「……あら?」
――
様々な機器が積み上げられた、ごみごみとした空間の中……。
飾り気などまるでないテーブルを挟み、お茶のカップを手に部屋の主と談笑しているのは、何とも場違いな印象のある可憐な少女だ。
まさにゴミの山の中に咲いた花のようだ、と思っていると、当の花――
「こんばんは、春咲姫。
今宵は夕食をご一緒出来ず、申し訳ありませんでした」
応えて、
それに対し、春咲姫は子供のように口を尖らせる。
「……もう、またそうやってからかう」
一方ライラは、普段のたおやかな彼女とはまた違った――。
言うなれば、妹か娘といったごく近しい者に接するような、実に穏やかな目で春咲姫を見ながら、クスリとイタズラっぽく笑った。
「だって、どこで誰が聞いているか分からないでしょう?
一応、私もあなたも、立場というものがあるのだから。
――ところで、サラは?」
春咲姫の付き人として、一日の大半をともに過ごしているはずの女官がいないことに、ライラが首を傾げる。
それについて答える春咲姫の顔に浮かぶのは……。
どこか面白がっているような雰囲気もある、苦笑いだった。
「……お父さんのお部屋のお掃除。
昼間に執務室に寄ったとき、ヒドい有様だったって気にしてたから……わたしのことはいいからお父さんの所へ行ってあげて、って」
「あら、またなの?
何年かに一度は必ずその話が出るわね、あの親子」
呆れたような、面白がるようなため息を一つつくライラ。
「そんなわけで……。
このお茶は、久しぶりにお嬢ちゃんが手ずから淹れてくれたものでな」
部屋の主の少年が、いつもの見かけによらない老成した調子で、上機嫌にティーカップを掲げて見せた。
「もう、先生、いちいち大げさに言わなくてもいいです……」
碩賢の態度に、春咲姫は恥ずかしそうに首を竦める。
その様子に、また一度は顔を綻ばせるライラだったが……。
すぐさまそれを引き締め直し、改めて碩賢に向き直った。
「――碩賢、今日はお願いがあって伺いました」
ミルクをたっぷり入れたらしい亜麻色の紅茶をすすりつつ、碩賢は小首を傾げてみせる。
「……お仕事の話?
なら、わたしは席を外した方がいい?」
気を利かせて立ち上がろうとする春咲姫を、ライラが手を挙げて制する。
「いいのよ、気にしなくて。
――どのみち、また後で報告しなければいけないのだしね」
「そう……。うん、分かった」
一度は浮かせかけていた腰を、お世辞にも座り心地が良いとは言えそうもない椅子に再び沈める春咲姫。
その表情はいつしか、凛々しく引き締まった公人のものとなっていた。
「それで、ワシに頼みとは?」
「この端末を解析していただけませんか。
――特に、最近の使用履歴を中心に」
そう言ってライラがテーブルに置いたのは、1枚のカード……
「謹慎処分の際、ヨシュアから没収したものです」
淡々とした調子で告げるライラ。
それに反して、碩賢と春咲姫の顔は強張った。
ライラの直属の部下である彼は、2日前に謹慎処分を下されていた。
彼の言動に疑念を抱いたライラが、彼と行動をともにしていた部下を呼び、問いただしたところ……ヨシュアが独断で、ライラへの報告に制限をかけていたことを認めたからだ。
しかし――処分が決定し、いざ詳しい事情を聴取しようという段になって。
ヨシュアは、密かに姿を消した。
そして……未だに、その消息を掴めずにいたのだ。
「既にお二人とも報告を受けているでしょう。
何を思ってヨシュアが情報を隠し、その上また勝手な行動を取っているのかは分かりませんが……。
その理由の根底にあるのが、彼と、証言してくれた隊員だけが遭遇したという、兄妹の『協力者』なのは間違いありません」
「……そやつの名を聞き取れたのは、ヨシュアだけということじゃったな。
しかし……枝裁鋏二人を手玉に取ったことは間違いない、謎の黒衣の男……か」
碩賢は、まるで髭でも生えているかのように、自身のつるりとした顎を撫でる。
「ともかく――ヨシュアの性格上、ただ処分を逃れるためだけに姿を消したとは考えにくい。
恐らくは、自分だけが知る情報をもとに、今も兄妹を追っているはずです。
ならば……その手掛かりを見つけ、後を追うことが出来れば、それが兄妹の下へ辿り着くことにもなるでしょう」
ふむ、と何かを思案するように一つ唸り……。
碩賢は、差し出された掌携端末を手に取る。
「しかし、なぜ今になって?
それならば、昨日のうちに持ってくればよかったじゃろうに」
「昨日一日は、私なりの猶予のつもりでした。間違いを認め、戻るための。
しかし――あの子は、戻らなかった」
碩賢も春咲姫も、ライラがヨシュアを可愛がり、重用していたことは知っている。
そしてそれだけに、裏切りに近い今回の行為に、誰よりも怒りを覚えていることも。
しかし――ライラの心情はそれだけではなかった。
むしろ、自分を裏切るような行為については、彼女の怒りの理由としては二の次と言っていい。
彼女にとって、最も腹立たしいこと――。
それは、ヨシュアの裏切りが、自分どころか春咲姫にまで影響が及ぶものであることだった。
春咲姫のもと、完璧なまでに調和と安定の取れたこの世界、そこに傷を入れるような愚かな行為を――本来、それを護るべき立場にいる人間がおこなったことだった。
ライラは、ちらりと春咲姫を見やる。
昔から変わらず、どこまでも心優しい少女は……つらそうに、悲しそうに俯いていた。
そんな表情を見るのはライラとてつらかったが――。
しかし彼女は毅然とした態度で、なおも少女を苦しませるであろう言葉を紡ぐ。
「この上は、ヨシュアを反逆者として処罰することも検討しなければ――」
「……ッ!」
ガタンと椅子を蹴立てて、青い顔をした春咲姫は勢い良く立ち上がる。
しかしその反応を予測していたライラは、落ち着き払った様子で少女に向き直った。
「もちろん私も、そうならなければいいと願ってる。
でもね――」
春咲姫の細い肩に手を置き、諭すように――しかし力強く、ライラは続ける。
「私はね……春咲姫たるあなたが、そしてこの
――それを守るためなら、私は鬼にもなる。
また、この手を血で染めることも――
「ライラ……」
哀しむような、気遣うような目でライラを見上げる春咲姫――。
その大きく美しい瞳を見返しながらライラは、小さく頷いた。