る。黒い雲が湧き上がり、世界の光を奪う。
風が強まり、広場の枯葉が渦を巻く。石畳に小さな雨粒が落ち始める。だが、その音はどこにも響かない。雨はただ、街を静かに濡らしていく。
その時——。
沈黙を裂くように、遠くの丘の鐘楼が揺れた。
錆びついた鐘が、ごく僅かに傾く。そして、重く、低く、深い音が響いた。
ゴォォン——。
それは、長く沈黙していた街を呼び覚ますような、圧倒的な音だった。
誰もいないはずの鐘楼で、誰が鐘を鳴らしたのか。
街は、ただ黙ってその音を受け止めていた。
<– 静寂の果てに->
雨は降り続き、街の輪郭を少しずつ溶かしていく。
石畳の隙間を水が伝い、濡れた壁に光の筋が浮かぶ。広場の噴水には雨粒が降り注ぎ、波紋が幾重にも広がる。
やがて、霧が戻ってくる。
街を白く包み込み、ベンチも、時計台も、ゆっくりと霧の向こうへと消えていく。
鐘楼の鐘は、もう鳴らなかった。
そして、再び音のない世界が訪れる。
その静寂の中、微かな気配だけが、確かにそこに残っていた。