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第1節 命が咲くには Ⅱ


 ――自慢の小麦畑の手入れを終えたルイーザは、こまごまとした日用雑貨を買いに街へ出てきていた。


「あっ、と……そうだ」


 丸々とした牧歌的な外見の愛車に、買ってきた物を積み込むと……。

 馴染みの店に挨拶でもしていこうと、彼女は一人頷く。


 早速、すぐ近くにあるその店に向かい、ドアを開けると……。


 取り付けられたベルが陽気な音を立て――さらにそれに負けじと、続けて元気の良い女店主の声が飛んできた。


「いらっしゃいませー!

 ……あ、ルイーザさん、久し振りですね! 今日は何を?」


「ごめんなさい、あなたが休暇から帰ってきたって聞いたから。

 挨拶がてら、冷やかしにね」


 イタズラっぽくそう言うと、店主も彼女とのそうしたやり取りには慣れているのだろう――言葉の上では困った客だと返しながら、ころころと愉快そうに笑う。


「そうだ、そう言えばルイーザさん。

 丘の工場に、新しい管理人さんが来てるって話、ご存じですか?」


「あ……そうなの?

 確か、前はエドが管理してたところだっけ?」


「ええ、そこに。何でも、研究者だって人が三人。

 ――と言っても、わたしが直接会ったのは、うちに買い物に来てくれた二人だけですけど……。

 何だか旧史の映画とかに出てくる、仲の良い父親と娘――みたいな雰囲気でしたよ」


「へえ……父と娘、か……」


 ふっと、本人も意識してはいないのだろうが、一瞬、ルイーザの目が遠くなる。

 その反応に気付いた店主は、何かに思い当たったらしく、パンと手を打った。


「あ、そう言えば!

 ルイーザさんて、ご結婚なさってたんでしたよね?」


 店主の声色は、いかにも珍しいと言わんばかりのものだった。


 しかしそれは、ルイーザの器量を皮肉っているわけではない。

 夫婦という関係自体が、実際に今の庭都ガーデンでは非常に珍しいものだからだ。


「――結婚、ね。

 言われるまで忘れてた感じがするわね」


 冗談めかして言って、ルイーザは肩を竦める。


「ご主人とは同居してないんですよね?

 なのに、離婚もしないでいるって……どうしてなんですか?

 ――あ、いえ、すいません、失礼なこと聞いちゃったかな……」


 思わず口が滑ったとばかりに慌てる店主。

 それに、大丈夫よ、と苦笑を返すルイーザ。


「別に気にしないわよ。

 ただ、なぜかと問われても……はっきりとは答えられないわね。

 多分それは、あの人にしても同じじゃないかしら」


 ルイーザの答えは、決して嘘ではない。

 それは、すっきりとした言葉で簡単に言い表せるようなものではなかったからだ。


 ただ確かなのは、二人の間の様々な感情が複雑に絡み、混ざり、束ねられて――まだら模様で不格好な太い糸になっている、ということだけ。


 しかしそれもまた、一種の絆ではあるのだろう。


「ご主人は確か、天咲茎ストークの方にいらっしゃるんでしたっけ。

 娘さんも一緒に」


「ええ。昔から父親べったりな子だったから、旦那の側にいたかったんでしょうね。

 まあ本人は、父親があまりに頼りなくて、近くで見てないと危なっかしいから――なんて理由を付けてるけど。

 ……ああ、だからって、別にあたしと不仲ってわけじゃないわよ?

 ヒマがあったら顔見せに来るし、連絡もあるし。

 我が子ながらいい女になったって思うぐらいだから」


「あ、そういう……何て言うか、家族が家族として繋がってるところ、いかにも旧史の人なんだなあ、って感じます。

 ――あ、もちろん良い意味で、ですよ?」


 わかってる、と笑顔で手を振って見せるルイーザ。


 旧史においては当然のように親子、そして家族という言葉の中に強く息づいていたはずの血の絆――。

 それはしかし、一輪の不凋花アマランスのもと、庭都の住民すべてが春咲姫フローラを通して同じような繋がりを持ったことで、皮肉にも、却って希薄になったと言わざるをえない。



 ――だけど、それでも。

 親は親、子は子であるはずなんだ――。



 家族の話が出たからだろう。

 ルイーザは、ふと……警備隊員のアロンが探していた、洗礼を前に姿を消したという兄妹のことを思い返していた。


 聞いた話では、特に兄の方に優れた才能が見出された上、庭都――延いては人類において、200年振りの新生児ということもあり……。

 万一の事態を避けて大切に養育するため、母親の下から天咲茎に預けられた――ということだった。


 しかし、それを指示した春咲姫の性格から考えれば……。

 もし、母親がその処置を拒否したならば、問題なく聞き入れられたはずだ。

 子供を手放したくない、子供とともに過ごしたいと願えば――それは叶ったはずなのだ。


 ――なのに、兄妹の母親はそうしなかった。


 どうしてなのだろう……と、彼女は思う。

 どういう考えでそれを受け入れたのだろうか、と。


 そしてまた同時に、子供たちはどう考えているのか……とも思う。


 どんな理由であれ、幼いうちに母親の側を離れることになって、寂しくはなかったのだろうか、と。



「親も子も……寂しいものだと思うんだけどねえ……」



 ため息混じりに漏れ出たルイーザの独り言……。

 それを店主は首を傾げて聞き直すも、当の本人は何でもないと首を振るばかりだった。





     *     *     *



「……ほら、やっぱりだ。

 早めに休んでおいて正解だったろ?」


 ベッドで毛布にくるまりながら、苦しそうに不規則な息をつくナビアに、ノアは言う。



 ノアたちが、銃の訓練を早めに切り上げて部屋に様子を見に行ってみると……。

 案の定ベッドの中のナビアは、誰の目にも不調が明らかなほどに状態が悪化していた。



「でも、まさか……。

 俺たちが来るまでの間に、ベッド抜け出して遊んでたとか言わないよな?」


 ノアが目を細めて問うと、ナビアは力無く、エヘへと笑う。


「そうしようかなー、って思ったんだけどねぇ……やっぱり、何だかだるくって。

 でも、おかしいなあ……。

 天咲茎を出てから、そんな、体調が悪いとか、全然なかったのになあ……」


「気を張っているときというのは、意外に持ち堪えるものだからな。

 恐らくは、ここに腰を落ち着けて一息つけたことで、これまで抑えて溜め込んでいた疲れが一気に表に出たのだろう」


 膝を折ってベッドのナビアと視線の高さを合わせたカインが、穏やかな口調でそう言って小さく頷いた。

 ……気にするな、とばかりに。


「恐らく単なる過労だろうとは思うが、私も医者ではないからな。

 詳しくは――」


「それなら大丈夫。俺、医学、勉強してるから」


 そんな落ち着き払った声にカインが振り返ると……。

 ノアが、棚に置いた小型のケースを開き、中に収められた様々な器具のうち、ペンライトのようなものを取り出していた。


「……そうなのか?」


 ノアと場所を入れ替わるようにして立ち上がりながら、カインは尋ねる。

 彼にしては珍しいことに、その声音には素直な驚きが滲んでいた。


「ああ。俺に色々教えてくれた碩賢メイガスって人は、今はとにかくあらゆる研究を統括してるけど、もともとは医学と生物学が専門だったらしくてさ。

 ナビアが身体が弱いってこともあるし、習っておけば、いずれきっと役に立つと思って。

 ……一応これでも、旧史の頃の医学書程度ならほぼ暗記したし、シミュレーションで経験も積んだから、最新の医療機器のサポートときちんとした道具があれば、外科手術だってある程度はこなせるんだぜ?」


 少しばかり得意気に説明しながら、ペンライトのような器具を、ナビアの頭から足の方へ、ゆっくりかざしていくノア。


「ほう……大したものだな」


「まあ、不凋花の力があれば必要ないんだけど……俺たちには重要なことだから。

 さて――」


 ケースに器具を収めると、ノアはカインとナビアの顔を交互に見、肩を竦めた。


「全身をスキャンしてみたけど……カインの見立て通り過労ってとこかな。

 ただ――」


 大したことがないと分かったナビアは、大丈夫と口にする代わりにまた笑おうとする。


 だが、それを制するように――。

 ノアは表情を引き締めた顔を近付けて、妹を睨んだ。


「無理してこじれて、内臓なんかがやられたりしたらコトだからな。

 ――ちゃんと安静にしてろ」


「……はーい。じゃ、大人しく寝てるー……」


 もともとの性分から、体調が悪かろうと、じっと寝ているというのはやはり落ち着かないのだろう。

 ナビアはいかにもつまらないとばかりに、眉間に皺を寄せていた。


 今にも目を離すとベッドを抜け出しそうな雰囲気ではあるが……。

 ナビアが、真剣な話に対しては、やはりきちんと真剣に応える性格であることは誰よりノアが理解している。

 彼にしてみれば、これで無軌道なところがある妹の行動に釘を刺せたわけだが、だからといってこんな状態にあるのを一人にして、他のことをするのも気が引けた。


 看病というほどではないにしても、側で様子を見ていた方がいいだろうか……。


 そんな風に迷いながら、手近な椅子に腰を下ろす。

 そうして、これからのことを考えていると――カインが、彼の心中を察したように提案してきた。


「……そうだな。私が食料の買い出しついでに、薬も探してこよう。

 ノア、お前は側に付いていてやれ」


「え? いや、でも……」


 ナビアはカインによく懐いているし、年長者の方が安心感もあるだろうから――と。

 自分の代わりに看病を頼むべきなんじゃないかと結論を出しかけていたノアは、何とも答えられずに言葉を濁す。


 するとカインは、諭すように彼の肩に手を置いた。



「――お前がいてやれ。

 こういうときこそ、肉親が側にいてやらなければな……」



 何か――その声の調子に、いつもとはまるで違う感情があった気がして――。

 ノアは、思わずハッとカインの顔を見上げる。


 しかしそこにあった表情は、いつもと変わりなく見えて――。

 ノアでも、なんら特別な感情を見出すには至らなかった。



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