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第3節 ゆえに落果は落果たる Ⅱ


「……この列車に乗るのか?」


 蒸気機関車を思わせる列車を左右に見渡し、カインはノアに尋ねる。



 ――今、彼ら三人がいるのは列車のホームだった。


 列車のデザインに合わせた、前時代的なドーム状の建築物の中……天窓から射し込む爽やかな朝日に目を細めつつ、ノアは頷く。


「列車はチェックが甘いし、田園地区へ向かうなんて誰も思ってやしないはずだから」


「そう言えば、切符なども必要なかったな」


「切符、ねえ……。

 ホント、アンタに残ってる記憶ってのは、旧史のものばっかりみたいだな」


 どこか呆れたように、眼鏡を整えながらノアは言う。


「とにかく今は、こんなところでいちいち利用者のチェックなんてしないんだよ。

 ――まあ、そのための設備とかはちゃんとあるから、その気になれば身分確認だって出来るんだけど……。

 でも、それに対してはちゃんと偽造データも用意してあるし、そもそも大本のシステムにも手を加えてあるから、まず問題ない。

 一応、逃げ出す上でそれぐらいの下準備はしてきてあるんだ」


 ノアの説明に、そうか――と頷き、カインは背中からずり落ちそうになっていた、大きな荷物を背負い直した。


「……しっかしこいつ、一人で気持ちよさそうにしやがって……」


 ノアはカインの背の荷物――。

 静かに寝息を立てる無防備な妹を見上げ、呆れ顔でため息をついた。


 カインはそんな兄妹の姿に、微かに綻ばせた顔を……改めて、線路の延びる先へと向ける。



 ――この駅が建っているのは、都市の中心部から離れ、美しく手入れのされた広大な自然公園を抜けた先だった。


 そして駅からは、ほぼ真っ直ぐに延びる線路が二条あるのみで――。

 土地勘のないカインでも、ここがターミナルというより、都市の中心と別の地区を結ぶ中継点でしかないことが分かる。


 しかし、先程からカインは、もっと別の事実に注意を引かれていた。

 駅舎の先は……彼らがこれから向かおうとしている方向へと、切り立った崖に迫り出すように作られていたのだ。


 そしてそこから伸びる線路は、大きく立派な石橋の上を走っており……。

 時折、飛び石のように突き出た大岩を足場に、若干の蛇行をしながら、彼方の山のなだらかな斜面に広がる、緑豊かな高原へと続いているのだが――。



「なるほど……空気に違和感があるわけだな」



 線路の下方に広がるのは、滔々とうとうと流れる大河でも、大口を開けた峡谷でもなかった。



 そこにあるのは、海――。

 それもただの海でなく、果てない広がりを見せる『雲海』だったのだ。



 それはつまり、庭都ガーデンと呼ばれるこの都市が……。

 雲を見下ろすほどの高山を複数またぐようにして築かれた、一種の空中都市だということを示していた。


 線路の石橋が足場にしている飛び石も、ただの大岩ではなく、標高がやや低い岩山の山頂なのだろう。


(限りなく天に近い……まさしく〈楽園ガーデン〉――か)


 頭上には、青すぎるほどに青い青空が、天地をひっくり返した大洋のように広がっている。


「……まさか、この都市がこれほどの高所に築かれていたとは思わなかったな」


「地上には、住めなくなったからだよ」


 カインの視線を追って青空を見上げながら、ノアは独り言のように語る。



「……1000年以上前のことだそうだけど。

 人と人の争いは、どんどん規模が大きく、激化の一途をたどって……やがて世界中を無秩序に巻き込む大戦に発展した。

 そしてついには、人類のほとんどすべてが死滅するほどの状況にまで行き着いたって……そう学んだ」



 完全に記憶から失われているのか、それともそもそも記憶に無い話なのか――。

 ノアが語る凄惨な歴史に該当する経験は、カインの中には無い。

 だが、現実感まで無いわけではなかった。


 彼は、人とは、どこまでも賢くなれるがゆえに、決して拭えぬ愚かさも持ち合わせていることを知っていたからだ。

 それが揺れる天秤で、ともすればたやすく一方に――それも大きく、傾いてしまう可能性があることも。



「――そんなとんでもない大戦だったから、人間だけでなく、他の生き物、そして世界そのものに与えた影響も尋常じゃなかった。

 世界のあらゆる場所が汚染され、崩壊し、環境が激変して……生き物の生きていけるようなところじゃなくなっていた。

 だから人は地上を捨てて、影響の少なかった高所――雲より上に安住の地を求めたんだ。

 そして……この庭都が出来た」



「それで、地上は今どうなっている?」


 カインの問いに、ノアは首を振る。


「未だに、どうしようもないぐらい荒廃したままだ――って聞いてる。

 ここからじゃ、環境の変化のせいか、ほぼ常に雲に覆われててロクに見えやしないし……。

 それに、昔は一応、定期的に調査隊も送っていたみたいなんだけど、わざわざ安全な庭都を出るなんてバカバカしいって話になって以来、誰も興味なんて持たないから、それも廃れて……。

 結局、今実際にどうなってるのかは分からない」


「人間は?」


「――いやしないよ。

 言ったように、庭都を出る人間なんていないし……。

 それにたとえ今、地上の環境が元に戻りつつあるとしても……当時は、本当にどうしようもないぐらいの状態だったからこそ、人はこんな場所まで移住してきたんだから」


 そうか、とカインはただ静かに頷く。


 そうして、どこがどう失われているのかも定かでない、断片的な過去の記憶にしばらく思いを馳せていた彼は――。

 やがて、ホームに鳴り響くベルの音に我に返った。


 発車の合図なのだろう、見れば、もともとそれほど多くはなかったホームの人間が、列車に乗り込んでますます少なくなっていく。


「ウン……? 着いたのぉ?」


「今から乗るんだよ」


 ベルの音で目が覚めたらしいナビアのぼんやりした言葉に返事をしながら、ノアは先に立って列車に乗り込む。

 そして、すぐにカインを振り返って言った。


「この列車が向こうに着くまでの間に、アンタのこと、話してもらうからな?」


 カインは頷くと、起きてなお背中から降りようとしないナビアを、文句を言うでもなくもう一度背負い直し……。


 ノアに続いて、列車に足を踏み入れた。



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