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第2節 存在しないもの Ⅳ


 ――月光の下、庭園の広場で、白と赤の影が手に手を取って舞い踊る。


 ただし、一挙手一投足の合間に、生死が織り込まれたそれは――闘舞だ。



 舞手の一人は金色に咲く髪を振り乱す、天使のごとき純白の影――ウェスペルス。


 そしてその相手を務める真紅の影は――揺らめく炎のような赤みのある髪と髭をたくわえ、顔に幾重にも刻まれた古傷が鬼神の凄絶さを醸し出す、赤衣の男だった。


 天使と鬼神の人外の舞踏は、いつまでも続きそうですらあったが……唐突に、あまりにも呆気なく終わりを迎える。


 それは、あまりに鮮やかな体捌きによる投げ技だったのだろう――。


 赤衣の男の身体が宙で真円を描いて一回転し、受けた本人すら理解せぬ間に背中から地面に叩きつけられたのだ。

 そしてその喉元に――ウェスペルスが王手とばかり、鋭く手刀を突き付けた。



「……参ったよ、ボス。さすがだ」



 倒れた男は軽く咳き込みながら、降参とばかりに両手を広げる。

 古傷の生々しさばかりでなく、もともと険しい顔立ちの彼だったが、そう言って不器用に苦笑するさまはどこか人懐こく……つい先程までの、鬼神の迫力はすっかり失われていた。


 ウェスペルスもまた表情を崩しながら、ヨシュアと同じ赤衣に身を包んだその男――グレンが立ち上がるのに手を貸してやる。


「――グレン、君こそ。

 訓練とはいえ、僕をこうまで追い込めるのは君ぐらいのものだ」


「良く言う……ライラ様もいるだろうに」


 土埃をはたき落としながら、グレンは呆れたように答えた。


「……ところでボス。

 あの坊主どもの捜索はどうなったんだ?」


「ああ……それなら先刻、ヨシュアが再度保護に向かったよ」


 微かに乱れていた服を整えながら、ウェスペルスは答える。


 それに対してグレンは――。

 何か思うところがあるのか、ふむ、と眉間に皺を寄せた。


「ヨシュアがどうかしたのかい? この任務には不適格だとでも?」


「……まさか。こうした仕事は、生真面目なアイツの方が俺なんかよりもよっぽど適任だ。

 能力も、新史生まれの若手の中じゃ特に優秀だしな。

 ただ……」


「ただ?」


「アイツが兄妹を取り逃がしたすぐ後、顔を合わせる機会があったんだが……そのときの様子が引っかかってな。

 ――この庭都ガーデンじゃありえないことだってのに、どうも似ていた気がするんだよ。

 そう……激しい苛立ちの陰に見え隠れする恐怖、恐怖を覆い隠すための苛立ち。

 そのさまが――」


 自らの記憶の内を透かし見るかのように――グレンは目をすがめた。


「……死の淵を覗いてしまった人間のそれに……な」





     *     *     *



 ヨシュアが突きつける軍刀サーベルの切っ先を見据えたまま……。

 カインは両脇に抱えていた兄妹を、ゆっくりとその場に降ろした。



「その二人は返してもらいますよ。

 もし、今回も邪魔をするというのなら――」


「邪魔はしない、この子たち自身がそう望むのならな。

 だが、そうでなければ――」


 カインは改めて意志を問うように、兄妹を交互に見やる。


 ノアとナビアは、一度顔を見合わせた後、二人揃って首を振ると……。

 ヨシュアを見据えたまま、カインの背後へと退がった。


「――私は、お前の要求に従うわけにはいかない」


「やはり――君は反逆者のようですね。

 庭都創設時の黎明期には、そうした愚かな輩も多少なりといたと聞きますが……まさか今でも存在していたなどとは、夢にも思いませんでしたよ。

 ――ノア、ナビア、そこで大人しくしていなさい。

 この反逆者を処理次第、君たちを連れて帰りますから」



「……おじさん……」


 心配そうに自分を見上げるナビアに、カインは一瞬視線を送って答える。


「この男の言う通り、今は下手にこの場を離れるな。

 ――大丈夫だ、すぐに済ませる」


 カインの発言に、ヨシュアの頬が僅かに引きつった。


「――聞き捨てなりませんね。

 前回と同じようにいくと思ってもらっては困りますよ……!」


 そう言い捨てるや否や……。

 怒りの感情そのものを、しかし感情の発露よりも早く、直接叩き付けるかのように。

 ヨシュアは鋭く踏み込みながら、カインに突き付けていた軍刀を、その喉元目がけて一息に伸ばす。


 身構えることさえしていない無防備なカインに、予備動作もないその迅速な突きは――かわすことはおろか、防ぐことさえ不可能だとヨシュアは踏んでいた。


 前回遅れを取ったことからすれば、あまりに呆気ない勝利だが……これこそが本来の結果なのだと。


 いくら不死の身でも、急所と呼ばれるような場所を傷つけられれば、完全な復帰には時間がかかる。

 そしてそれは、改めてこの男の身柄を拘束するにも、兄妹を確保するにも、充分な時間だ――。


 軍刀が喉を貫く感触とともに訪れる、雪辱の歓喜すら、ヨシュアは思い描いた。

 それは同時に……。

 彼の心に渦巻く、焦燥感を伴った、得体の知れない暗雲が晴れる瞬間でもあるはずだった。



 しかし――軍刀の切っ先が捉えたのは、空だった。



 いなされたとも、かわされたとも感じる間はなく――。

 まるで初めからその何もない場所を狙っていたかのように、寸分違わず――。


 軍刀は、カインの影だけを闇ごと刺し貫いていた。



「――!?」


 信じられない、何が起こった――と、相手の行動を把握出来ない混乱と驚愕が、ヨシュアの脳内で形を成す。


 刹那、そこへ割り込むように、軍刀を握る手に衝撃が走った。

 堪えようとする余裕すらなく、手放した軍刀が乾いた音を立てて床に転がる。


 危機を感じ、とっさに距離を開けるヨシュア。



「――ヨシュア、と言ったな」



 未だ混乱する思考を、必死に落ち着かせる――そんなヨシュアを淡々と見やりながら。

 軍刀が貫いた影が存在していたのと、ほとんど同じ場所に悠然と佇むカインは……静かに口を開く。


「お前は恵まれた才を持ち、そしてそれをたゆまぬ鍛錬により磨き上げてきたのだろう。

 その身体能力も技量も、見事なものだ。

 だが――お前は」


 カインは、すっと目を細めた。



「――人を殺したことは、無い」



「と、当然でしょう……! ひ、人は……!」


 死ぬことなどないのだから――。

 そう答える代わりに、ヨシュアはカインの視線を受け止め、睨み返す。


 しかし対するカインは、むしろ戦意を失ったように……小さく息を吐いた。


「だからこそ……お前は決して、私には勝てない。

 ――諦めろ」


「よ、世迷い言を――ッ!」


 腰に下げていたナイフを抜き放ち、ヨシュアは怒声の勢いのままカインに襲いかかる。

 機敏でありながら、しかし無造作とも取れるその突撃を、カインはナイフを持つ腕の方へと回り込むように動いてかわそうとする。


 それは、その後繰り出す反撃を計算に入れてのことだろう。


 しかし――その動きは、ヨシュアの予測の内だった。

 翻る赤衣のマントの陰、カインの死角の中で……ヨシュアは空いた手を拳銃に伸ばす。



 だが――拳銃は抜けなかった。



 マントを潜って伸びてきたカインの手が、その動作を押さえ込んでいたからだ――ヨシュアがそうすることを、予め知っていたかのように。


「な――!?」


 ――ヨシュアの本能が、激しい警鐘を鳴らす。


 そして、極限状態に、恐ろしいほど鋭敏になったヨシュアの感覚は……そこからの一連のカインの動きを、ひたすら緩慢に、精密に、脳へと伝えていた。


 完全に無防備となったヨシュアの喉元目がけて、手刀が空を裂いて襲い来るさままでも――無慈悲に、ゆっくりと。


 前回と同じように、手刀が喉を貫くまさにその瞬間――。


 果てなく短いその一瞬、胸の奥から体の隅々まで行き渡る感情。

 カインと戦うことによって生まれ、気付かされ、刻み込まれた、不快極まる感情……。



 ――これこそが……『恐怖』なのだと。



 まさにその瞬間、ヨシュアは直感的に理解した――。



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