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第3節 ゆえに落果は落果たる Ⅳ


 ――駅のホームを離れた列車は、ゴトゴトと、どこか懐かしさを覚える揺れ方をしながら……のんびりとした速度で目的地へ向かって進んでいく。


 特に人気ひとけがない客車の一角を占有し、兄妹と向かい合う形で座席に腰かけたカインは……。

 列車の揺れに身を任せつつ、庭都ガーデンに住まう人々のことを考えていた。


「しかし……これほどの高所に、これだけの街を築くぐらいだ。

 私の知る時代よりも、相当に技術も進歩しているだろうに……この列車を始め、庭都の人間は利便性を追求するどころか、わざとそれを放棄している面があるように感じるのだが……どうしてだ?

 言うなれば、あえて不便さを残しているような……」


 何気なくそう問うカインに、真っ先に答えたのはナビアだった。


「それはね、何でも便利にしちゃうと、どんどんみんなダメになっちゃうからだってー」


「……便利が過ぎると、人は何も考える必要がなくなる。

 それは却って危険だってことだ」


 ナビアに説明を任せると、あまりにもざっくりとしたものになると思ったのか。

 割り込むようにして、ノアが口を開いた。



「人は……不老不死を得たから。永遠の時間を手に入れたから。

 何百年って長い時間を生き続ける上で、便利なばかりで何も考える必要がなく、精神的な刺激も少ない――そんな毎日に埋もれてしまったら、人間性が喪われるんじゃないか……って、そういう結論になって。


 もちろん、それを防ぐのに娯楽って手段もあるわけだけど、でも娯楽だけに耽るのも、やっぱり人間としては良くないだろ?

 だから……結局、普段の日常生活にも、ある程度の不便さから生じるリズムの起伏ってのが必要だ、ってことになってるんだ。


 それで、どうせ時代に逆行して利便性をある程度切り捨てるなら、精神への刺激って意味で有効な、芸術性の高い時代を再現したらどうか――ってことで、特に過去、中世から近世って呼ばれてた時代を模した建築物や調度品が多かったりもする。

 ――まあ、それについては……場所というか、地区によりけり、だけど」



「なるほど……な」


 ――もっとも、利便性の上にあぐらをかいて堕落するというのは、不老不死であるかどうかは関係なく、人本来のさがなのかも知れないが……。


 頷きながらカインの目は自然と、下方に広がる、果てのない雲海へと向けられていた。


「それで……この列車が向かう先に、地上へ降りる道があるのか?」


 視線を戻したカインが尋ねると、ノアは「まさか」と首を振る。


「別に俺たち、地上に逃げようとしてるんじゃないよ。

 そうじゃなくて……この先、田園地区ってトコに、ひとまず生活出来る場所を確保しておいたんだよ。

 ――〈天咲茎ストーク〉にいる間にさ」


「……天咲茎……」


 カインが繰り返すように呟くのを見て、ナビアが窓の外、列車の後方を指差す。



「ほら、あれだよおじさん。

 あれが、〈天咲茎〉」



 言われるまま、車窓から身を乗り出すようにして振り返ったカインは……。

 美しく広がる庭都の街並みの中心に、一際高く天を突いて聳える、大樹のごとき巨塔を仰ぎ見る。

 ここまで来る間にも、視線を上げれば否応なく目に入ったものだ。


春咲姫フローラ花冠院ガーランドの人たちが住んでるの。

 あたしたちも、あそこで育ったんだよ」


「天咲茎は、この庭都のすべての中心なんだ。

 ――ちなみに、花冠院っていうのは、庭都の統治を担っている最高権力者の集まりだよ。

 基本的に庭都は、彼らの合議制で成り立ってる」


 ナビアに続き、ノアが天咲茎について説明する。

 既に彼らは、カインが庭都について――そしてこの時代について、何も知らないのだと決めてかかることにしたらしかった。


 席に座り直したカインは、そこへさらに質問を重ねる。


「ならば……春咲姫とは?

 今までの話からすれば、その上にいる存在のようだが」


「春咲姫は――本人の意向らしいけど、基本的に統治には関わってない。

 もちろん、一番の発言力を持ってはいるけれど、実際、王とか君主とか……そういうんじゃないんだ。

 言うなれば、そう、『母』……かな。庭都の住民すべての。

 それか、アンタでも分かりやすいように言うなら……神、っていうのが近いかも知れない」


「母であり、神……か」



「――不老不死の源、なんだよ。

 春咲姫の身体は、一輪の花と共生していて……その花こそが、人を不老不死にするんだ。

 だけど、花は一輪しかなくて……しかも、共生に適合しているのは、人類でたった一人、春咲姫しかいない。

 そこで――。

 共生するその花の細胞と一つに溶け合った、春咲姫の血を取り入れることで……適性のない普通の人間でも、間接的に、春咲姫を通して不老不死を手に入れられる――って仕組みなんだ」



「……花……永遠の、花……。

 それは……〈不凋花アマランス〉――か?」



 眉間に皺を寄せたカインは、絞り出すようにその名を口にする。

 いや、現に彼は絞り出したのだ――ノアの解説によって、脳内でふっと輝いた、記憶の断片を……見失わないうちに言葉にしようと。


 しかし、今の彼に出来たのはそこまでだった。


 花の名は引き出せても、そこから先が繋がらない――。

 なぜそれを知っているのかさえ、形にすることは出来なかった。


「何だよ、知ってたのか?

 いや――思い出した?」


「ああ、いや……その名前だけを、な」


 記憶として形にならなくとも、それに付随して湧き起こり、なぜか心を掻き乱す、もやもやとした感情――。

 それを抑え込もうと、カインは深呼吸しながら、背もたれに身を預ける。


「そういえば……私の話をしたいと言っていたな?

 ――正直なところ、この記憶の欠落のせいで、何者かと問われても満足に答えられないと思うが……」


「……んん? お兄ちゃん……まだおじさんのこと悪く思ってるの?」


 顔で抗議するように、頬を膨らませたナビアが兄を見る。

 ノアは顔をしかめて、諦めたようにため息をついた。


「……さすがにもう思ってない。

 お前の見立て通りだな、味方っていうのは信じるよ。

 ただ……分からないことも多いから、納得しきれないんだ。

 確か――誰か女の人に頼まれて……それで、どうしても引き受けなきゃいけないと思ったから、俺たちを護ってくれてる……そうだよな?」


 そうだ、と静かに頷くカイン。

 続けて意見を発したのはナビアだった。


「――あの、お兄ちゃん。

 あたし、おじさん、ウソついてないと思うよ。

 それにね――」


 口に出すことで、改めて、これは言わなければならないことだと感じたのか――。

 兄の顔色を窺うように上目遣いだった視線が、凛々しく持ち上げられる。



「理由なんかよりも先に、まず心の奥で、これが正しいんだって思った、ってことなら……。

 あたしたちだって、同じようなものだよ?」



「ん……。そりゃ、まあ……そうだけど……」


 普段滅多に見せることのない、妹の力のこもった視線に思わずたじろいだノアは、まるで救いを求めるようにカインを見ていた。


 カインは一旦目を伏せると、ふむ、と小さく頷く。


「……では、逆に問おう。

 今さらだが、お前たちはどうして――そして、何から逃げている?」


「――何から?

 そりゃ……『不老不死』からだよ。俺も、ナビアも」


「永遠の命など欲しくはない――と?」


「……アンタのために、改めて説明するとさ――」


 ノアは、目一杯に両手を広げてみせる。


「地球上に現存している人間は、もうこの庭都の住民、約10万人しかいないって言われてる。

 そして、アンタも実感しただろうけど――その10万人すべてが、不老不死なんだ。

 だからアンタの中の常識はどうあれ、ここじゃ人は死なないのが当たり前なんだよ。

 ――だけど……」


 ノアとナビアは、ちらりと目を合わせた。

 互いの意志を、もう一度確認するように。


「俺たちは、それが納得出来なかった――」


 これまで他者に聞かせることなどなかっただろう思いを語るノアに、カインは余計な口を挟んだりはせず、ただ無言で先を促す。


「こんな時代に生まれた俺たちだ、死ぬっていうのがどういうことか、まだまだ理解しきれていないと思う。

 でも、それでも……命は、いつか死ぬからこそ生きられる、本当の意味で生きているって言えるんじゃないか、って……そんな風に思ったんだ。

 だから――俺たちは逃げ出した。

 人を不老不死にするための『洗礼』を受ける、その直前に」


「その洗礼というのが……春咲姫の血を通して不凋花の細胞を受け入れること、なのか」


「そう。一応人の身体にとっては異物だから、あまり幼いうちにそれをしようとすると、拒絶反応みたいなものが出て危険らしくて。

 だから、ある程度の年齢まで成長したところで、改めて施術する。

 そして……俺たちはその施術前に逃げ出したから、不死じゃないってことなんだ」


「――つまりは、だ。

 お前たちを追っている連中は、お前たちを殺すどころか、むしろ助けようとしているわけだな?

 いつ果てるとも知れぬ儚い命を……不老不死にすることで」


 それは、カインとしても薄々気付いていたことだった。

 しかし彼はそれを知って、敢えてもう一度ノアたちに確認を取る。


「それは……そうなんだけど」


 ややばつが悪そうに、ノアは首を縦に振る。

 ナビアもすぐに後に続いたが、こちらはもっとすっきりとした動きで、だった。


 ただ、どちらにせよ――。

 二人が二人とも、相手が善意で差し向けているだけの手を、自分たちはそれと理解した上で払い除けていると……そう認めたのだ。


「――そうか」


 カインは何か、微かに残る記憶に思いを馳せているのか――列車の天井を見上げる。

 そこには、花弁を模した造形の照明が、煌々と輝いていた。


「……人は、死を拒む。逃れたいと願う。

 それは人との、世界との――あらゆる繋がりを失い死の闇に沈む、その絶対の孤独を恐れるからだろう。

 だが同時に人は、自分ただ一人が永遠に生きることも忌避する。

 それもまた、あらゆる繋がりから置き去りにされる、絶対の孤独だからだ。

 ――お前たちが、他のすべての人間と等しく、不老不死を与えられるということは……そのどちらからも逃れられるということだ。

 この楽園のような街に、永遠に安住出来るということだ」


 視線を戻し、カインは改めて、ノアの瞳を真っ向から見据えた。


「それが分かって、なお……。

 いずれ死ぬ運命を生きるために、永遠の命を否定するのか?」


 心の奥底まで見透かされそうな鋭い眼光に、ノアはたじろぐ。

 とっさに言葉が出てこない。



「うん……そうだよ」



 代わって口を開いたのは、ナビアだった。


「うまく言えないけど……あたしはその方が大事だって思ったから。

 それに、お兄ちゃんもそうだって言ってくれたから」


「一過性の反抗心などによるものでなく……か?」


「……そういう面も、ある……それはそうだと思う。

 意地張ってるっていうかさ。けど――」


 念を押して確認するカインに、次に答えたのはノアだ。


「やっぱり、納得出来ないって思いがあるんだ。

 心の隅っこに……でも、確かに。

 俺なんか特に、ナビアと違っていちいち損得勘定しちまうから、不老不死を捨てるとかバカなことなんじゃないかって、考えたりもするけど……それでも捨てられない思いが。

 間違いなく――あるんだ」


 カインは、兄と同じように自分へ真摯な眼を向けるナビアにも、改めて視線を移す。


「……うん。死ぬって、怖いよ?

 おんなじ人じゃなくて、病気のハトさんでも……それでもすっごく怖かったから。

 あたし身体弱くて、何回も寝込んだことあるから、そのぶん身近に感じて、余計に怖かったのかも知れないけど……。

 でもね、怖いのも一緒にして、大事なんだって思った。

 ……なくしちゃダメって――思ったんだ」


 兄妹の答えを聞いたカインは、そうか、と一見そっけなく頷く。



「ならば、私がお前たちを助ける理由が、もう一つ出来たな」



「…………?」


「私も、お前たちと同じ考えだ。

 ――人は、死を知り、死を受け入れるからこそ、生を知り、生を輝かせる。

 だから、お前たちが人としての生を、人としてまっとうしたいと願う限り――その身を、意志を。

 私は、護り続けると……約束しよう」


 カインの宣言に、ノアとナビアは思わず顔を見合わせる。

 そして――


「これなら納得出来るか?」


 カインがそう問い直すと、二人して顔を綻ばせ、大きく強く頷いた。

 その姿に、カインも微かに表情を和らげ――また視線を、窓の外の雲海へと向ける。


 ――そして、彼は。


 名も知らぬ女性から兄妹のことと同時に託された、もう一つの。

 細部まではどうしても思い出せない、しかし間違いなく受け取った――。


 もう一つの『願い』について……思索に耽るのだった。



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