「私の力を借りたい……だと?」
――兄妹の生家を飛び出したところで出会った、彼らを追っていたはずの、
思わずそれを繰り返すカインに、バイクにまたがったまま相対するグレンは、神妙に頷いてみせた。
「……一体どういうことだ。何を企んでいる」
「企んでいる……と言えば、まァ、企んでいることにもなるんだろうが……アンタたちに害になることじゃない。
今はとにかく、素直にアンタをアテにしてるだけだ――あの兄妹を助けるためにな」
油断なくグレンの挙動に注意を払ったまま、カインは眉をひそめる。
「助ける、だと?
連れ去ったのはお前たちだろう……!」
「数日前なら、その通りと認めるだけだったんだが……あいにく、今はそうでもなくてな」
困り顔で、グレンはがしがしと乱暴に頭を掻いた。
「このままだと――」
――兄妹の実母、マルタから二人を引き取った
そのまま
「それで……どういうことなの? ライラ」
それだけに、ライラから端末越しに指示された通り、兄妹を車内に残して外に出た春咲姫は。
待っていた当の本人に、すぐさまその問いを率直にぶつけていた。
しかし、古城前のロータリーに立つライラは、珍しいことにそれに対してすぐに応えることなく――。
春咲姫に背を向けたまま、何か気になることでもあるのか、静かに月を見上げている。
その姿に、一瞬……春咲姫は奇妙な不安を感じた。
だから、それを振り払う意も込めて、もう一度強く、ライラの名を呼ぶ。
「――ねえ、ライラ!」
「このままだと……何だと言うのだ?」
カインが問い直すも、グレンはすぐには言葉を続けない。
頭を掻く手も止まっていた。
よほど言いにくいことなのか、僅かながら逡巡を見せてグレンは――。
やがてはっきりとそれを口にする。
「このままだと――あの兄妹は、殺される」
「……何だと……?」
一瞬、カインはその言葉を理解出来なかった。
この
それは、あまりにも現実感のない言葉だったからだ。
しかし、それはすぐさま本来の意味を取り戻して、カインの胸の内に染み渡る。
バカバカしい、あまりにもくだらない冗談だと聞き流すには――向けられるグレンの眼差しは、あまりにも真剣だった。
「……殺されるんだよ、あの二人は。
アンタも戦り合った、あのライラという女の手で――な」
「分かってる、聞こえてるわ。
……ここに寄ったのはね、用心のためよ」
ライラは春咲姫の問いに、そう答えてようやく振り返った。
「あの子たちに協力者がいるのは知っているでしょう?
マルタが引き離してくれたし、わたしの部下たちが足止めしたでしょうけど、それでも気は抜けないわ。
――だからね、車だけ囮として先に行かせて、あなたたちにはこの城で少し様子を見てもらうことにしたの」
春咲姫はその『協力者』について、詳しいことは教えられていなかった。
だが、ライラやグレンほどの人間が後れを取ったというぐらいだから、相当な腕利きなのだとは理解している。
しかも件の人物は、ヨシュアに死すら与えているのだ。
慎重に慎重を期す――というのは、決して間違いではないだろう。
春咲姫は了承の意味も込めて素直に頷いたが、少し不満げでもあった。
「でも、それならそうと、初めから言っておいてくれれば良かったのに」
「ごめんなさい。
……ここ、最近使ってなかったでしょう? だから、設備の点検と準備に予想以上に時間がかかってしまって。
ぎりぎりまで、実際に使えるかどうかの判断が下せなかったから」
ライラは微苦笑を浮かべる。
「…………?」
春咲姫は、先に感じた奇妙な不安のように、そこになぜか、微かな違和感を覚えたように思ったが――。
それも、正体を掴めるほどではなかった。
「カイン。アンタもこっちへ来る途中、人工湖を渡る際に古城を見たと思うが……。
ライラは、あの古城に一行を足止めした上で、独断で兄妹を暗殺するつもりらしい。
一度天咲茎に戻れば機会は無いに等しいからな……手を下すなら今しかないと踏んだんだろう」
グレンが言うと、カインは信じられないとばかりに、大きく首を振る。
「……どうしてだ。
「もちろん、これまではそうだった。
だが――ヨシュアが死んだからな」
グレンはぽつりと、色の抜けた声で呟いた。
「ライラは昔から、春咲姫と庭都を護ることに固執していた。
それを害する可能性のあるものは、いかなる手段を用いてでも排除しようと考えるほどに。
そこに、本来ならこの庭都ではありえないはずの、ヨシュアの死だ――。
直接手を下したのはアンタでも、その死をもたらすきっかけとなったことで、あの兄妹も、彼女にとっては春咲姫と庭都に仇なす、危険な存在となったんだろう。
そして枝裁鋏の――彼女の部下は、誰もがその考えに賛同している。
いや実際、彼女の考えを聞けば、他にもなびく人間は少なからずいるだろう。
庭都の平穏のためにも、春咲姫自身のためにも……その意志に背くことになろうと、災厄の芽は早々に摘み取るべきだ、とな。
それだけ『死』とは、新史生まれの庭都の住民にとって大きいものだからだ。
――ともかく、ライラの決意に真っ先に勘付いたうちのボスの指示で、俺は彼女の動向に注意を払っていた。
それで何とか、この計画を嗅ぎ付けることが出来たわけだが……。
ライラはアンタも知っての通り、手練れだ。
俺も一対一なら何とかなるかも知れんが……向こうは他に部下もいる状況で、しかも子供二人を助け出すとなると……さすがに手に余る」
「……そこで、私の手を借りたいというわけか。
だがそれなら、お前にも協力者はいるだろう。指示を出したボスも、それに部下も。
それで――どうして私なのだ?」
カインの問いかけに、グレンは困ったように相好を崩した。
それはどこか、悪戯を企む子供のような――それでいて落ち着きも伴った、決意の宿る涼やかですらある笑みだ。
「……なに。
うちのボスには悪いが、俺は俺で独自の判断を下そうと――そう思っていてな」
「でも……やっぱり、結果として正解だったみたいね」
車の中で俯く兄妹を、遠目にちらりと見やり……ライラはそう切り出した。
「え? 何が?」
「天咲茎にすぐ戻らず、ここで少し時間を過ごそうって話。
車の中で色々と話をしていたんでしょうけど……あの子たちもあなたも、少し落ち着くための時間が必要なように思えるから」
「あ、うん……そうだね。
それは……そうかも知れない」
ライラの言葉に、自身としても思うところがあるのだろう、春咲姫は素直に頷く。
実際ライラは、春咲姫の様子に、普段と違う何か焦燥感めいた――切迫した空気を感じたゆえの発言だったので、全くの嘘というわけではない。
だが、やはり少女を騙すことへの罪の意識が……ちくりと、ライラの胸を刺した。
――だけど、これは必要なこと。この子を護るために……。
無意識に、そっと胸元に手を当て……ライラは改めて自分に言い聞かせる。
あの兄妹は洗礼を受けて不死になったところで、考えを改めることなどないだろう。
そしてその考えは、庭都には不要の、混乱と恐怖を撒き散らすだけだ。
それを止めるには――殺すしかないのだ。
「……さて、あんまりここでこうして長話していたら、囮の意味がなくなってしまうものね。
車を行かせるから、あなたはもう城内に入りなさい。
部屋の方は準備してあるから」
「ノアとナビアは?」
「もちろん客人として、ちゃんとした部屋を用意させたわ。
……さすがに、あなたとは別の部屋にさせてもらうけれどね」
「……独自の判断?
それが、先に言っていた……お前が企んでいることとやらか?」
カインの問いに、グレンは素直に「ああそうだ」と首肯する。
「……まず俺のボスは、春咲姫という存在だけでなく、その意志も護ることに一片の迷いもない。
だから、春咲姫の願いに逆らうようなことは絶対にしない。
そして春咲姫は……あの嬢ちゃんは、強い娘だが、その強さゆえに、やはりあの兄妹を不死にすることを止めようとはしないだろう。
つまり、俺がボスの指示に従う限り――あの子らは命は助かっても、不死にならざるをえない、ということになる。
だが……それではダメなんだよ。
直接目の当たりにした俺には分かる。
たとえ不死になったところで、あの子らの考えは変わらないだろう。
そしてそれでは結局……ライラが危惧するように、庭都に混乱を引き起こす火種になってしまうだけだ。
だから――俺は、もう一つの手段を取ることにしたのさ」
言って、グレンは懐を探ると、カードのようなものを2枚、カインに投げて寄越す。
受け止めたカインは、それが、以前ノアの使っていた端末であることに気付いた。
田園地区で隠れ家を強襲された折、失っていたものだ。
「その
僅かな逡巡の時間を経て、ここで口を閉ざすことに意味がないと結論付けたカインは――その通りだと認めた。
グレンもまた、満足そうに頷き返す。
「あの子らの主張の是非はともかくとして、庭都にいる限り、その存在が
そしてそれは、俺としても望んでいない。
だから俺は、二人が庭都を出て地上に降りる気でいるのなら……それが一番、事が丸く収まるはずだし、手助けしようと思ってな。
それで、あの子らの保護者のアンタを協力者に選んだ――と、そういうわけだ」
「我々とお前と、そして庭都の利害が一致すると……そういうことか。
だがお前は、不死の身でありながら、不死を否定する彼らの意志を擁護して……それでいいのか?」
グレンはその問いに、微かにフン、と鼻を鳴らす。
それは、自分で自分の滑稽さを笑っているように……カインは感じた。
「こう見えて俺も、子を持つ親の身でな。
子供が、こうだと決めた強い想いがあるのなら……そしてそれが、少なくとも俺の主観で間違いとも言えないものなら……。
出来る限り、貫き通させてやりたいと――そう、ガラにもなく思っちまってな」
「…………」
グレンの心底の奥まで見透かそうとするように、鋭い目を真っ直ぐに向けていたカインは――。
やや間を置いて渋面のままに、しかしさしたる躊躇いもなく……首を縦に振った。
「分かった――お前に協力しよう」
その言葉を聞くや否や、グレンはバイクのエンジンをスタートし……。
手慣れた動きでその場で車体を半回転させると、乗れとばかりに後部席を親指で指し示した。
「……一つ、言っておく」
黒衣の裾を翻し、指示通り後部席にまたがったカインは、低い声でそう切り出した。
「決して裏切るような真似はするな。
もし、あの子らの身に何かあれば……いかなる手段を用いようとも、私は必ずお前を殺す。
覚えておくんだな」
「勿論だ。
だが、それならそっちにも覚えておいてもらうが――」
肩越しにカインを振り返り、グレンもぞっとするような声で告げる。
「ライラや、その部下を手に掛けるのは仕方ない。
だがもし、いかに記憶を失っているとはいえ、アンタが春咲姫の嬢ちゃんにまで牙を剥くような真似をすれば――タダでは済まさん」
「……なぜ、私が記憶が無いことを知っている?」
「それも坊主の端末からな。
……アンタが記憶を取り戻す手がかりになればと、色々調べていたようだぞ?」
グレンの返答に、そうか、とカインは頷く。
「――安心しろ。
いくらその春咲姫が不老不死の源だろうと、戦意も無い少女を無闇に手にかけたりはせん」
カインの返事に、グレンは一応は満足したのか、鼻を一つ鳴らして前を向く。
そして、さながら鬨の声のように――。
エンジンを大きく一度、空吹かしさせた。
「よし――飛ばすぞ! 振り落とされるなよ!」