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第3節 母とは子とは Ⅰ


 ――来客を報せるそのチャイムは、夜も更けた、いささか失礼な時間に鳴り響いた。


 日によっては寝入っていてもおかしくない時間帯の来客に――。

 しかしルイーザは不満も不機嫌もおもてに出すことなく、むしろ普段よりも愛想良く……玄関口に顔を出す。


 そこに立っていたのは、失礼な時間の訪問だと自覚しているからだろう――申し訳なさそうに俯き加減な、彼女も馴染みの警備隊員アロンだった。



「やあ、こんばんはルイーザ。こんな時間に申し訳ない。

 実は、ちょっとややこしい事が起きてね」



 アロンは、ルイーザが思っていたよりも機嫌を損ねていないことを見て安心したのだろう、一旦は表情を和らげたものの……すぐにまた、先程とは別種の緊張に顔を引き締めた。


「この間の――ほら、天咲茎ストークから逃げ出した子供の話なんだけどさ……。

 丘の上の方の工場、あるだろう?

 実はそこに、新しい管理人ってことにして居着いていたみたいでさ」


 言って、アロンが視線を向けた先を、ルイーザもちらりと見やる。


「へえ……そうなの?

 でも、あそこに新しく来たのって、確か三人だって聞いた気がするけど」


「ああ。どうも子供たちには、もう一人協力者がいたらしくて。

 ――で、その子供たちを含めた三人なんだけど、ほんの数時間前、工場から逃げ出したらしくて、今警備隊も総出で探しているところなんだ。

 それで……それらしい人影が通るのを見なかったかと思ってね」


「……それって……。

 もしかして一人は、背の高い、僧服みたいな黒い服を着た男じゃないかしら?」


 ルイーザはいともあっさり答えたが、アロンにしてみれば予想外のことだったのだろう。

 それこそ飛び上がらんばかりに驚きながら、間違いないと何度も頷く。


「夕食の後片付けをしていたら、裏手の作業小屋の方で人の気配がしてね。

 何かと思ってしばらく様子を見てたんだけど……少し休憩してただけだったのか、すぐにいなくなったわよ」


 そのときの様子を思い出すように、頬に手を当てながら話すルイーザ。


「そ、それで、どの方角へ行ったか分かるかい!?」


「そうねえ……。

 ちらっと話し声が聞こえたけど、どうも直接街の方へ行くんじゃなく、大きく迂回して――牧場が集まっている方ね、あっちへ行こうとしてたみたいよ。

 あなたの今の話からすると、当然真っ先に調べられる最短ルートから、一旦外れるためでしょうね」


「なるほど……分かった、ありがとう! 助かったよ!」


 こうしてはいられないとばかりに、礼を言い置いてアロンは、勢い込んで闇の中を走り去っていった。


 ルイーザは、その背中が見えなくなるまで戸口で見送ってから、家に戻る。


 そして――



「……これで、少なくとも今夜いっぱいは安全なはずよ」



 明かりの落ちた居間で……。

 闇に溶け込むように壁際に佇む黒衣の男に、そう声を掛けた。


「――すまない。改めて礼を言う」


 その男――カインの礼に、小さく手を挙げて応えると……。

 ルイーザは電灯ではなく、テーブルの上にあるアンティークなランプに火を灯し、ソファに腰を下ろした。


 ランプの柔らかな光の中に、テーブルの上に並んだままになっている食事のあとが浮かび上がる。

 彼女、ルイーザと――予想外の客人たちのものだった。


 片付けるのは後でいいか、などと少し怠惰に考えながら……ルイーザはカインに尋ねる。


「……あの男の子の方は? もう寝ちゃったのかしら?」


「ああ。寝室の方にもソファがあったので、勝手ながらそちらに移させてもらった」


「そう……まあ、兄妹一緒の方が安心するでしょうしね。

 ――あなたももう休んだら?

 ここまでやっておいて、今さら警備隊に引き渡すなんてこと、しやしないから」


 カインは静かに首を横に振る。


「あなたを疑っているわけではないし、厚意はありがたいが、私は大丈夫だ。

 それよりも聞きたいことがある。

 ――どうして、私たちをかくまってくれた?」



「うーん、そうねえ……どうしてかしら――ね」



 そもそも彼女は、昼間、馴染みの店で話を聞いたときから……。

 工場に来た新しい管理人というのが、天咲茎から逃げ出した子供たちではないか――ということを何とはなしに察していた。


 それだけに、つい先刻、作業小屋の軒先で隠れるように休んでいる彼らを見つけたとき、その正体を――そして追われているという状況を、すぐさま理解したのだ。


 もちろん、そのときの判断として適切なのは、庭都ガーデンの住民の責務という意味でも、子供たちの身の安全という意味でも……すぐに警備隊に報せることだったはずだ。

 事実、彼女の頭に真っ先に思い浮かんだ行動はそれだった。



 しかし、結局――彼女はそうしなかった。



 警戒し、逃げようとする彼らを半ば強引に家に連れ込むと、寝床と食事を提供し、さらに熱を出していた少女の看病も行った。

 しかも、たった今その行方を捜しに来た人間に、嘘の情報を流してまで追い払ったのだ。


 何か理由があるはずだ、と考えるのが普通だろう。


 だが本当に――当の彼女自身には、理由として形になるような理由が見当たらなかった。

 それはもう、衝動と言う方が正しいようなものだったが……。


 しかし、その衝動のきっかけだけは――はっきりしていた。



「あの女の子――ナビア、だったわね。

 あの子の苦しそうな顔を見たから……かしら」



「しかしそれを助けようというのなら、引き渡して不老不死になるよう処置をしてもらう方が確実――ではないのか?」


「……あたしは、旧史生まれだから。

 まあ……そう簡単に割り切れないところもあってね」


 言って、腰を上げたルイーザは、壁際の飾り棚の方へ近付くと……。

 その上に並んだ幾つかの写真立ての内の一つを取り、カインに見せる。


 古い物らしく、全体的に色褪せたその写真には――。

 年の頃はナビアよりも若干幼いだろう、10代前半と思われる少女が、笑顔で映っていた。


「娘のリリーよ。目元があたしに似てるでしょう?」


 ルイーザはそっと、写真の少女を撫でる。


「優しくて、明るい子だったけど……重い病気にかかってね。

 あたしも、夫も、この子が助かるようにと、自分たちで出来ることを必死にやったわ。

 でも――ダメだった。

 この写真を撮ってから、1年後……娘は天に召されたの。

 それからもう1000年以上になるし、その悲しみを今でも引き摺ってるとまでは言わないわ。

 でも、あの子の最期の姿も、感じた気持ちも……消えたわけじゃないのよ」


 そんなルイーザの言葉に、驚くでも、同情するでも、哀しむでもなく――。

 カインはただ、「そうか」と頷いた。


 一見して、無愛想で冷たくも見えるその態度だが……。

 しかしそれが、彼なりの最大限の思いやりであることが、ルイーザには分かった。


 なぜなら――彼は、ほんの少し前に会ったばかりの、誰とも知れない相手だが……。

 その気配の根底に、長年連れ添う彼女の夫と似通ったものがあると、そう感じたからだった。


「……このぐらいしか言えないけど、納得してもらえた?

 さすがに無理かしらね?」


「いや――充分だ。ありがとう」


 そう答えて、カインは静かに、ナビアやノアが眠る寝室へと姿を消した。



 残されたルイーザは、しばらく閉まったドアを見つめていたが……。

 やがてもう一度だけ手の中の写真に目を落とした後、そっと、元あった位置に戻す。


 そうして――


「……ああ、そうだ。

 あの女の子の着る服、何か用意してあげないと。

 少し直せばなんとかなるわよね……」


 穏やかな面持ちでそうひとりごちつつ、自分も居間を後にした。



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