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第2節 母たる者へ、子たる者へ Ⅴ


 ノアに頼まれた、地上へ続くエレベーター近辺の調査の後――。

 夜の訪れとともに現れた敵対者の一団に、カインは取り囲まれていた。


 直接的な攻撃は仕掛けず、闇に身を潜め、消音器を使った遠距離からの銃撃に専念する――。

 そんな敵対者の意図が、牽制にあるのは明らかだった。


 いかに彼我の力量に差があろうとも、こうして相応の訓練を積んだ人間が、複数で牽制に徹するとなると突破するのは容易ではない。

 それはカインといえど例外ではなかったが――。


 しかし、すべてが敵対者の思惑通り、とはいかなかった。


 僅かな銃火を手掛かりに、短時間で闇の向こうの気配を正確に嗅ぎ取ったカインは、敵対者の視界と思考、その両方にとっての死角から襲いかかり――。

 相手が気が付く間も与えず、一人ずつ静かに、速やかに意識を刈り取っていく。


 そうして――。


 かつて最高の暗殺者として畏怖された技量をいかんなく発揮し、全員を無力化したカインは……一息つく暇も置かず街路を駆けた。


 待ち伏せ、そして足止めによる時間稼ぎ――その意味するところは一つしかない。


 あるいはエレベーター周辺の警備すらも、調査に時間をかけるよう計算された上での罠だったのかも知れない……。

 考えれば考えるほどに焦りは増し、地を蹴る足に力がこもる。




 ……ようやく戻り着いた双子の生家からは、昼間あったはずの賑やかさが消えていた。


 焦る気持ちそのままに玄関を荒々しく開き、居間へ押し入るカイン。


 その音でようやく気付いたのか――。

 ソファで一人くつろいでいたらしい家主は、小さく悲鳴を上げて跳ね起きた。



「ど、どうして……!?

 指示通りなんだから、枝裁鋏シアーズの人が捕まえてくれているはずじゃ……」



 マルタの口から漏れ出たその一言は、カインに状況を理解させるには充分だった。


「あの子たちは――どうした」


 居間を睨め回し、カインは問う。


 マルタは、初めこそ怯えを見せていたものの……。

 優位にあるのは自分だと踏んだのか、虚勢を張るように不敵に微笑み、大きく両手を広げて見せた。



「……見ての通りよ。

 花冠院ガーランドに引き取ってもらったわ」



「自分の子供だろう……!

 長らく会わずとも、お前を慕い、最後の別れをと会いに来た子供たちだろう……!

 それを、騙し、挙げ句に売ったと言うのか……!」


 一瞬の事ながら――怒りも露わに、カインは脇に下げた拳を握り締める。


 ノアたちがこの場にいれば、初めて見る姿に驚いたに違いない。

 それほどの、感情の発露だった。


 だが――そうした強い感情の波は、鏡のように相手の感情の高ぶりをも煽る。

 眉間に深く皺を刻んだマルタの語気にも、勢いが乗った。


「人聞きの悪いことを言わないで!

 これはあの子たちのためでもあるのだから!」


「不死を否定するあの子らの信念を知りながら……それを黙殺することが、善意だと言うのか?」


 カインの言葉に、マルタは片頬を歪めた。

 ……バカバカしい、と笑い飛ばすように。


「不死を否定する理由なんて知らないわ。

 あの子たちも一言も言わなかったし、そんな愚にも付かない話、わざわざ聞きたいとも思わなかったもの。

 ……はっきり言ってあげるわ。

 命というのは、生きるために産まれてくる――だから、生きることこそが、役割に沿った最も機能的で美しい状態なのよ。

 『死』なんていう欠陥はあるべきじゃない。――もってのほかだわ」


「では……あの子たちのことなど、愛しくはないと言うのか?」


「愛しいわよ? 死ぬことなどない、完全な命であるのならね。

 ――けれどいざ産んでみれば、赤ん坊なんて、いつ死に迎えられてもおかしくない、不愉快で空恐ろしい存在だったのよ」


 カインは顔をしかめる。

 その中に浮かぶのは、怒りよりもむしろ――悲哀だった。


 ノアたち兄妹への。

 そして……この母親への。


 嫌悪も露わに自分を睨み付けるマルタに、背を向けると……。

 そのままカインは、教え、諭すように静かな口調で告げた。


「お前の言う通り、人は、人としては産まれてこない。

 放っておけば、いずれ死ぬか、獣になるだけだ。

 だからこそ、誰かが人間にしてやらなければならない。

 護り、教え、導かねばならない。

 そして、その役目を第一に担うのは……誰でもない、実の親であるべきだったはずだ」


「何を、知った風なことを……」


「役割に沿うのが、機能的で美しいとお前は言ったが。

 ならば……親というものを履き違え、親としての役割を自ら放棄したお前自身がどうなのか。

 ――今一度、考えてみるんだな」





     *     *     *



「……バカバカしい。わたしに何の非があるというの……!」


 自分に言い聞かせるように呟くマルタの脳裏に……。

 先刻春咲姫フローラに連れられ、ここから去っていった兄妹の姿が思い起こされる。



 言葉もなくうなだれるナビアと、顔を上げてマルタを見据え続けるノア。



 動作こそ対照的ながら、二人の感情の色は同じだった。

 怒りというより、悲しみと失望に染まった暗い色。


 それでも、彼女は何を気に留めることもなかった。


 だから、ノアが淡々と発した「全部演技だったんだな」という問いにも、何ら気後れすることなく真実を――。

 かつて、産まれたばかりの二人を春咲姫に預けたのは自分からだという……真実を告げた。


 そして、洗礼を受けて不死になりさえすれば、疑いようもなくお互い、本当の親子として、愛し、愛されるようになるという真意を告げた。


 それに対して、あの子たちはどんな反応をしただろうか?



 ――そうだ。二人ともが、首を横に振った。



 もちろん、まだ不死でない二人が、自分の言うことを正しく理解出来るなどとは思わなかった。

 それにもかかわらず二人ともが、何かを悟ったような表情で……ゆっくりと大きく、首を振っていた。

 そして、ノアは言った。

 苦痛を堪えるように、眉間に幾重にも皺を寄せながら、しかし静かな声で言った。



「俺もナビアも、アンタを恨んだりしない。ゆるすさ。

 優しくしてくれたのが演技でも、アンタが母親なのは間違いないし、良かれと思ってのことだって言うんだから。だから――赦すよ。


 それから、もう一つ。


 ――俺たちを産んでくれて、ありがとう。

 そして…………さよなら。――母さん」



 礼を言われるのは当たり前だ。

 今しばらくの別れも間違いではない。


 だが、赦されなければならないようなことなどしていない。

 ましてや、愚かな思想に取りつかれたままの子供になど……。


「バカバカしい……!」


 そう……気に留めるほどのことではないはずだった。

 なのに、ふつふつと沸き起こる苛立ち……。


 それに突き動かされるように、ふと視線を上げるマルタ。


 その目に止まったのは戸口だった。

 ……背を向けた黒衣の男の残像が――そこに重なる。



『親としての役割を自ら放棄したお前自身がどうなのか。

 ――今一度、考えてみるんだな』



「っ! あなたなんかに、何が分かると言うの……!」


 記憶の中の背中に直接叩き付けるように、マルタは罵声を放つ。


 そう――何が分かると言うのか。

 不死を否定する、愚かで不完全な人間などに――何が。





     *     *     *



 ――カインは兄妹の生家を後にした。


 強く吹き抜ける夜風は、彼自身気付かないほど、いつの間にか熱くなっていた頭を冷やしていく。


 不死を肯定する者と、否定する者――。

 そもそもの価値観が根本的に違う以上、何を言おうと馬耳東風に終わるのは分かり切っていた。

 だが、それでも……カインは、胸からあふれる言葉を抑え込むことが出来なかった。


 兄妹の抱いたであろう無念を、僅かでも代弁したかったのか。

 それとも――。

 失われた記憶の中に、彼女の発言に反応してしまうような何かがあったのか。


 一時立ち止まり、天を見上げるが……それで答えが出るものでもない。


 ともかく、連れ去られた二人を追いかけなければ……と、カインは足を踏み出す。

 二人を連れ去った人間がどんな道を辿るにせよ、行き先は天咲茎ストークで間違いないはず――。


 夜にあってなお、他を圧して中心地に聳えるのが分かる尖塔を、遠目に確かめるカイン。


「――――っ!?」


 その目を、突然――脇からの強い光が射た。

 反射的に身構えながら、光が焼き付いてくらむ目をすがめて、そちらへ向き直る。



「ここに来れば会えると思ったのは、やはり間違いじゃなかったみたいだな」



 白い光の向こうから、聞き覚えのある男の声がした。

 合わせて光が弱まり――闇との合間に、一つの像が形を結ぶ。



 そこにいたのは、枝裁鋏特有の赤いスーツに身を包み、大型のバイクにまたがった、髭面の男――グレンだった。



「貴様は……!」


「グレン、だ。

 ……光栄だな、覚えていてくれたか」


 グレンは髭に覆われた頬を微かに上げる。笑ったらしい。


「なるほど、今度は貴様が足止めをするということか。

 だが――」


 視力はまだ完全に元に戻っていなかったが、気配さえ捉えているならそれだけでカインには充分だった。


 全力をもって一瞬でカタを付けようと腰を沈めるが……。

 それに対し当のグレンが、敵意はないとばかりに大きく両手を挙げ――制止を呼びかける。


「――待った!

 勘違いするな、俺はアンタと戦り合うためにここまで来たわけじゃない」


「……なんだと?」


 警戒しながらも……カインは今にも襲いかかろうと四肢に溜めていた力を逃がし、ゆっくりと構えを解く。

 言葉の真意はともかく、事実としてグレンに敵意がないのを、気配で察したからだ。


「ならば――何が目的だ」


 大袈裟に挙げていた両手を下ろすと、グレンは自身の髭をそっと撫でつける。


 そして――打って変わって真摯に。

 カインを真っ直ぐに見据えながら訴えた。



「――単刀直入に言おう。

 カイン、アンタのその力を……貸してもらいたい」



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