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第3節 ゆえに落果は落果たる Ⅲ


 古代の神殿のごとき、荘厳な部屋の中央で――。


 ひざまずくヨシュアは、ただただ深くこうべを垂れるばかりだった。

 少なくとも彼には、他に出来ることなど思いつかなかった。


 その原因となるのは、またもや兄妹を取り逃したという不甲斐ない事実、そして――。


 そして結局、カインと戦ったことを、自分以外の誰にも知られずに済んだため……今回もまた、報告はしないと決めたがゆえに覚える、主への罪悪感だ。



 もちろん彼も、今回こそ主ライラに報告するべきだ――と、そう思わなかったわけではない。



 しかし時間が経つほどに、彼は心の内、カインによって刻みつけられた得体の知れない『恐怖』が燻るのを感じずにはいられなかった……見過ごせないほどに。

 そしてそれは、汚名に対する雪辱とは別に――。

 自らカインを打ち倒すことで、初めて取り除けるのだ……という、直感めいた確信があった。


 いや、あるいはそれは、一種の強迫観念なのかも知れない。


 しかしそれでも、彼はそうしなければならないと信じていた。

 だからこそ、今回もライラへの報告を渋ったのだ。



 結果、ライラにもたらされたのは……。

 ホテルの包囲に気付いて逃げ出したらしく、踏み込んだときには兄妹の部屋は既にもぬけの空だった――そんな報告だけだった。


 しかし彼女はそこに疑念を差し挟むでもなく、ご苦労でした、とヨシュアを労る。


 その気遣いにまた、ヨシュアは胸が締め付けられる思いで下を向いていたが……。

 続けて主が持ち出した話に、弾かれたように顔を上げる。


「……次の機会も、また同じような事態になっては意味がありません。

 そこで、他の花冠院ガーランドの皆とも協議の上、まずは警備隊員だけにでも兄妹の情報を公開することになりました」


「つまり……警備隊も正式に兄妹の捜索に参加する、ということですか?」


 それは、自らの手でカインを倒さなければならないと、そう信じているヨシュアにとって、聞き捨てならない話だった。


 本懐を遂げるためには、他の者に先んじられないように――そして、これまで主ライラに伏せてきた反逆者、カインという男の存在を、文字通り闇に葬るために――より迅速に行動しなければならない、ということだ。


「そうです。

 ――もちろん、あなたたちを信用していないわけではありませんが……警備隊と正式に協力し合うことが出来れば、捜索の効率も飛躍的に上がるでしょうから。

 残念ながら、極力事を荒立てずに――という春咲姫フローラの希望からは、若干逸れてしまうことになりますが……」


「しかしそんな、ライラ様……!

 そのようなことをなさらなくとも、我らが必ず……!」


 思わず、主の決定に異を唱えてしまうヨシュア。

 しかも、そう言いながら……二度も失敗した人間がどの口でこんなことを、とも思わずにいられない。


 一方ライラは、それについて怒ることも機嫌を損ねることもなかったものの、少しばかり事務的な口調で、既にそれは決定事項であることを告げた。


「失敗したからこそ、何としても自分たちの手で事態を収束させたい……その気持ちも分からないではありませんが。

 ヨシュア、昔からあなたは責任感が強かったですからね。

 ……いえ、それとも――」


 ライラは、ふっ、と……その美しい切れ長の眼をさらに細める。

 主のそんな仕草にヨシュアは一瞬、背筋に何か冷たいものが走るのを感じた。



「あなたがそこまで責任を主張するのは……他に理由があるから、かしら?」



 その一言に危うく反応しそうになったものの……ヨシュアはすんでのところで自制することが出来た。


「――まさか。そのようなこと、あるはずがございません。

 すべては、わたしが初手で失敗したことに尽きるのです。

 ですから――」


 気付けば自らの身勝手で、事実をねじ曲げた報告をしていたヨシュアだったが……。

 これだけは嘘偽りのない真実と、心からの決意の言葉を述べる。


「今度こそ、彼らを無事に保護いたします。

 最善を尽くし、今度こそ、春咲姫ならびに花冠院の皆様のご心労を取り除くと、固くお約束いたします」


 ライラは、ヨシュアの決意のほどを窺うように、しばらく無言で彼の真っ直ぐな視線を受け止めていたが……。

 やがて、ゆっくりと頷いた。


「……期待していますよ。

 あなたならきっとやりとげてくれる――そう信じています」





     *     *     *



「…………」


 ヨシュアが立ち去った後も、部屋の入り口を思案顔でしばらく見つめていたライラ。

 そんな彼女は、やがて椅子の肘置きに、おもむろに手を伸ばす。


 いかにも古めかしい造りをしている椅子の、そこだけ機械的な光に彩られた箇所。

 それを、白く細い指を踊らせるように操作すると……若い女官の映像が宙に浮かび上がった。


「いかがなさいましたか、ライラ様?」


 女官の問いに、ライラは唇に指をあてて僅かに逡巡した後……一人の人間の名を告げた。


「少し尋ねたいことがあるので、時間が空き次第、私のもとへ来るようにと」


 かしこまりました、と一礼し、女官の映像はかき消える。

 それを確認したライラは、気怠げに小さく長く息をつき……。


 改めてもう一度、部屋の入り口の方へと目を向けた。



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