「――失礼します、
部屋に入った女官のサラは、一礼してから木製のドアを静かに閉める。
六角形をした壁一面に、背の高い本棚がずらりと並ぶその部屋は――。
名目としては書斎であるものの、歴史の古い図書館を思わせる造りをしている。
主の座す机も、使用者に合わせて丈が低く作られているものの、雰囲気に沿った重厚な、それ自体が装飾のような素晴らしい調度品だ。
そんな机の上に並ぶ、端末の映像、書類、そして何冊もの分厚い本――。
それらの向こう側に、忙しなく動く小さな頭があった。
……この部屋の主人である、春咲姫その人だ。
「……あら、サラ? どうしたの?」
サラが机の前まで近付いたところで、ようやくその存在に気付いたらしく……少女は手もとの本へ落としていた視線を上げた。
「はい、夕食の用意が整いましたので」
「あ……もうそんな時間?
――ホントだ……。うん、ありがとう」
柱時計にちらりと目をやって時間を確かめると、開いていた本を閉じて机の端に置く春咲姫。
一方サラは、机上に広がる様々な資料を一通り目で追うと……。
「今日も、出生率低下の原因について勉強されていたのですか?」
そう尋ねた。
それに春咲姫は、端末の電源を落としながら頷く。
……
人の生殖機能自体に異常が出たわけではない。
ただ――産まれない。
完璧な環境を整えた上で人工授精を試みても、なぜか、ことごとくが失敗するのだ。
まるで……これが人の総数の限界であり、これ以上増えてはならないとばかりに。
あるいは、ここが――人の歴史の限界であるとばかりに。
「ですが……春咲姫や
「うん……そうだね。
みんな、悲観的にならないのはいいことなんだけど……」
春咲姫は小さく首を振った。
サラの言うように、庭都の住民――特に庭都建設後の新史生まれの人間は、この事実を知ってはいても、問題視はしていなかった。
死が失われた以上、子を生し、それによって歴史を紡いでいく――という認識が無くなったのがまず一つ。
加えて、
要は――誰もが皆、子供が産まれなくてもさして問題は無い、と考えているのだ。
それどころかむしろ、『子供』という存在に対して、恐怖を抱く人間もいるほどだった。
ある程度の年齢に達するまで、不老不死となるための『洗礼』が受けられない以上は――。
いくら
「でもやっぱり、わたしは……。
街の色んな所に子供たちがいて、それがみんな、元気に、幸せそうに笑ってる……そんな光景も見てみたいの」
春咲姫は、穏やかに――。
彼女以外の誰も持ちえない、無垢な、そして慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
だが、それを見るサラの胸中には、一抹の悲しみが過ぎる。
……理由は明白だった。
春咲姫と崇められる、この少女だけが――。
この不老不死の庭都において、最も慈愛に満ちた彼女だけが。
皮肉にも――不凋花との共生でも癒されなかった、先天性の生殖機能の異常により……。
決して子を授かれない身体であることを、知っているからだ。
そんな、あまりに残酷な皮肉を再認識し、サラが顔を曇らせるのに気付いたのだろう。
少女は、気にしなくていいと釘を刺すかのように、無邪気に笑った。
「それで、街の人たちはともかく、サラはどうなの?
子供が欲しいとか思わない?」
一瞬、どう返答するべきかと考えないでもなかったが……。
余計な気遣いは却って逆効果になるだけだとサラは、ただ正直に、困った顔をしながら首を振った。
「……分かりません。
子供は確かに、可愛いと思いますけど……それでも、分からないのです。
――申し訳ありません、はっきりとしない答えで」
「ううん、いいの。ごめんなさい、こっちこそいきなり変なこと聞いちゃって。
――でも、わたしはサラの子供って見てみたいかな。きっと可愛いと思うし」
冗談めかして春咲姫がそう付け加えると、サラもまた芝居がかった苦笑を返した。
「母のようなことをおっしゃらないで下さい。
今でも会うとたまに言われるんですよ? 冗談混じりに、ですけど」
「あはは、それは仕方ないかな。
わたしもほら、どうしても普段はあなたを姉のように感じてしまうけど、一応……母親みたいなものだから」
椅子に背中を預けながら、春咲姫はどこか哀愁のある、儚い微笑を浮かべた。
それは、注意して見てもそれと分からないほど一瞬の、微かな変化だったが……。
余人ならいざ知らず、常に少女に付き添い、ともに過ごしてきたサラが気付かないはずはない。
そして、今の主がそうした表情をするとき、原因が何であるかも、彼女は理解していた。
「その想いは、きっと伝わります……あの子たちにも」
春咲姫は一瞬、驚いたような顔をしたものの――。
すぐにその一言が、サラゆえの鋭い推察だと理解したらしかった。
余計な、なぜ、を問うことなく、今度は素直な心境を吐露する。
「そう……わたしは、あの子たちの母親であろうと、心を砕いたつもり。
あの子たちが寂しがったり悲しがったりしないように、母親になろうと努力したつもり。
でもね、やっぱり……本当の母親にはなれないんだな、って思うの。
表面的なものだけじゃ……もっと根っこの方での、目に見えなくて、でも大きな繋がりの代わりにはなりえないんだなあ……って」
「あの子たちの心については、正直私には分かりません。
ですが私は、あなたがどれほどに子供たちを慈しんできたかは分かっています。
そしてそれが、決して実の母親との絆に勝るとも劣らないことも。
――なぜなら、私自身がそうなのですから。
幼い頃から可愛がっていただき、大切にしていただいた私にとって、あなたは……。
間違いなく、もう一人の、大事な母でもあるのですから」
サラの嘘偽りのない真っ直ぐな瞳と、真っ直ぐな言葉に、春咲姫はまた目を丸くしたが……。
しかし今度は、陰りのないただただ嬉しそうなはにかみで、それに応えた。
「……ありがとう、サラ。ありがとう……」
どういたしまして、と一礼してサラは、場の雰囲気を変えようと手を打ち合わせた。
「さあ、気分を切り替えるためにも、そろそろお食事に参りましょう?」
春咲姫もそれに合わせて、陽気に大きく頷く。
「――そうだね。
お腹が減ってると、考えがどんどん悪い方にいっちゃいそうだし」
机を手早く片付けると、一度背を伸ばしてから、書斎のドアへ向かう春咲姫。
いつものようにその後ろに付き従いながら、サラは――。
「大丈夫ですよ」と声を投げかけた。
「普段はだらしない父ですけど、こういうときにはきっと、期待に応えてくれます。
きっと、あの子たちを連れて帰ってきてくれますから。
ですから、そうしたら……話をすればいいのです。あの子たちともう一度、じっくりと。
そうすれば、きっと――想いも伝わります」
春咲姫は、じっとその言葉に聞き入っていたが……。
やがて背を向けたまま、ゆっくりと頷いた。
「うん……そうだね。
うん。ありがとう……サラ」