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第2節 原初の殺人者 Ⅰ


 体調を崩したナビアが寝ているのをそっとしておいて……。

 ノアは一人、夕食の準備で何か出来ることはないかと、食堂のキッチンへとやって来ていた。


「んー……」


 冷蔵庫の中を覗いたり、器具の収められた棚を開けたりと落ち着きなく動き回るものの……。

 そもそも料理をロクにしたことがないノアに、残っている食材を見て、下ごしらえの計画を立てる――などという芸当が出来るわけもない。


 そこでノアは、何か簡単な料理のレシピをデータベースで確認しようと、いつも上着のポケットに入れてある1枚の掌携端末ハンドコムを起動させ、側の棚に置いた。


「まあ……いざとなったら、野菜を適当に切って盛りつければ、サラダにはなる――よな」


 楽観的に考えながら――。

 とりあえず手軽に出来そうなレシピから探そうとした……そのとき。



「……え?」



 ノアは、浮かび上がった映像に、警告メッセージが表示されていることに気が付いた。

 この端末と連動させるために一部を改造した、工場内の警備システムからのものだ。


 しかもそれは、通常、侵入者があればシャッターなどで経路を塞いだ上、その情報が届くようになっているのだが、そうした措置を取ることすら出来なかったとき――。

 つまりは、警備システムそのものを完全に沈黙させられたときにのみ届くようにしてあった、最悪の危機を告げる、緊急警告メッセージだった。



「う、ウソだろ……っ!? いつの間に――!」



 まさか――と、一瞬頭の中が真っ白になる。


 それに乗じて、信じられない、という思いが、現実を否定しそうにもなるが……。

 天咲茎ストークを出て以来、さまざまな出来事に遭遇するうち、彼自身知らぬ間に精神的にも逞しくなっていたのだろう。


 ノアは動揺する心を必死に落ち着かせながら……すぐさま、現状について思考を巡らせようとする。

 だが……彼に、対策を練るだけの猶予は与えられなかった。



「よーし、そこまでだ。

 余計なことは考えずに大人しくしろ、坊主!」



 その低く重い声が、食堂内に響き渡ったかと思うと――。

 一人の大柄な赤衣の男が、半開きになっていた入り口のドアを蹴り開けて、ゆっくりと中に入ってきたのだ。


 警告メッセージを受けての一応の心構えがあり、さらに昼間に訓練したばかりだったこともあって――。

 ノアは自分でも驚くほど反射的に、腰に下げたままだった銃を抜いて、男の方へと向ける。


 そんなノアの動きに、素直な驚きを見せる顔――。

 古傷と髭が印象的な、どこか獣めいたその顔に、彼は見覚えがあった。


「グレン……!? アンタか……!」


 鉄壁とまでは言えないまでも、いざというとき、逃げ出す時間を稼ぐぐらいには充分だと踏んでいた警備システム――。

 それを、知られることなくあっさりと無効化したその手際に、ノアは舌を巻く思いだった。



 花冠院ガーランド筆頭であるウェスペルスが、最も信頼する切り札――。



 グレンを評してのその肩書きは、普段の素行からすればまるで想像がつかないが、ダテなどではなかったのだと。


「久しぶりだな、坊主。

 ……悪いことは言わん、その危なっかしいオモチャは捨てて、大人しく投降しろ」


 さすがにそう言われて、分かりましたと銃口を下げるわけにもいかない。

 だが、だからといって……威嚇でも何でも発砲して、一旦この場から逃げ出す――そんな選択肢も、今のノアには選びようがなかった。


 ――原因はただ一つ。



「お、お兄ちゃん……」



 部屋で寝ていたはずのナビアが、今まさに、グレンの腕の中に囚われていたからだ。


 この状況で、妹一人を残して逃げることなど出来るはずもない。

 しかし、狙いが牽制だろうと直接だろうと、ヘタに発砲して彼女に当たれば、取り返しのつかないことになってしまう。


 グレンと違って、ナビアは――。

 たった1発の銃弾で散りかねない、儚い命しか持っていないのだから。


 様々な感情に、何より不甲斐ない自らへの怒りが入り乱れ……これまでしたこともないほど強い力を込めて、ぎっと歯を噛むノア。


 その様子に、ふむ、と小さく鼻を鳴らしたグレンは……。

 さも興味深げに質問を投げかけた。


「――良い機会だ、坊主。一つ聞こう。

 俺のように旧史から生きている人間だと、一応理由は予想出来るが……お前たち、どうして不老不死を否定して逃げ出した?

 その行為が、お前たちだけの問題では済まず、かつて人類の歴史ではありえなかったほどの調和を成し、平穏の内に安定しているこの庭都ガーデンを、いたずらに刺激してしまう――それぐらいのことは分かるだろうに。

 ……どうしてだ? お前の答えを話してみろ」


 ノアは、グレンの腕の中で苦しそうにしているナビアをちらりと一瞥した後……。

 グレンを睨み付けて、精一杯に声を張り上げる。


「そんな――そんなの決まってる!

 死なないなんておかしいからだ! 間違ってるからだ!

 人であれ何であれ、生命はいつか死ぬ、だから生きてるって言えるんじゃないか!

 俺たちはそんな当たり前の命を、当たり前に生きたい!

 だから……天咲茎を出たんだ!」


「……なるほど、な。

 そうだろう、とは思っていたが……。

 ガキがまあ、小生意気に知った風な口を利いてくれる」


 ノアの剣幕も涼しい顔で受け流すグレン。


「だが、その是非について問答するのは俺の仕事ではない。

 俺の仕事は、そうした役目の人間の所へ、お前たちを連れ戻すことだけでな。

 ……もう一度言うぞ?

 そのオモチャを捨てて、こっちに来い」


 死ぬことはないにしても、万が一にも急所に銃弾を受け、しばらく動けなくなることを警戒しているのだろう。

 グレンは不用意にノアに近付いたりせず、スキを窺うように付かず離れずの距離を保つ。

 ノアがキッチン内にいるため、カウンターが間を仕切っているのも、ノアが強引に確保されることを免れている要因だった。


 そうして牽制を続けながら、何か現状を打破する手段を考えようとするノア。

 しかし、それを見越したかのように……グレンは小さく首を横に振った。


「――ムダだ。お前たちの頼みの綱の『協力者』は不在のようだし……この工場の出口はすべて、既に俺の部下が押さえているからな」


「……そんなの、ハッタリかも知れないだろ!」


 必死に空威張りするノア。

 グレンの態度、そしてあっさり窮地に追い込まれた現状を顧みれば、仲間がいることに間違いはないだろうが……それでも彼は、突っ張らずにはいられなかった。


 しかしグレンは――。

 意外にもノアの言葉を肯定するように「それはそうだ」と苦笑を漏らす。


 そして――。

 ノアが手品かと錯覚するほどの速さで拳銃を抜き、その銃口を――。


 何と、腕の中のナビアに向けた。


「だからな、万が一のためにも……ここから逃がすわけにはいかんのさ。

 ――どんな手を使っても、な」


 瞬間――これまでどことなく気安げだったグレンの気配が、がらりと変わる。


 纏う雰囲気が、獰猛な肉食獣のようなものへと――。

 素人のノアでもはっきりと分かるほど、劇的に。


「お、脅しのつもりか……?

 俺たちは殺すんじゃなく、生け捕りにしなきゃいけないんだろっ!?」


 ノア自身は必死に虚勢を張っているつもりだったものの……。

 グレンに気圧され、その声は自分でも分かるほどに震えていた。


「フン……甘ったれるなよ、坊主。

 もちろん殺すわけにはいかんさ、だがな……。

 完全に死にさえしなければ、問題はないんだぞ?

 不凋花アマランスの効用――知らないわけじゃないだろう?」


 ――グレンの答えに、ノアは絶句する。


 完全に死んでしまう前なら、不凋花によって、不老不死に出来る――。

 その瞬間まで生きてさえいるなら、虫の息となっても蘇生させられる。


 その生と死の境界線を見極められるのなら、限界まで痛めつけることも可能だと――グレンはそう言うのだ。


「そ、そんなこと……それこそハッタリだ!

 第一、春咲姫フローラがそんなこと許すわけ――」


「まずは脚からだ。痛いぞ」


 有無を言わさず、銃口をナビアの太股に向けたと思うや否や、グレンは引き金を引いた。

 響き渡る銃声に、ナビアの悲鳴が絡み合う。


「ナビアッ!!」


 我が事のように、恐怖に駆られた叫声をほとばしらせるノア。



 しかし――視界の中のナビアの足は、想像したような惨状になってはいなかった。



 道で転んだだけのように……。

 膝に僅かに出来たかすり傷から、血を滲ませている程度だったのだ。


 やっと呼吸を思い出したとばかりに、大きく乱暴に安堵の息をつくノア。

 合わせて、腰が抜けそうになるのを必死に堪え……改めてグレンを睨み付ける。


「また甘ったれたことをぬかすからだ。

 次は――威嚇では済まんぞ?」


 ぞっとするようなグレンの表情に変化はまるで無い。

 言葉通り、次は本気で撃つだろう――と、ノアは実感させられた。


「お、お兄ちゃん……!

 あ、あたし――あたしは、だいじょうぶだから……!」


 ただでさえ体調が悪いところに、こんな状況では、つらいどころの話ではないだろう。

 だがナビアは、その愛らしい顔を涙や鼻水でグシャグシャにしながらも――そして、そう訴える声は震えていながらも。


 ノアに向ける瞳は、ただ真っ直ぐで――気丈だった。



「さて……妹はこう言っているが。どうするんだ?」



 ノアは唇を噛む。


 ……正直に言って、ノアの心は折れる寸前だった。


 死ぬことはないにしても、ナビアを傷つけると脅されて……。

 それでなお貫けるほどの信念も覚悟も、今のノアは、持ち合わせてなどいなかった。


「……そう言やグレン、アンタは旧史生まれで……昔は軍人だったんだっけな。

 こういうやり方には、慣れてるってことかよ……?」


 せめてもの抵抗とばかりにノアは悪態をつく。


 すると――グレンは僅かに、片頬を吊り上げた。

 髭で分かり難いが、どうも笑ったらしい。


「……否定はせんさ。特殊部隊の任務ともなると、汚れ仕事も少なくなかったからな。

 だがそれなら……お前たちの仲間の男はどうだろうな?

 〈カイン〉を名乗るからには……およそ真っ白ではあるまい?」


 グレンのその発言に――。

 ノアは一瞬、今の状況を忘れて目を見開いた。


「! アンタ……カインのこと、知ってるのか?」


「そう返すということはつまり、お前は何も知らないわけか。

 ならば、俺から話すことは何もない――と言いたいところだが……。

 お前たちが頼みとする『協力者』がどれだけ危険か知れば、考えも変わるかも知れんしな……一つだけ教えてやろう」


 油断なくナビアに銃口を向けたまま、グレンは続ける。


「カイン――それは、その『原初の殺人者カイン』という名が示す通りに――。

 旧史の時代、裏社会で、世界最強の暗殺者と畏怖された男の通り名だ。

 お前たちの協力者は、敢えて、そんなものを名乗る人間なんだよ。

 真っ当かどうかぐらい……少し考えれば分かるだろう?」



「――貴様の言う通りだな。

 私は、およそ真っ当ではない」



 唐突に場に割り込んできた第三者の声に、全員が弾かれたようにそちらを振り向く。


 食堂の入り口に、ゆらりと立つ黒い人影――。

 それは、両の手を返り血に赤く染めた――当のカインその人だった。



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