――ライラの部下によってノアとナビアが案内された古城の一室は、外見に沿った中世的で品の良い意匠と調度品の揃う、居心地の良い部屋だった。
荷物は没収されたうえ、部屋の外には監視の
警戒厳重な牢屋のような場所に押し込められなくてひとまずよかった――と、少しほっとしながら部屋の中を一通り見て回ったノアは、縦に長い造りをした窓辺に立った。
窓は普通に開けられるようになっていたが、下は人工湖の湖面まで見事な断崖絶壁だ。
もともとこの部屋は城内でも高所にあるが……これがたとえ1階だったとしても、飛び降りて無事ですむ高さでないのは考えるまでもなく分かる。
「さすがに窓からはムリか……。
さて……それじゃあどうやって逃げるかな……」
「……やっぱり、逃げるの?」
いつもと違って大人しい妹の声に、ノアは思わずそちらへ視線を移す。
ベッドに腰かけたナビアは、俯き加減に何かを考え込んでいるようだった。
「どうした?
久しぶりに
ノアはナビアのもとに近寄るとその頭にそっと手を置き、ぽんぽんと軽く叩く。
そうして、隣のベッドに無造作に寝転がった。
「お前は春咲姫と同じように、一度、病気で死ぬかも知れないって思いをしたんだもんな。
俺なんかより、よっぽどさっきの話に共感するところもあっただろうし……。
それに――それにだ。
不死になれば、母さんと離れることもなくなるし……さ。
だからナビア、もし……もしもだぞ? お前が――」
「でも、そうしたら……。
そうしたらあたしは、お兄ちゃんやおじさんと離れなきゃいけなくなる」
ナビアは顔を上げると、ノアをキッと見据える。
ノアの懸念に反して、彼女は迷いなど感じられない、凛とした表情をしていた。
「あたしの考えは変わらないよ。
お兄ちゃんといっしょ。おじさんといっしょ。
――ただね、お母さんも、春咲姫も……みんな色々と考えてるんだな、色んな考えがあるんだな……って」
言って、今度はナビアがごろんとベッドに大の字になる。
そして、繊細な装飾の施された天井を見上げながら……「ねえ」と、どこか大人びた落ち着いた調子の声でノアに語りかけた。
「――お兄ちゃん、あたしね。
お母さんに裏切られたって思ったとき、初めはすごく悲しかった。つらかった。
……でもね、お兄ちゃんと一緒に、ゆるしてあげようって……憎んだり怒ったりするんじゃなくて、ゆるしてあげようって思ったらね……。
うん、もちろんまだ悲しいし、つらいけど……でもそう思ったら、何だかずっと、気持ちが楽になった気がするんだ」
「……俺もだ。
演技だったにしても、あれだけ親切にされたんだから、その落差でもっと大きなショックを受けると思ったのに……。
赦すって、そう決めて口にしたら……何だか本当の意味で吹っ切れたような気がしてさ。
まあ……あんまり一度に色んなことが起きすぎたから、まだ理解しきれていないだけなのかも知れないけど……」
「うん……そうだね。きっとそれもあるよね。
でもね、あたしはそれだけじゃないって思ってるよ。
――きっとね、あたしたち……お母さんとお父さんがいなくても、同じくらい大事にしてくれる人たちがいたからじゃないかな。
幸せだったから……じゃないかな」
「――そうか。
ああ、そうだな。きっと……そうなんだろうな」
ナビアの言葉に、大きく同意するノア。
そうして、目を閉じると――。
幼い頃、それこそ母のように自分たちを慈しんでくれた春咲姫の、優しい笑顔が。
そして――。
ともに過ごしたのはまだ短い時間でしかないが、父のように自分たちを護り、導いてくれたカインの、大きな背中が……。
居並ぶように、瞼の裏に浮かび上がった。
* * *
人工湖の中央付近、突き出た岩山を土台にするような形で聳える古城――。
そこへ続く道路には、見事な彫刻の施された大きなアーチが幾つも連なり……さながら、神殿へ向かう参道のようだった。
その道を――静かに礼拝へと向かう信者どころか、迷い込んだ暴れ馬のごとき猛々しく乱暴な勢いで、グレンの操る大型のバイクは駆け上る。
途中で、後部座席にいたカインは速度をものともせずに飛び降りると――そのまま植え込みの陰に身を潜めた。
一方グレンはそのまま、門前のロータリーに躍り出るや……暴れ馬を華麗に御して大人しくさせ、警備にあたっていた二人の枝裁鋏隊員の度肝を抜く。
「よう、ここに春咲姫がいらっしゃっているよな?
ウチのボスの使いで緊急の用件があるんだが、通してもらえるかい?」
荒っぽい登場をしておきながら、気さくにそう声をかけてくるグレンに……警戒心も露わな警備の二人は、顔を見合わせた後、端末を取り出す。
「申し訳ありませんが、少々お待ちいただけますか?
ただ今、ライラ様にお伺いを――」
「あ〜……悪ぃな、それは困る」
言うが早いか、グレンの手がその端末を取り上げる。
そして――。
電光石火の膝蹴りを警備の腹部に突き刺し、身体がくの字に折れたところで頭を脇に抱え、捻りを加えて頸椎を破壊した。
刹那の出来事に、悲鳴を上げる間もなく警備は崩れ落ちる。
そうしてグレンが傍らを見やれば――もう一人の警備も、騒ぎに乗じて近付いていたカインに、音も無く打ち倒されたところだった。
「さて……それじゃ、打ち合わせ通りに。
――いいな?」
「ああ。そちらは任せる」
――古城の構造を知り、現代の機械の扱いも可能なグレンが、階下へ降りて人工湖へ脱出するための遊覧用ボートを確保。
その間に、軟禁場所として最も可能性の高い上階から、カインが兄妹を捜索していく……というのが、二人が移動中に打ち合わせた役割分担だった。
「――っと、ちょっと待った」
すぐ行動に移ろうとするカインを呼び止め、グレンは警備から奪った端末を、多少弄り回してから投げ渡す。
「……そこのマークに触れるだけで、俺への回線が直接開くようにした。
何かあったら連絡してくれ」
一つ頷いて渡された端末をしまい込むと、カインは黒衣を翻し、城内へと走り去る。
照明が煌々と輝くエントランスホールに、染みのように現れたはずの黒い影はしかし……目の錯覚かと疑うほどの速さで姿を消し、瞬く間に風景の中に溶け込んでしまった。
そのあまりに卓越した隠形の技に、一瞬見惚れて舌を巻くグレンだったが……。
自分もぐずぐずしている場合ではないと思い直し――。
カインの後を追って、城内へ足を踏み入れた。