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第1節 葬悉教会 Ⅱ


 ……ウェスペルスによってもたらされたヨシュアの訃報に、春咲姫フローラの書斎は、重苦しい沈黙に支配されていた。

 まるでその沈黙自体が質量を備えていて、圧し潰されるような……そんな錯覚すら覚える。


 このままでは、本当に膝を突いてしまいそう――。


 サラがそんな風に弱気を感じたそのとき、俯いたまま押し黙っていたウェスペルスが、ようやく口を開いた。

 それで、何とかサラも気を持ち直す。


「ヨシュアのことは確かに残念だけれど……彼は、勝手な行動に走り過ぎていた。

 だから、酷な言い方だけれど、自業自得と言えなくもない。

 ――だけど、問題は……彼の喪失というだけには留まらない」


 ウェスペルスの言葉に小さく頷く春咲姫……その愛らしい顔に、ヨシュアを喪ったという悲しみとはまた別種の影が射した。


 その原因については、サラにもおおよそ見当が付く。



 死から解放されたはずのこの庭都ガーデンで、死者が出たという事実――。

 それを知った人々の反応の大きさを、二人は懸念しているのだ……と。



 ――両親がともに旧史生まれということもあって、サラは自分が、死の持つ負のイメージに比較的耐性がある方だと思っている。

 だがそれでも、ヨシュアの訃報には心臓を直接揺さぶられるような……形容するのも難しい、強く響く衝撃を受けたのだ。


 ならば……自分よりももっと過敏に、死を恐れている人たちはどうだろう。

 庭都に住む人間の多くが、そうであるはずなのだ。


 そんな人々が、この庭都で死者が出たということを知ったら――どれほどの混乱が起こるのか。

 それは、およそ想像しきれるものではなかった。


「幸いにして……と言うべきなのか、僕ら花冠院ガーランドを除いてこの事実を知るのは、枝裁鋏シアーズの一部の人間だけだ。

 だからこのことは、しばらくの間、ヘタに公表したりしない方がいいと思う」


 ウェスペルスの提案に、春咲姫は、それは……と小さく首を振る。


 彼女が、その対応は誠実さに欠ける――と、そう言わんとしているのは、サラにもよく分かった。

 そしてサラに分かるのだから、ウェスペルスには当然周知のことだったのだろう……彼は迷うことなく言葉を続ける。


「分かっているよ。もちろん、このまま彼の死を無かったことにしようとか、そういうわけじゃない。

 いずれきちんとした式典をもって、彼の魂を慰め、労った上で埋葬する。

 これまで彼はずっと、庭都に住まう人々のために力を尽くしてくれたんだから……当然のことだ。

 ――だけどそれは、ノアたちの件が片付いてからにするべきだと思うんだ。

 今すぐにこのことを公表したりすれば、混乱に混乱が重なって……取り返しがつかないほどのうねりになりかねない」


「混乱に混乱が、って――ウェスペルス、まさか」


「ああ。こうなった以上は、庭都全域にあの子たちのことを報せるべきだと思うんだ。

 あの子たちを追うだけならまだしも……死をもたらす可能性がある、危険な人物が同行しているとなると話は変わってくる。

 一刻も早く彼らを確保しなければ、また被害者が出るかも知れないのだから。

 ……情報を公開してしまえば、洗礼を拒否したというあの子たちはこの先、僕らの下へ帰ってきたところで、不利な立場に立たされることになるかも知れない。

 場合によっては、庭都の秩序を案じる住民たちが、処罰を求めたりするかも知れない。

 でも僕らは、あの子たちだけを守るというわけにはいかないんだ。だから――」


「それは分かってる!」


 ウェスペルスの口上に割り込むように、珍しく春咲姫が声を張り上げた――サラでさえ、記憶にないほどの声を。


 だが何より、言った本人が一番驚いたようだった。

 春咲姫は、高ぶった気を鎮めるように、改めて一つ呼吸を挟み、語気を落とす。


「分かってる、けど……!

 せめて、もう少しだけ待ってあげて。もう少しだけ……!」


「……君なら、そう言うだろうと思った」


 必死になって願いを口にする春咲姫に対し、ウェスペルスはあっさりと……。

 サラが拍子抜けするほどにあっさりと、表情を和らげさえしながら頷いた。


「一応、今の状況を改めて知っておいてもらいたかっただけだよ。

 ――大丈夫。君が望む限り、僕はその意志を護ることを第一に行動するから。

 そう、誓っただろう?」


「……うん。

 ごめんなさい、ウェスペルス――ありがとう」


 そう返す春咲姫も、先程から比べればいくらか険の取れた顔つきになってはいたが……サラはそこにほんの僅か――気のせいともとれるほど僅かな影が射したままなのを見た。


 そして、それに気付いたのかどうかは定かでないが……。

 ウェスペルスは「さて」と話の焦点を移す。


「……そうと決まれば、やることは多い。

 改めて、他の花冠院やグレン、碩賢メイガスとも、意見を交換する必要があるだろうし……。

 ともかく、僕はこの辺で失礼するよ」


「うん。……わたしは、そういったことには疎いから……どうか、お願い」


「ああ。後でまた報告するから、君は君の出来ることを頑張ってくれればいい。

 ――サラ、春咲姫のこと、よろしく頼む」


「かしこまりました。

 行ってらっしゃいませ、ウェスペルス様」


 サラとも挨拶を交わして、ウェスペルスは書斎を出ていく。

 その後ろ姿が、ドアの向こうに消えるのを見届けてから……。


 春咲姫はゆっくりと両手を胸の前で組み合わせ、天井を見上げる目を、静かに閉じた。



「ヨシュア……助けてあげられなくて、ごめんなさい。

 せめて、どうか、安らかに――」



 信じる宗教があるわけもなく、死に面したことすらないサラだったが、それが死者に捧げる祈りであることぐらいは分かった。

 だから、主にならって、自分もまた祈りを捧げる。


 所詮は見よう見まね、付け焼き刃でしかないと思うサラだったが……。

 不思議とそうしていると、改めて、ヨシュアという一人の人間が喪われたのだという事実が、自らの心の中に染み渡っていく気がした。

 悲しみとともに、少しずつゆっくりと受け入れられていくような気がした。


 その初めての感覚に、ただじっと浸っていたせいだろう――。

 サラは、春咲姫が自分を呼んでいることに、すぐには気付かなかった。


「あ、はい!

 申し訳ありません、ぼうっとしてしまって……」


「……ううん、いいの。

 サラにとっても初めてのことなんだから……戸惑うのは当たり前だもの」


 子供を見守るような少女の優しい眼差しに、サラは気恥ずかしくなって、思わず大きくかぶりを振る。


「そ、それで、どういったご用件ですか?」


「大した事じゃないんだけど……寝室から、わたしの掌携端末ハンドコムを持ってきてくれる?

 わがままを言う以上は、わたしはわたしで何かしなきゃって思って……ね」


「……?」


 首を傾げたサラに――。

 春咲姫はまた、どことなく硬い表情で……小さく頷き返した。



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