2023年3月1日
朝
「おはよう、みんな‼」
島田さんは、胸元に真っ赤なカーネーションを付けていつもと変わらない元気な挨拶をした。
時間的に、まだ朝の会が始まるまでには15分もある。
「今日は早いね」
「せっかくの卒業式だからね‼早く来ないと損だよ‼」
「そうだな」
島田さんの意見に鉄平も頷いた。
いつもと変わらない2人に俺は少し笑顔になった。
正直、俺にとって卒業式なんてものはどうでもいい。
今すぐにでも病院に行きたい。
でも、平野さんは凄く真面目な人だからそんなことは望んでいないだろう。
俺は、2人の話にできるだけいつもと変わらない笑顔で答えた。
そんなことを考えていると、肩をポンと叩かれた。
「うぉっ」
俺は、思いっきり驚いて体をピックとさせながら後ろを振り向いた。
「やあ」
そこにいたのは奥川さんだった。
「おはよ」
奥川さんは、見た感じいつも通りだった。
「おはよう」
俺もそれに合わせるように返事をした。
「おはよ‼明日香ちゃん‼」
「凛もおはよ。それと、卒業おめでとう」
「そうだった‼明日香ちゃんに優気、卒業おめでとう‼」
奥川さんの笑顔は凄く自然だった。
内心では不安でいっぱいだろうに。
「おい、俺を忘れてるぞ」
「え?」
「おい!」
「鉄平って卒業できたの?」
「お前には言われたくねえ!」
「またまたぁ」
「期末のテスト何点だった?」
「290」
「3教科だよな」
鉄平は鼻で笑いながら言った。
「残念、8教科でした‼」
ある意味で鉄平の予想を裏切る島田さんの回答だった。
「せめて、5教科であってくれ」
「まあまあ、合格したからおっけーってことで‼」
島田さんは、鉄平の肩をポンポンと叩いた。
「そうだね」
俺は、何だか日常に戻った気がして少しばかり心から笑うことができた。
そして、それと同時に先生が教室に入ってきた。
最後のホームルームの始まりだ。
卒業式は恙なく終わった。
「ねえ、みんなで写真撮ろうよ‼」
島田さんの提案で、俺たちは島田さんのお母さんに集合写真を撮ってもらうことにした。
「いくよー」
その掛け声と共に、島田さんのお母さんはシャッターを切った。
その後は、他のメンバーとは大体話をしたり、写真を取ったりした。
「そろそろ、帰る?」
奥川さんがみんなに提案をした。
「そうだね」
流石に、奥川さんも早く病院に行きたいのだろう。
俺は、奥川さんの気持ちを察してそうだねと返した。
「よし、そろそろ帰るか」
「おっけー」
鉄平も賛同したことで、俺たちは帰ることにした。
そして、今日のじゃんけんの結果、最初に奥川さんの家に向かうことになった。
俺たちは、いつも通りの道を歩いていつも通り奥川さんの家に着いた。
「それじゃあ、ここで!」
「だね」
島田さんは少し寂しそうに返事をした。
「みんなありがとうね。また、春休みにいっぱい遊ぼ」
「そうだね‼」
「だな」
「うん」
俺たちは、それぞれに挨拶をして奥川さんと別れた。
「それじゃあ、次に向かう家のじゃんけんをしよう‼」
島田さんは自身満々に右腕を出した。
できることならすぐにでも帰りたい。
でも、じゃんけんばかりは運だ。
どうしようと考えていると、鉄平から耳打ちをされた。
「パーを出せ。お前に勝たせてやる」
「えっっっ?」
俺は、思わず鉄平の方を見て反応した。
けれど、鉄平は何事も無かったような顔をしている。
ちょっっ、何を?
「じゃんけんポン」
俺が考える間もなく、島田さんはじゃんけんを始めた。
俺は、鉄平に言われるがままパーを出した。
そしたら、2人ともグー。
「あちゃー。負けちゃったか。それじゃあ、次は優気の家だね」
そう言うと、島田さんは先陣を切って俺たちの前を歩きだした。
「どういうこと?」
今まで鉄平がわざと俺に勝たせてくれたことなんてない。
何かあるのかと思って島田さんにばれないように鉄平に耳打ちしたけれど、返事が返ってくることは無かった。
俺たちは、15分くらい歩くと家の前まで着いた。
「2人ともありがとう。おかげで中学校生活が凄く楽しかった。春休みもみんなでたくさん遊ぼう」
「こちらこそ、ありがとうね‼優気のおかげで私も凄く楽しかったよ‼」
「そうだな。俺も、まあ悪くない3年間だった」
「ありがとう」
俺は、心から気持ちを込めてお礼を言った。
「じゃあ、また春休みに‼」
そして、2人は島田さんのその一言と共に、後ろを向いて歩き始めた。
俺は、2人が見なくなったのを確認して鍵を開けて自分の家に入ると、バッグを無造作に投げた。
制服を変えようかと思ったけど、そんなのは時間の無駄だ。
一刻も早く平野さんがいる病院に行かないと。
手術の正確な終了時間までは聞いていなかった。
何か連絡が入っていないのかと携帯を開いたけれどメッセージの件数はゼロだった。
俺は、引き出しからハンカチを出してポケットに入れた。
そして、卒業式の持ち物を全て出して財布と携帯だけを入れて学校指定のバッグを持つと、勢いよくドアを開けた。
俺は、まだ3月になったばかりだというのに汗だくの状態で病院に着いた。
もう、恰好を気にしている余裕はない。
俺は、事情を話して近くの人に手術室がどこにあるのかを聞くと、急いでそこに向かった。
言われた場所に着くと、そこには奥川さんと平野さんの両親だと思われる人がいた。
俺と目が合うと、少し驚いたような表情をしていた。
手術室のドアを見ると、まだ赤いランプがついている。
「平野さんはまだ?」
奥川さんは、こくりと頷いた。
さっきまでの学校での元気な表情とは打って変わって、元気さは一切感じられなかった。
俺は、横にある長椅子に座って、待つことにした。
時計を見ると、時刻は16時50分になっていた。
俺は、明らかに動揺していた。
正直、今か今かと毎秒緊張している。
体からは今までに見たことが無いような変な汗が出ていた。
呼吸もだんだん荒くなっている。
息を吸うのだって難しくなってきそうだ。
俺は、何とか平常心と保てるように呼吸だけは落ち着かせようと心臓に全神経を集中させようとする。
でも、さっきから特に変わる気配はない。
「ねえ、大丈夫?」
奥川さんは、俺の状態を察してか優しい声で話かけてくれた。
「うん」
俺は、返事をするだけで精一杯だった。
「ちょっと、外で歩いてきたら?」
「いや、大丈夫。平野さんのことを考えたら……」
「何かあったら、私がすぐに連絡してあげるから」
「でも、、」
「桜ちゃんが出てきた時に、優気が元気なくてどうするの」
「それは、、」
「だから、自分のためじゃなくて元気な姿で桜ちゃんに会うために、ちょっと外の空気を吸ってきなよ」
「分かった」
俺は、想い腰をゆっくりと上げて病院の外へと出た。
俺は、行く当てもなくそこら辺の道路を歩いていた。
とりあえず外に出てみたものの、どうしたものか。
そうやって考えていると、目の前に公園が見えた。
しかも、それは俺と平野さんが始めて会った公園だった。
俺は、引き寄せられるかのようにその公園へと入って行った。
公園の中に入ると、目の前には桜で満開になった凄く大きな木があった。
春に美しく咲いている桜は、ほかのどの木と比べてもきれいだと思う。
この「思い出の木」を眺めていると改めてこの思いが強くなる。
学校近くの少し小さな山の頂にある公園の中心に、1つぽつんとあるこの桜の木は、3年前の出会いをまるで昨日のことのように思いださせてくれるようだ。
この公園から見える町の景色はいつ見ても心が落ち着く。
自分はこの町と一緒だということを強く感じられるからだ。
俺は、柄にもなくこんなことを考えながら左腕に着けた白色の軽い腕時計を見る。
17:10
さっきまで空にいた太陽は消えかかっていて、地上を照らす役割を星に譲ろうとしていた。
さて、そろそろ時間だ。
今までの自分ならきっと逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていただろう。
でも、そんな気持ちはない。
だって、みんながいるから。
みんながいれば大丈夫。
俺は、過去の思い出を振り返りながら未来へ進む覚悟を決めた。
俺は、再び病院の前に着いた。
今度は前みたいに暗い表情はしない。
俺は、目線をまっすぐ前に向けて病院の中へと入っていった。
俺は、いくつかの階段を上がると手術室の前まで来た。
あれ?
手術中のランプが点いていない。
いや、それだけじゃない。
奥川さんを含めて周りには誰もいない。
どういうことだ?
どういうことだ?
どういうことだ?
さっきまでの余裕はどこかに一瞬で消えてしまった。
俺は、急いで平野さんがいた病室へと向かった。
何とか病室まで着くと、なりふり構わず思いっきりドアを開けた。
「平野さん!」
ベッドにはみんなに囲まれて一人の女の子が寝ていた。
さっきまで手術室の前にいた3人は丸椅子に座っていた。
「そんな、、」
俺は、全身から力が抜けていった。
「そんな、まさか」
何とか踏ん張って一歩ずつ進んだ。
「何で……」
でも、見るのが怖かった。
「俺は、結局何も……」
現実を見るのが怖かった。
無力な自分に気付かされることが嫌だった。
やっとの思いでベッドにたどり着くと、そこには平野さんがいた。
奥川さんがそっと立ち上がって俺の横に来た。
「優気」
「ごめん」
「優気」
「ごめん」
「何で誤っているの?」
奥川さんの声は凄く優しかった。
「だって、何もできなかったから」
でも、今の俺にはその優しさが嫌だった。
「そんなことないよ」
「でも、平野さんが、、」
「優気のおかげだよ」
「俺のおかげ……?」
俺は、奥川さんが何を言っているのか分からなかった。
慰めならいらないのに。
「うん」
「どういうこと?」
俺は、再び聞き返した。
「桜ちゃんの手術が成功したって」
「えっっ?ほんと?」
「うん。だって、今も気持ちよさそうに寝ているじゃん」
「寝ているだけ……?」
俺は、平野さんをもう一度見た。
すると、すやすやと寝息がかすかに聞こえた。
「それじゃあ、、」
俺は、ゆっくりと言葉を選ぶようにして奥川さんを見た。
「それじゃあ、平野さんは助かったってこと?」
奥川さんは少し微笑んだ表情で俺を見た。
「そうだよ」
「よかったー!」
俺は、病室ということ何て忘れて思いっきり叫んでしまった。
でも、それくらい嬉しかったのだから仕方がないだろう。
助かったんだ。
平野さんとこれからも会うことができるんだ。
話すことができるんだ。
俺は、その場に崩れ落ちるようにして座った。
「よかったぁ……」
俺は、その場をしばらく動くことができなかった。
時間はどれくらいか分からない。
「いつまでもめそめそしてるんじゃない!」
しばらくすると、俺は奥川さんからのこの一言と共に支えてもらいながら、近くの椅子に座らせてもらった。
1時間くらいベッドの前で座っていると平野さんはゆっくりと起き上がった。
「平野さん!」
俺は、やっぱりここは病室だということを忘れて叫んでしまった。
「桜ちゃん!」
「桜!」
奥川さんと平野さんの家族も俺とほぼ同時に平野さんを呼んだ。
「優気」
「明日香」
「お母さん、お父さん」
平野さんは、目を右手で擦りながら俺を見た。
「よかったぁ」
奥川さんからも安堵の声があった。
そして、それと同時に俺と同じくらいの涙を流しているように見えた。
俺も目の前の景色がぼやけてはっきりとは分からないけど。
俺たちはしばらくの間、3人で卒業式のことを話した。
平野さんが起きてから1時間くらい経っただろうか。
外はすっかり暗くなっていた。
今日は平野さんの無事を確認できたからそれで十分だ。
「それじゃあそろそろ帰ろうかな」
俺は、荷物を持って立ち上がろうとした。
「待って」
すると、平野さんから呼び止められた。
「いいかな」
平野さんは、奥川さんの方を見て何やら合図らしきものを送った。
「おっけ」
そう言うと、奥川さんは自分の荷物を急いでまとめた。
「私、これから用事あるから」
「じゃあ、俺も一緒に帰ろうかな」
「優気はもう少しここにいて」
「え?」
「桜ちゃんを一人にする気?」
「いや、それは」
「それじゃあね!」
そう言うと、俺が何か言う前に病室から逃げるようにして出て行った。
平野さんの両親は荷物や入院の手続きの関係でそれぞれ病室の外に出ている。
病室には俺と平野さんの2人だけになった。
「ねえ、成実くん」
「なに?」
「成実くんは中学校生活楽しかった?」
「うん」
俺は、噓偽りなく断言した。
「私も」
「それはよかったね」
「成実くんのおかげだよ」
「そんなことはないよ」
「いや、そんなことある」
「そうかな」
「うん。あの日、桜の木の下で成実くんが私を見つけてくれたからだよ」
そう言われると、何だか照れくさくなってきた。
別に大したことはしたつもりが無いのだけど。
「ねえ、昨日手術が成功したら聞いて欲しい話があるって言っていたの覚えてる?」
「うん」
俺は、ゆっくりと頷いた。
「その、話っていうよりお願いになっちゃうかもしれないけどいい……?」
「うん」
俺は、平野さんの目を見てもう一度ゆっくりと頷いた。
「私がまた遊べるくらいに回復したら、2人で遊びに行かない?」
平野さんの表情は少しやわらかいけど、まだ手術の後のせいか赤くなっていた。
それでも、平野さんの目から覚悟は見える。
そして、一瞬の静寂が病室にできた。
「いいよ」
俺は、平野さんのお願いに対してゆっくりと返事をした。
「ありがとう」
平野さんの表情はいつもの時とは程遠いみたいだけど、確実に緩んでいた。
よかった。
本当に手術が成功したのだな。
でも、ここでは終わらない。
平野さんが手術の後でこれだけ覚悟を見せたんだ。
俺もしないいけないことがある。
「俺からも一つお願いしてもいい?」
「なにかな?」
平野さんは微笑んだ表情で俺を見た。
正直、俺のお願いは平野さんを困らせてしまうかもしれない。
でも、返事は今でなくてもいい。
むしろ、ゆっくり考えて結論を出して欲しい。
俺は、人生経験で培ったありったけの勇気を持って平野さんを見た。
「平野さんとの約束、ただの遊びじゃなくて、デートにしたい」
「えっっっ?」
平野さんは凄く驚いていた。
混乱して正面を見ることができていない感じだ。
でも、俺は混乱しない。
自分で言った言葉を思い出しながら、最後に一言付け加える。
「ずっと平野さんのことが好きでした。俺と付き合ってください」
目線だけはがんばって平野さんからそらさないようにした。
ここで逃げることはしてはいけない。
俺は平野さんの気持ちと正面から向き合わないといけない。
どうだろうか。
返事が無く、病室が静寂に包まれた。
病院の周辺には大きな道路も無いため、本当に何一つ音がしない。
それが、俺の心を若干不安にすらさせた。
そして、心では数え切れないくらいの時間が経ったところで平野さんはそっと口を開いた。
「私でいいの?」
「もちろん!」
俺は即答した。
「これからだって他の人よりも病気はしやすいと思うよ」
「大丈夫。俺が看病するから」
「きっと、めんどうくさいことがたくさんあるよ」
「大丈夫。平野さんとならめんどうくさいことでも楽しめるから」
「私よりも可愛い人なんていくらでもいるし……」
「そんなことないよ。平野さん以上に可愛い人なんてこの世のどこにもいないよ」
「それから、それから、、」
平野さんの目からは大粒の雫で溢れていた。
それに対して、俺はポケットに入れていたハンカチをそっと取り出した。
「大丈夫。俺は、平野さんの全部が好きだから」
平野さんの涙は枯れることなく、流れ続けた。
俺が渡したハンカチは既に涙でいっぱいになった。
平野さんは何とか言葉を探していた。
それを俺は、暖かな目で見守った。
「ねえ、優気」
「なに?」
「ありがとう」
「こちらこそ」
平野さんは一息ついて最後の力で俺の目を見た。
「優気、これからは私の彼氏としてよろしくね」
この平野さんの透き通ったきれいな声を、俺は一生涯忘れることは無いだろう。
「こちらこそ」
俺は、精一杯の元気を出して平野さんの目を見て答えた。