目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第4節 地に還る者、還ったはずの者 Ⅱ


「……おや、珍しいのぅ。

 そんなに急いでどうしたんじゃ?」



 自らの執務室を出たところで、ばったりと出会ったウェスペルスの様子に――。

 碩賢メイガスは、見た目だけはいかにも子供らしく、首を傾げて尋ねる。


 ウェスペルスはよほど何かを思い詰めていたのか、彼には珍しく一瞬驚いた様子を見せたが……。

 すぐさま普段の落ち着きを取り戻し、朝の挨拶がてら一礼してから答えた。



「――〈霊廟れいびょう〉へ、行ってみようと思いまして」



 碩賢は、その言葉に目に見えて眉をひそめる。


「……それはまた、お前さんらしくないのぅ。何かあったのか?」


「グレンが――かのカインを名乗る人物相手に、後れを取ったそうです。

 先刻、連絡が入りました」


 ウェスペルスの静かな報告に、碩賢はその大きな瞳をいっぱいに見開く。


「……何と、あのグレンがか?

 ありえんとは言わんが、信じがたいことじゃな……」


「ご存じのように、グレンには僕から一通りのことは話してありますが……彼はカインとの直接の面識はありません。

 ――ですから、万が一を考えて……」


「霊廟へ確認へ行くと?

 安息の場所をみだりに騒がすのは感心出来んが……」


 ため息混じりに首を振る碩賢。

 それを真っ直ぐ見下ろしながら、「しかし」とウェスペルスはなおも食い下がった。


「……〈永朽花アスフォデル〉――。

 碩賢は、自らその存在について、言及していらっしゃいましたよね?」


「まさか、あれが――そうじゃと言うのか?

 いやしかし、そもそも永朽花自体が、理論上のものでしか……」



「――あ!

 ウェスペルス、こんな所にいたのね」



 二人の口論に、唐突に遠間から、少女の澄んだ声が割って入った。


 水を差された形になり、お互い口をつぐんだ二人が、声のする方を見やると――。

 お付きの女官サラを従えた春咲姫フローラが、小走りに近付いてくるところだった。


「――それに……先生?

 あ……もしかしてわたし、お邪魔でしたか?」


 碩賢の存在にも気付いた春咲姫は、口元に手を当て、目を瞬かせながら交互に二人を見比べる。

 それに対し当の二人は示し合わせたように、同時に首を横に振った。


「朝の挨拶をしていただけだよ。

 ――それで? 僕に何か用があるのかい?」


「……あ、うん。

 ちょっと手伝ってもらいたいことがあるんだけど……大丈夫かな」


 ……一瞬、答えを躊躇うウェスペルス。

 その背中を、小さな手でバシバシと叩いて――碩賢は快活に笑った。


「いいともいいとも、コキ使ってやれ。

 どうもこやつ、少し弛んでおるようだからのぅ」


 ウェスペルスは一瞬、困ったような視線を碩賢に向けたが……。

 すぐに、それとは分からないほど小さく息を吐いて、春咲姫に笑顔で頷いて見せた。


「えっと、ホントに大丈夫? 何か用事があったんじゃ……」


「いや――いいんだ。大したことじゃないから」


 渋る少女にもう一度念を押すと、ウェスペルスはちらりと一度碩賢を振り返ってから……春咲姫たちを促して、ともに廊下を歩き去っていく。


 残された碩賢は、その後ろ姿を目で追いながらしばらく黙考していたが……。


 やがてきびすを返し、真剣な面差しで、出てきたばかりの執務室に戻っていった。





     *     *     *



 ――ヨシュアの襲来以降、中央部へと戻る列車の旅は、何の障害もない平穏なものだった。


 ただ、その間……カインたち三人の間に、会話らしい会話はまるでなかった。


 初めて目の当たりにした、自分たちと同じ『人』の死について――兄妹がそれぞれに考え、思いを巡らすのを、カインはただ黙って見守っていたからだ。


 明るい雰囲気でないのはもちろんのことながら、しかし重苦しいだけでもない、清廉とした空気の中の静謐せいひつな時間。

 線路に揺れる列車のリズムですら、どこかしら柔らかく響く。


 そんな時間に終わりを告げたのは――。

 列車の進行方向を見やっていた、カインの一言だった。



「……そろそろ、駅に着くぞ」



 一見すると、まるで人の言葉など聞こえそうもないほど、物思いに沈んでいるように見えた兄妹だったが……。

 カインの呼びかけへの反応はむしろ早く、頷いて応えるや、すっくと立ち上がった。


 その表情からは、いまだ彼らが、感情と思考を整理し切れていないことが窺える。

 しかしそれでも、当初あったはずの怯えはいくらか和らいでいた。


 それは、恐れは消えなくとも、受け止めることが出来たからなのか――。



「すぐにでも動けるように、準備しておけ」



 余計なことは言わず、それだけを二人に告げると……。

 カインは何をする気なのか、周囲に積まれてある貨物の一つの木箱を開けて、中に手を入れる。

 そして――詰められていた小さな白い花を一輪、取り出した。



「それ……弔い……に?」



 そうだ――と、カインは。

 穏やかな表情で横たわるヨシュアの亡骸に近付き、胸の前で組ませたその手の中に、そっと、白い花を差し入れる。


 そして、僅かな間、こうべを垂れた。

 ――別れを告げるように。



 ……同じようにしろ、とは一言も言われなかった。


 だが兄妹も自然に、カインにならい――。

 そっと、静かに……弔いの気持ちを乗せた祈りを捧げていた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?