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第1節 命が咲くには Ⅴ


「……遅くなってしまったな」



 黄金色の夕日が姿を隠し、代わって星が彩り始めた空を見上げて、カインは呟く。


 食材と、ナビアのための薬品の詰まった紙袋を抱え、通りを歩く彼――。

 その周囲をすれ違う住人たちは、装いこそ個々人で違うものの、皆が皆、幸せそうなことだけは共通していた。


 至る所に笑顔があふれ、何の翳りもなく、穏やかだった。


 兄妹を追ってさまよった庭都ガーデン中心部で、初めて人々の生活を目の当たりにしたときの感覚を、カインは改めて思い出す。


 まるで楽園のようだと、彼はそのとき感じた。

 いや、今でも街の様子、人々の姿を見るたびにそう思う。


 だが、やはりそこには――。

 拭い去れず、無視も出来ない違和感が付きまとう。


 そして今なら、その原因が理解出来る。



 不老不死――すなわち『死』の喪失にあるのだと。



 人は死を持つからこそ、終わりがあるからこそ――そこへ至る過程を、それぞれのやり方で磨き、輝かせようとする。

 星の歴史の中に、死を以てしても失われない灯火ともしびを刻もうとする。

 たとえ小さくとも、自らの命の証として。


 そしてそれが――その行程こそが『生』なのだろうと、彼は思う。


 だからこそ、違和感を感じるのだ。


 幸せそうで、満ち足りていながら……しかし『生きて』いるように見えないと。

 幸せな世界、幸せな生活――それらを『生きる』のではなく、ただなぞっているようだと。


 しかし彼は同時に、彼自身や、ノアたちの信じる道が真理であり正道であろうと……決して人々が望む最良の道ではない、ということも理解している。


 ――人とは、そうしたものだからだ。


 死を恐れ、拒み、失われない幸せを願う――。

 その当然とも言える欲求を、どうして責められるだろう。


 だがそれは――願うだけで止めなければならなかった。

 決して手にしてはならなかったのだ。


 その願いは、引き換えとして『人』であること、そして――『生命』であること。

 それを手放す道に、繋がっていたのだから。



 本来あるべき真理を外れた幸福か。

 苦難を承知で貫く正道か――。



 分かたれた二つの道に思いを馳せるカイン。


 すると彼の脳裏には同時に――ノアたちの保護を願った女性から託された、『もう一つの願い』のことが思い浮かぶ。


 数日前まではただ闇に紛れているだけだったその記憶に、今は少し変化があった。


 探ろうとも完全に掴めないのは相変わらずだが、しかし何かが指にかかり始めたのか……そこに、感情の動きが伴うようになっていたのだ。


 その際に心に生じるのは、何としてでも思い出さなければならないという――果たさなければならないという、強い義務感だ。

 だがそこには同時に、なぜか……思い出すことを躊躇ためらい、拒む、相反する感情も同居していた。


 ……もともと彫りが深いカインの顔に、さらなる皺が刻まれる。


 庭都においては異端となる、『正道』を求める兄妹を護ること――。

 それだけでも既に、自分が――実際にはその正道に『背いている』自分が、そうしてまで存在する意義はあると感じる。


 だが……この身に課せられた役目は、それだけではないはずだった。



 なぜなら、それは――『罰』でなければならないからだ。



「おやおや……物憂い顔でどうしました……?」


 意識の外からの呼びかけに、カインはハッと、夜空に向けていた視線を下げる。


 近道として選んだ、公園の遊歩道。

 時間が時間だけに、すっかり人気ひとけの無くなったその小径のただ中で――。

 街灯の明かりの下、一人の青年が、彼の行く手を遮るように立ち尽くしていた。



「――ヨシュア……!」



 その唇が呼ぶ自らの名……そこに少なからず驚きが含まれていたことが、さも愉快だったのだろう。

 ヨシュアの顔に、うっすらと嘲笑が浮かぶ。


 ただし、それは――。

 嘲るという感情だけではない……どこか病的な歪みを含んでいた。



「わたしは……カイン、お前を倒す。

 倒さなければならないのです……!」



 普段の赤衣とは違う、普段着のような上着の内側から、ヨシュアは無骨で鋭利なナイフを取り出す。

 その刃が――そして昏い鬼気を宿した瞳が、月明かりに禍々しく輝く。


 そのとき、カインは気が付いた。


 そこにあるのが、記憶にしっかり刻み込まれるほど、かつて幾度も目にしていながら……。

 しかしこの庭都では決してありえないはずの、人間の姿であることに。



 ――そう。

 ヨシュアが、死の影――その恐怖に怯えていることに。


 そして……それを振り払い、打ち克つべく――。

 その根源となった自分に、固執していることに。



 本来なら、その恐怖からは、むしろ当の『死』を以て解放されるはずだった。


 しかし、なまじ不死であるがゆえに――。

 解放されるどころか、いや増す恐怖に苛まれ続けているのだと……カインは悟った。


「――不憫な」


 カインの口をついてこぼれ出たのは、そんな憐れみの情だった。


 だが、そもそも――。

 彼がしてやれることなど、たった一つしかないのだ。



「いいだろう。

 その命、もう一度……殺してやろう」



 抱えていた買い物袋をそっと地面に置いた――かと思うと。


 次の瞬間には――。

 カインは音もなく地面を蹴って、ヨシュアに詰め寄っていた。



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