「……遅くなってしまったな」
黄金色の夕日が姿を隠し、代わって星が彩り始めた空を見上げて、カインは呟く。
食材と、ナビアのための薬品の詰まった紙袋を抱え、通りを歩く彼――。
その周囲をすれ違う住人たちは、装いこそ個々人で違うものの、皆が皆、幸せそうなことだけは共通していた。
至る所に笑顔があふれ、何の翳りもなく、穏やかだった。
兄妹を追ってさまよった
まるで楽園のようだと、彼はそのとき感じた。
いや、今でも街の様子、人々の姿を見るたびにそう思う。
だが、やはりそこには――。
拭い去れず、無視も出来ない違和感が付きまとう。
そして今なら、その原因が理解出来る。
不老不死――すなわち『死』の喪失にあるのだと。
人は死を持つからこそ、終わりがあるからこそ――そこへ至る過程を、それぞれのやり方で磨き、輝かせようとする。
星の歴史の中に、死を以てしても失われない
たとえ小さくとも、自らの命の証として。
そしてそれが――その行程こそが『生』なのだろうと、彼は思う。
だからこそ、違和感を感じるのだ。
幸せそうで、満ち足りていながら……しかし『生きて』いるように見えないと。
幸せな世界、幸せな生活――それらを『生きる』のではなく、ただなぞっているようだと。
しかし彼は同時に、彼自身や、ノアたちの信じる道が真理であり正道であろうと……決して人々が望む最良の道ではない、ということも理解している。
――人とは、そうしたものだからだ。
死を恐れ、拒み、失われない幸せを願う――。
その当然とも言える欲求を、どうして責められるだろう。
だがそれは――願うだけで止めなければならなかった。
決して手にしてはならなかったのだ。
その願いは、引き換えとして『人』であること、そして――『生命』であること。
それを手放す道に、繋がっていたのだから。
本来あるべき真理を外れた幸福か。
苦難を承知で貫く正道か――。
分かたれた二つの道に思いを馳せるカイン。
すると彼の脳裏には同時に――ノアたちの保護を願った女性から託された、『もう一つの願い』のことが思い浮かぶ。
数日前まではただ闇に紛れているだけだったその記憶に、今は少し変化があった。
探ろうとも完全に掴めないのは相変わらずだが、しかし何かが指にかかり始めたのか……そこに、感情の動きが伴うようになっていたのだ。
その際に心に生じるのは、何としてでも思い出さなければならないという――果たさなければならないという、強い義務感だ。
だがそこには同時に、なぜか……思い出すことを
……もともと彫りが深いカインの顔に、さらなる皺が刻まれる。
庭都においては異端となる、『正道』を求める兄妹を護ること――。
それだけでも既に、自分が――実際にはその正道に『背いている』自分が、そうしてまで存在する意義はあると感じる。
だが……この身に課せられた役目は、それだけではないはずだった。
なぜなら、それは――『罰』でなければならないからだ。
「おやおや……物憂い顔でどうしました……?」
意識の外からの呼びかけに、カインはハッと、夜空に向けていた視線を下げる。
近道として選んだ、公園の遊歩道。
時間が時間だけに、すっかり
街灯の明かりの下、一人の青年が、彼の行く手を遮るように立ち尽くしていた。
「――ヨシュア……!」
その唇が呼ぶ自らの名……そこに少なからず驚きが含まれていたことが、さも愉快だったのだろう。
ヨシュアの顔に、うっすらと嘲笑が浮かぶ。
ただし、それは――。
嘲るという感情だけではない……どこか病的な歪みを含んでいた。
「わたしは……カイン、お前を倒す。
倒さなければならないのです……!」
普段の赤衣とは違う、普段着のような上着の内側から、ヨシュアは無骨で鋭利なナイフを取り出す。
その刃が――そして昏い鬼気を宿した瞳が、月明かりに禍々しく輝く。
そのとき、カインは気が付いた。
そこにあるのが、記憶にしっかり刻み込まれるほど、かつて幾度も目にしていながら……。
しかしこの庭都では決してありえないはずの、人間の姿であることに。
――そう。
ヨシュアが、死の影――その恐怖に怯えていることに。
そして……それを振り払い、打ち克つべく――。
その根源となった自分に、固執していることに。
本来なら、その恐怖からは、むしろ当の『死』を以て解放されるはずだった。
しかし、なまじ不死であるがゆえに――。
解放されるどころか、いや増す恐怖に苛まれ続けているのだと……カインは悟った。
「――不憫な」
カインの口をついてこぼれ出たのは、そんな憐れみの情だった。
だが、そもそも――。
彼がしてやれることなど、たった一つしかないのだ。
「いいだろう。
その命、もう一度……殺してやろう」
抱えていた買い物袋をそっと地面に置いた――かと思うと。
次の瞬間には――。
カインは音もなく地面を蹴って、ヨシュアに詰め寄っていた。