『拝啓
綾小路麒一郎 殿
綾小路、いや、ここではあえて「麒一郎」と書かせてもらいたい。
麒一郎、君は知っているか?
この言葉を、かの帝大教授が
“月が綺麗ですね”
と訳したことを。
この話を聞いて小生が思い出したのは、まず君のことだった。
白き月明かりの下、例の桜の木の下で、盃を酌み交わす君と自分を思い浮かべていたのだ。
こんなことを、自分が云うのは甚だおかしい、それは分かっている。
君は戸惑い、途方にくれるかも知れない。
しかし自分はこれまで、君が最近、自分の後ろに付き従い、何かと真直な目をむけてくることを、いつも嬉しく思っていた。
そういえばこの間、人知れず君が花壇の世話をしていたのを見咎め
“男らしくせよ”
などと叱ってしまったこと、赦してほしい。
花と戯れている君がその、あまりに美しく感じ、照れ臭くなってしまったのだ。
率直に云う。小生は麒一郎の為ならば、“死んでもいい” と思っている。
ゆえに、叶うことなら夢に見たのと同じように、中庭の桜の木の下で、君と盃を交わしたい。
今夜は十五夜、月はさぞや綺麗であろう。
亥の刻、盃とともに君を待つ。
敬具
1902年9月12日
堅倉 甲志郎』