「結局さ……
アンタは、俺たちのために本当のことを隠していたんだな」
向かい合わせで座れるよう設計された、送迎用の大きな車の中――。
隣り合う自分たち兄妹の対面、一人ぽつんと座る春咲姫に、ノアは問うた。
……母の家を出てこの車に乗せられてから、既に1時間は過ぎている。
その間の沈黙を破り、初めて発せられた言葉だった。
春咲姫は、一度顔を上げて兄妹を見比べた後……僅かに目を伏せて頷いた。
「ノア……あなたの才能に、わたしたちが目を付けたのは本当だよ。
だから――」
「だから、死を忌み嫌う母親から押し付けられたんじゃなく、むしろ、自分たちが母親に無理を言って引き取った――そんな形にしたわけか」
「……ええ、そう。
マルタがどう考えているにせよ、母親の方から突き放されたっていう事実は……子供には、つらいと思ったから。
余計なことを……って、そう思われても仕方がないけれど」
「そんなの――そんなの、思わないよ……!」
ノアが答えるより先に、ナビアが身を乗り出して言った。
「ナビアの言う通りだ。
……ただでさえ俺なんて、母さんのこと薄情だってずっと憎み続けてたんだ。
なのに、子供の頃からこんな事実を知らされていたら、それこそどれだけショックだったか分からない。
――だから、それについては感謝してるよ。
これだけの時間の猶予があったから、俺もナビアも……母さんを
「……ありがとう。
うん……
見違えるほど強くなったんだね、二人とも」
優しい声で言う春咲姫は、まぶしいものでも見るかのように目を細める。
その表情を、観察するようにじっと見続けていたノアは……小さく首を振った。
「……なんでだ?」
何が言いたいのかと首を傾げる春咲姫。
ノアは強い語気で問いただす。
「アンタは、俺たちを捕まえようとしていた。連れ戻したがっていたんじゃないか。
……なのに、どうしてそんな顔をするんだ。
そんな……何とも言えない顔を」
「わたし……そんなに変な顔をしてる?」
「何かが気になって、微妙に後ろ髪を引かれてる――そんな感じがする。
そう、車に乗る前から」
ナビアも頷いて同意を示す。
春咲姫は、ふと自分の顔に手を遣り……そして苦笑をもらした。
「……そっか。
そうだね、今のわたしには……嬉しいっていう気持ちと、哀しいっていう気持ちが同居してるから。
――わたしね、生まれたばかりのあなたたちを預かったとき、マルタとわたしの個人端末の間に、直通の回線を設けておいたの。
もしマルタが後で思い直して、あなたたちと会いたいと思ったときは……すぐに、いつでも、その願いを叶えられるように、って。
そして、今回は――その直通回線を使って、わたしからマルタに連絡を取ったの。
事情を一通り話して、もしもあなたたちが現れるようなことがあったら、報せてほしい……って。
そうしたら――」
「そうしたら……本当に連絡が来た、ってわけか。
子供に会いたい――どころか、子供をもう一度引き取って欲しい、っていう連絡が」
なるべく感情的にならないようにと自制しているのだろうが、さすがに抑えきれるものでもないのだろう。
淡々とそうつぶやくノアからは、やり切れない落胆の念がにじみ出ていた。
春咲姫はそんなノアを気遣うように見つめながら、静かにそれを認める。
「あなたたちを、こうして無事に保護出来たことは素直に嬉しい。
でも……母親が、危険を承知で会いに来た子供を、躊躇いなく引き渡したのが……哀しいの。
わたしは子供を産むことが出来ないし、実の母とは幼い頃に死に別れているから、親がどういうものか――特に母親については、本当の意味で分かっているとは言えないけど、でも……やっぱり、哀しくて」
俯く春咲姫の顔を、ずいと身を乗り出して心配そうに覗き込んだナビアは……。
膝の上で握り締められたその小さな拳に、そっと自らの手を重ねる。
春咲姫はその手を、今度は自分の両手で包み込み、優しく微笑んだ。
「――ありがとう、ナビア。
本当につらいのはあなたたちなのに……ごめんね」
「……なあ、春咲姫」
二人のやり取りを見守っていたノアは、何かを心に決めたのか、居住まいを正し、改めて春咲姫に正対した。
「アンタはそうやって、俺たちのことを何かと思いやってくれた。
なら……俺たちの、不死にはならず、人として生き、人として死にたいっていう意志も、尊重してくれないか。
俺たちは庭都を離れて、地上に降りることを決めたんだから。
だから……頼む、俺たちを解放してくれ。
俺たちだって、世話になったアンタと争うようなことはしたくないんだ……!」
以前は、そんな要求が受け入れられるなどとは夢にも思わなかった。
だから逃げ出したのだ。
だが今ノアは、春咲姫なら話せば分かってくれるに違いないと思えていた。
そして、彼女さえ首を縦に振ってくれたなら、もう不毛な争いも逃亡も必要なく、大手を振って地上へ向かえるのだ。
それはまさしく、文句のつけようのない理想的な結末だ。
対して春咲姫は、言葉を選ぶようにしばしの間を置いてから……口を開いた。
「――ノア、ナビア。
誰にも言っていないことだけど……わたし、ね。
この1000年の間ずっと、心の片隅に引っかかって捨てきれずにいた、一つの疑問があるの。
そう……。
わたしは、不老不死になって……本当に良かったんだろうか、って。
……そんな疑問が――ね」
春咲姫のその告白に、ノアもナビアも――文字通り、言葉を失う。
それも当然だった。
庭都すべての不老不死の源、ただ一人
「でもね、あのとき……死にたくなかったのも事実。
昔……わたしは、治る見込みのない病気で、いつ死んでしまうかも知れない命だった。
そんなわたしが生きるためには、不凋花を受け入れて、不死になるしかなかったの。
もちろん、わたしはそれを拒否することも出来た。
……でも、不老不死の持つ意味を理解して――そこに罪深さを感じながらも、わたしは生きたいと願った。
必死に、がむしゃらに、生きたいって……願ってしまった」
そこに含まれているのは、浅ましくも生に縋りついてしまったとの自嘲の念か――。
窓に映り込んだ自分と目を合わせ、春咲姫は微かに笑った。
ノアもナビアも、ただただ息を呑んで……。
1000年を超える時を生きてきた少女の告白に、聞き入るしかなかった。
「……不凋花を体内に取り入れる手術が終わって、わたしが目を覚ましたときには……もうウェスペルスやライラたちが、わたしの中の不凋花を通して不老不死になっていた。
そのときからわたしの命は、わたしだけのものじゃなくなったの。
それは同時に、そうして繋がるみんなの命の重さを背負うことでもあったから。
……もちろん、それが嫌だったわけじゃない。
わたしは純粋に、生きることが出来て嬉しかったし、何よりも、永遠を生きるのに一人じゃなく、仲間がいてくれることが嬉しかった。
だから、ウェスペルスたちが、わたしたちだけじゃなく、誰もが死なずにすむ理想の世界を創ろう――って言ってくれたとき、わたしは喜んで賛成した。
そうして……世界を破滅に追いやったあの大戦を挟んで、長い年月をかけて……生き残った僅かな人々を集めたわたしたちは、この庭都を造った。
人々の意見の違いや衝突もあって、常に順風満帆だったとは言えないけど……ようやく庭都は、限りなく理想に近い形で、平和な世界を実現した。
そしてわたしも、その平和な時間のうちに、心の片隅に刺さった小さなトゲのような疑問を――その痛みを、意識することなく過ごすことが出来た。
庭都のみんなが幸せに暮らしてくれている、だからわたしが不死になったことは間違いなんかじゃなかったって……そう素直に思えたから。
でも、ある日――。
不老不死が当たり前になったこの世界で、死がある命こそ正しい、本来の人間の生き方だって……洗礼を拒否して逃げる子供たちが現れた――」
「……それ、って……」「俺たちのこと、か」
兄妹の確認に、春咲姫は二人の方へ向き直って小さく頷く。
「……わたしにはそれが、啓示のように思えた。
お前の在りようは本当に正しいことなのか、もう一度自ら問い直せと、そう言われている気がした。
だから……だから、わたしは――」
そこまで言ったところで、春咲姫は急に口をつぐんだ。
その先の思いは禁忌であり、決して言葉にしてはならないとばかりに……固く唇を結んで。
そうして自ら、何かを否定するかのように首を振り――呑み込んだ言葉は外へ出すことなく、「とにかく」と話を続ける。
「わたしが……不老不死に疑問を抱き続けてきたのは事実。
あのとき、やっぱりわたしは死ぬべきだったんじゃないかって、そう思うこともあるぐらいに……ね」
「それならなおさら、俺たちの考え、理解出来るだろう?」
「うん……そうだね」
理解が得られるのなら大丈夫だと目を輝かせるノア。
しかし春咲姫は、一転して厳しく――。
そしてどこか沈鬱な表情で、静かに首を横に振った。
「でも――ごめんなさい。
あなたたちの考えもよく分かる、けれど、だからこそ……。
わたしは、あなたたちを――。
あなたたちの選んだ生き方を、認めるわけにはいかないの……決して」
「な……なんだよ、それ。どうして……!」
「それを認めるということは……わたしの、わたし自身の生き方について抱き続けてきた疑問――それこそが正しいと、はっきり認めることでもあるの。
事が、わたし一人だけの問題ならそれでもいい。
でも、それなら、わたしを通じて不老不死になった庭都のみんなはどうなるの?
わたしを信じてくれるみんなの、幸せで平穏な生活を、全部間違いだったって否定しろと言うの? 今さら?
そんな、みんなの命を弄ぶようなこと……認められない。
認められるわけ――ない……っ!」
春咲姫は、喉の奥から一言一句、絞り出すようにして……心情を吐き出した。
それは、聞いている方がつらくなるほどに悲痛な、文字通りに心からの声だった。
現に兄妹も、しばし沈んだ面持ちで言葉を失っていたが……やがて顔を上げたノアが、何かを言おうとしたそのとき。
待ったをかけるように、春咲姫が傍らに置いていた
同時に、車が大きく減速し……。
天咲茎に戻る上では曲がる必要などないこの人工湖の橋上で、ゆっくりと弧を描き始める。
「え? どうして……ライラ?」
端末で呼び出してきている相手が、列の先頭車両にいるライラだと気付いた春咲姫は、事情を尋ねようと端末の回線を開く。
「お兄ちゃん、ここって……」
窓から外を見てつぶやくナビアに、ノアは頷いて応じる。
やがて、車列がその動きを止めたのは――。
人工湖の途上にある、荘厳な古城の前だった。