つい先日も、実戦訓練をした
ある意味いつもの場所とも言えるそこへ呼び出されたグレンは、先んじて一人待つ主人の雰囲気が、いつもとは違うことに気が付いた。
まぶしい夕陽の中、回廊の手摺りに腰掛け、庭園へと視線を投げ出すままにしているその姿は明らかに物憂げだ。
普段穏やかな彼が、そうして眉間に深く皺を刻んでいる姿はとにかく珍しい。
グレンは、そんな滅多に見せない主人の表情に、何か酷く厄介なことが起きたらしいと考えながら――しかし煩わしいというよりは、むしろ楽しむような心持ちで――髭を擦りながら声をかけた。
「どうした、ボス? らしくない顔をして」
物思いに耽っているようであっても、グレンが近付く気配は察していたのだろう。
いきなり声をかけられても驚くことなく、視線を動かしもせず、ウェスペルスは答える。
「――グレン、君の力を借りたい」
「
――さっきの召集か?」
グレンが、つい先刻
ウェスペルスは、隠す様子もなく頷いた。
「ヨシュアの消息を突き止めるため、ライラが提出した端末を碩賢が解析してくれたわけだけど……その結果。
ヨシュアが――『カイン』という名の人物を調べていたことが分かった」
いつものように、自然体で話を聞いていたグレンの、髭をいじる手が止まる。
「――どういうことだ。なぜ新史生まれのアイツがその名を知っている。
いや、それどころか……調べていた、だと?」
「折しもそれは……ヨシュアが、ライラの報告で明らかになった、ノアたちの『協力者』とやらに撃退された後のことのようだ。
そしてその協力者は、正体は不明ながら……今改めて報告を振り返れば、あのカインを思わせる背格好をしている――」
「つまり、その協力者の男は……自らをカインと名乗ったと、そういうことか」
グレンがそう考えを述べると――。
ウェスペルスが膝の上で組んでいた手に、ぐっと力が籠もった。
「けれども――決して本人ではありえない。
そして、僕ら花冠院が
つまりは――この庭都の住人でありながら、カインを――ひいては〈
「あのノアの坊主が自力で調べ上げて、利用したって可能性は?」
「無い、とは言えない。だけど……まず、ありえないだろう。
そもそも不可能に近いし――万が一そこまで調べたのなら、その名が、
……なら、それを承知の上でその名を利用するなんてこと――いくら何でも、あの子たちがするとは思えない」
ふむ、と唸ってグレンは、止めていた手を動かして再び髭をいじる。
「――で、ボス。
アンタが、そうやって難しい顔をしてる一番の理由は何だ?」
「そうだね、僕の――いや、僕らの一番の懸念は何より、春咲姫の心だ。
彼女の心が無闇に掻き乱されたりしないか……とにかくそれが心配だ」
言って、ウェスペルスは一度目を伏せた。
「……なるほど、いかにもボスらしい答えだ。
なら、当の春咲姫はこのことを?」
「当然、まだ知らないよ。
碩賢が気を遣って、僕ら花冠院だけへの報告に留めてくれたからね。
……カインを名乗る人間が現れた、なんて聞いたら――彼女が冷静でいられなくなるのは、目に見えているから」
ウェスペルスの心情を理解したグレンは、それについては同感だと、ただ素直に頷く。
「俺としても、あの娘が苦しんだり悲しんだりしているところは見たくないしな。
――で、結局のところ、俺に何をさせたいんだ?」
ウェスペルスはおもむろに立ち上がると、庭園を眺めたまま答える。
「ヨシュアの端末からは同時に、田園地区について調査を進めていた痕跡が発見されている。
その他の様々な情報をも総合して考えると、ノアたちは田園地区に隠れていて、何らかの機会にそれを知ったヨシュアも、後を追った可能性が極めて高い。
そこで君には……一隊を率いて、現地へ向かってもらいたいんだ」
「……ヨシュアの暴走を抑え込み、カインの名を騙るニセモノをねじ伏せた挙げ句、双子も連れて帰ってこい――と、そういうわけか。
まったく、人使いの荒い」
グレンがおどけた調子でそう言うと、ウェスペルスはくるりと振り返り――。
今日初めて、正面から彼を見据えた。
神の造った芸術品のごとく美しいウェスペルスに、真っ正面から見られることは……気持ちがいいとか悪いといった感情を超えて、寒気にも似た緊張感を背筋に走らせる。
神経が図太いことには自信があるグレンでも、それは例外ではなかった。
「ヨシュアも優秀ではあるけれど、相手は、そんなヨシュアでさえ手も足も出なかったという手練れだ。だからグレン、君に任せたい。
――かつての大戦時……歴戦の戦士として勇名を馳せた、君に」
ウェスペルスの言葉に、グレンははにかみとも、自嘲とも取れない苦笑をこぼす。
「いつも言っているだろう?
俺は、俺たちに新しい希望を与えてくれたボス……アンタに、返しきれないぐらいの恩義を感じているんだ。
そんなアンタのたっての願いとあれば、受けないわけにもいくまいよ――」
そして……凜とした眼差しを主に返した。
「――命令だってことを抜きにしても、な」