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第2話

 入浴も夕食も終え、後はもう寝るだけ。毛布に包まった彩羽は今更ながら考える。


「なーんで篠原さんはわたしを下の名前で呼ぶんだろう……。なーんで篠原さんはわたしを見つけると嬉しそうに微笑むんだろう……」

「姉ちゃんうっさい‼」


 二段ベッドの上で寝る妹に怒鳴られてしまった。


 この際だから妹に相談でもしようかと、布団から出ようとした彩羽はあまりの寒さに再び毛布に包まる。


「妹よ、寒いからこっちへ来ておくれ」

「はあ?」


 妹の心底馬鹿にするような声の後、枕元に置いていた彩羽のスマホから着信音が鳴る。


 なるほど、そうきたかと、通話を開始する。


『話ってなに?』


 スピーカーから妹の小さな声が聞こえてくる。


 まだ深夜ではないが、防音が大したことの無いアパートだ。こうすることで近所迷惑にもならないし、両親にもバレない。


「いやさあ、私の行ってる学校でさあ、めちゃくちゃ美人な子がいるんだよ。その子がなーんでか知らないけどわたしのこと……はさっきの独り言通り」


 うるさいと怒鳴ったぐらいだから聞いていただろう。


 その予想は当たっており、妹が答えてくれる。心底呆れた様子で。


『自意識過剰』

「いや違うんだって」


 彩羽は詳しく状況を説明した。決して自意識過剰ではないと言うことを理解してもらわなければならない。


『ほーん。どうでもいい』

「なんじゃそりゃ」


 一通り聞き終えた妹の答えはそれだった。


『じゃあ寝るから』


 そう言って一歩的に通話を切られる。


「もうっ!」


 不貞腐れた彩羽はスマホを遠ざけ、冷たい妹とは対照的な暖かい毛布に慰めてもらう。そして慰められながら、今一度妹に説明したことを頭で繰り返す。


 天理が彩羽を見て微笑むようになったのは、割と最近、先月の文化祭の時からだ。


 それまでは名前と外見は知っていたが話したことも無い、ただ学校の有名人というだけだった。一応、一年の時は隣のクラスだったため体育とかは一緒で、球技のチーム戦とかで対決はしたことはある。それでも会話はしなかった。


 そんな関係性だったのだが、それが動いたのが文化祭だった。


 彩羽の通っている高校は女子校だ(ちなみにレベルは高くない)そのためか、文化祭は招待制、しかも女性限定というものだ。家族であっても、男性の入場はできない。他には近くの中学の女子生徒にも招待がいくし、遠くでも申し込みさえすれば来ることができる。


 その文化祭で彩羽は、看板を持って客の呼び込みをしていのだ――。




 学外から自由に人を呼べる文化祭ではないとはいえ、各生徒の知り合いや、中学校の女子生徒達が来るため、かなり人が多い。


 彩羽のクラスは教室でのドリンク販売、自動販売機でも飲み物は買えるのだが、客や生徒は文化祭というお祭り気分のため、そこそこ盛況だった。そのため、別に人を呼び込まなくてもいいのではないかと思うが、暇だから呼び込みをやってこいとクラスメイトに言われたのだ。


「まあ他の出し物覗けるからいいんだけどさー」


 そんな調子で、彩羽は呼び込みよりも他のクラスの出し物を覗いていた(一応仕事中のため、なにも買わないし遊ぶこともしない)


 その最中、視界の端でなにかが煌めいた気がした。半ば理由は分かっていたが、念のため見ておこうと顔を向けると、案の定天理がいた。天理も呼び込み中らしく、看板を持って歩いていた。


 そしてその天理の周りに当然人は集まる。恐らく同級生や、外部からの中学生達だ。


「六組でチュロスの販売をやっていまーす!」


 と声を張っているが、集まる人々はチュロスよりも天理を見たいらしい。人の数はあまり減らない。


 人に囲まれているため、天理の歩く速度はゆっくりで、そして人混みが人を呼ぶ、更に天理を囲む輪は大きくなる。


「なーんであんなに集まるのかね」


 あれだけ綺麗な人だから分からないこともないが、集まるだけ集まってなにがしたいのか? 写真を撮られているのだとすればいい気持ちはしないだろう。


 恐らく天理のクラスメイトは天理を助け出そうとしているが、あまりの人の多さに助け出すことがまだできていないようだった。


 その様子を眺めていた彩羽。手に持つのはダンボールでできた看板。丸腰で救出に向かうよりいいのではないか?


「……行ってみるかー」


 関りは無いが、このまま見捨てるのもいい気分はしない。彩羽は看板を振り回しながら人混みへ突っ込む。


「はいはいはーい! ちょおぉっっっとごめんねー‼」


 看板をつるはしのように振り、通る隙間を開ける。武器を持っていたらさすがに開けてくれるようだ。


「篠原さーん!」


 真ん中近くまでやって来た彩羽が声をかけると天理が気づく。天理はその学年トップの頭脳で、彩羽がなにをしに来たのか理解したのだろう、差し伸ばされた彩羽の手をしっかりと握る。


 彩羽はそのまま、強引に天理を引っ張り、来た時と同じように看板を駆使して人混みから脱出する。


 脱出したからといって終わりではない、すぐにその場から駆け出し、人がいない場所へと移動する。



「うあーなんっとか逃げ切れたぁ……」


 彩羽が天理を連れて逃げてきたのは、文化祭中は立ち入り禁止になっている特別棟だ。


「ありがとうございます、尾鳥さん」


 彩羽とは対象の、全く息の乱れていない天理は律儀に頭を下げる。


「いや……大丈夫……、ってなんでわたしの名前……知ってるの?」


 文化祭の喧騒が遠くに聞こえる特別棟で、もう限界とばかりに彩羽が座り込む。


「同じ学年の方々の名前は全員覚えていますよ。尾鳥彩羽さんですよね」

「うぇマジかー。凄い」

「そうですか? ありがとうございます」


 嬉しそうに笑った天理を見上げる。その朗らかな笑みにどこか安心感を覚える。


「ところで、大丈夫ですか?」


 へたり込む彩羽に目線を合わしてくれた天理が問いかける。始めてこんな近くで天理の顔を見た。髪の毛は何色かがよく分からない、光の反射で金に見えたりするし、キャストドールのような美しくも繊細な顔は思わず見惚れてしまう。


「だっ、大丈夫……!」


 声を上ずらせながら答える。丁度息も整ってきたところだ。


 彩羽の返答に天理は安心したらしく、再び立ち上がる。


「それなら、私はそろそろ戻りますね」


 そう言って看板を持つ天理を我に返った彩羽は掴む。


「ちょっと待ったぁ!」

「どうしました?」


 なにを慌てているのだろうかと、僅かに目を見開いた天理。それにかまわず彩羽は続ける。


「帰ったところでまたさっきみたいになるよ!」


 せっかくあの天理包囲網から助け出したのだ。ここで普通に戻られると、また同じことになる。


「ですが、自分の役割を放棄するわけには……」

「サボればいいって! さっき見てたけど、篠原さんが呼び込みしたところで大して意味無いだろうし! いや違うそうじゃないごめんなさいそういうことじゃないです! わたしが言いたいのはあの人達は篠原さんが目的だから篠原さんがどれだけ呼び込みを頑張っても客にならないしむしろ看板も見えなくなって宣伝にならないということで上手く説明できないけどそういうこと!」


 一息で捲し立てた彩羽は立ち去ろうとする天理をその場で座らせる。


 彩羽の言葉のマシンガンに、さすがの天理もすぐには飲み込めないようだ。素直にその場に腰を下ろす。


「なるほど……尾鳥さんが言いたいことは分かりました」


 ゆっくり頷いた天理、彩羽の言いたいことを理解してくれたらしい。これならしばらくの間大人しくしてくれるだろう。


「それなら、一度クラスへ戻り、事情を説明して役割を変えてもらいます」


 再び立ち上がる。


「ちょっと待ったぁ‼」


 再び天理の手を掴む。ちなみに二回目は少し冷静だったため、天理の手は肌触りが良くて、細くて綺麗だなと思った。


「どうしました?」


 本当にどうしたのだろうと、困惑した顔をする天理。


「なんで戻ろうとするの⁉」

「穴をあける訳にはいきませんから」

「真 面 目 か‼」


 再び天理をその場で座らせる。


「真面目というか、当たり前のことではないですか?」

「いやそうだけど!」

「ではなぜ?」


 そう思うのなら行かせてくれてもいいのに、なぜか行かせてくれる気配の無い彩羽の行動が心底理解できない天理は、かといって無視しようとせず、理解しようと歩み寄る。


「理由は二つ。一つは戻るのが教室だとしても戻る途中で絶対囲まれる。そしてもう一つは、こうなることを予想できていない六組の連中が悪い、一応助けようとはしてたけど」

「なるほど……。私が呼び込みをすれば、お客様が六組に来ていただけるというクラスメイトの目論見ははずれたという訳ですね」

「そういうこと」

「理解しました……」


 少し残念そうに顔を伏せた後――。


「では、仕方がありません。悪いことをしましょう」


 いつのも朗らかな笑みではなく、レースゲームで赤い甲羅を同じ人に三回連続で当てた時に出るような笑みを浮かべた天理である。


 こんな風に笑うのかと、少し驚いた彩羽が戸惑いがちに問う。


「悪いこと……?」

「はい、サボりです」

「おっ……おお!」


 天理は教室に戻らないということだ。


「それで、どうすればいいのでしょうか?」

「どうするって……どうしよう。スマホいじるとか?」


 サボりについて聞かれても、大してサボったことの無い彩羽は、サボっている時はなにをすればいいのかを知らない。


「なるほど」


 早速スマホを取り出す。


「なにするの?」

「勉強でもしようかと」

「えぇ……」


 サボっているのだが、サボっているといえるのか? まさか天理がここまで真面目だとは。


 でも本人がいいのなら別にいいのだ。彩羽はその様子を眺めながら時間を過ごす――。




(この時点ではまだ苗字呼びだったしなあ……)


 そこまで思い出していると、いつの間にか意識は朦朧としてきた。今日はこれ以上考えることができない、気持ちよく眠れるうちに寝ようと、彩羽は意識を手放すのだった。

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