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第2節 存在しないもの Ⅰ


「……それでは、こちらがお部屋になります。どうぞごゆっくり」



 兄妹を案内した若い女性は一礼を残し、毛足の長い絨毯の敷かれた広い廊下を戻っていく。


 その後ろ姿を、油断なく見送ったあと……。

 ノアは、後ろ手にドアを閉めて大きく息をついた。



「へえ〜、これがホテルのお部屋かー。すごいね、お兄ちゃん」



 ようやく緊張から解放されたと言わんばかりの兄とは対照的に、ナビアは好奇心に目を輝かせながら、さっそく部屋の中をちょこちょこと動き回る。


 ロココ様式の宮殿を模したらしい、華麗な曲線による優美な装飾が細部まで施されたその部屋は、小さなパーティーぐらいは開けそうな広い居間に寝室、さらには専用の浴場まであって、まさに王侯貴族の居所といった装いだ。

 そんな広い空間の中を、踊るように行き来する妹の無邪気な姿に苦笑しつつ、ノアは言う。


「休憩なのに、はしゃぎすぎて疲れるなよ。

 それでなくてもお前……身体、弱いんだからな」


 背負っていたリュックサックを無造作に置くと、ノアは側のソファにひょいと飛び込む。


 ナビアも、クッションにぼふりと包まれる兄の姿に興味を抱いたのか、向かいのソファに駆け寄ると、兄よりも大きく、文字通りにお尻から飛び込んだ。


 その感触が、実に満足なものだったらしく――。

 さらに何度も跳ねる笑顔のナビアを、ノアは眼鏡を整えながら呆れ顔でたしなめる。


「こらナビア、はしたないマネするな」


「大丈夫だよ、今はひらひらしたスカートじゃないし」


 にこやかに答え、ナビアはショートパンツ越しに太股をぱしっと叩く。


 思わず、スカートでも気にしないだろ、と言いかけるノアだったが、どうせムダだと止めてしまった。

 そして……。


「とにかく……これでようやく、一息付けるってわけだ」


 大きく伸びをしながら、ソファにごろりとだらしなく横になる。


「お兄ちゃんもだらしないー」


「いいだろ、ちょっとぐらい。

 さすがに疲れたんだから……」


 もう一度大きなため息をつき、ゆっくりとした動きで自分のお腹に手をやるノア。

 緊張から解放されると、途端に腹が鳴った。


「腹、減ったなー……。歩き詰めだったもんな」


「そだね。じゃあゴハン作ろうか?

 あのシチューとか、材料買い出しに行って」


 ソファの上で膝を抱えていたナビアが手を挙げるが、ノアは首を横に振る。


「いや、いいよ別に。

 お前も疲れてるだろ。ホテルの人に何か持ってきてもらおう」


 テーブルの上の、これもまたアンティークな造りをした内線電話を引き寄せると、フロントに適当な軽食を頼むノア。


 そうして待つことしばし――。



 運ばれてきた大皿いっぱいのサンドイッチを、二人はひょいひょいと次々に平らげていく。

 二人とも、自分たちで思っていた以上に空腹だったらしい。



「あ、ナビアお前、フルーツサンドばっかり!

 デザートは後だろ!? それに俺の分は!」


「えへへ、早いもの勝ちだもんね」


「ンなこと言って、お前、前に俺が同じコトしたら丸二日むくれてただろっ!」


「しーらない。

 お兄ちゃん、そんな小さいことまでいちいち気にしてちゃダメだと思うなー」


 そう言ってイタズラっぽく笑う妹が、しかしきちんと自分の分を残してくれることを、口を尖らせつつもノアは理解している。

 ……何せ、生まれる前より一緒の双子なのだ。


 しかしだからと言って、いつも仲良くしていたわけではない。

 何もかも同じことをして生きてきたわけでもない。

 性格はむしろ正反対、つまらないことでケンカをするのもしょっちゅうだ。


 だが……それでも、気付けばいつの間にか一緒にいる。


 お互い意見がぶつかっていても、なぜかうまい具合に折り合いがついて、いつの間にか同じ方向性の意志に落ち着いている――それがこの二人だった。

 まるで双子どころか、一人の人間の表裏であるように。



「……でもお兄ちゃん、よかったよねぇ」



 いきなりのナビアの主語のない発言に、ノアはハムサンドをかじったまま首を傾げる。


 だが、何かと無軌道なところのある妹の、突飛な言動はいつものことだ。

 戸惑うのも一瞬……ノアはすぐさま、彼女の言わんとしていることを悟った。


「何だよ……ホテルの従業員に俺たちの正体がバレてないこと、か?」


 ナビアはその通りとばかり、大きく首を縦に振る。

 くりくりと良く動く大粒の黒真珠のような瞳とお揃いの、肩口で切り揃えられた少しクセのある黒髪が、合わせて派手に踊った。



「まあ……そうなるように、時間をかけて準備してたんだからな。

 だいたい、俺たちが不老不死を拒否して洗礼前に逃げ出したって話は、いたずらに住民を混乱させるだけだから、花冠院ガーランドはそう簡単に公表したりしないんだ。

 少人数の追っ手で、バレないうちに俺たちを確保すれば済む話だし。


 もっとも……公表しようったって、俺たちについての情報はデータベースからきれいサッパリ消しておいたから、そう簡単には出来やしないんだけど……。


 まあともかく、一般の人は俺たちが逃げていること自体知らないわけだ。

 だから、堂々としてればバレないのは当たり前なんだよ」



 得意げに語るノアだが、ナビアにはつまらない話だったらしい。

 その小さな口から、大きなあくびが出る。


「……あふ。

 あ、でもでも、ちょっとは緊張してたでしょ? バレないかな、って」


「…………。

 そりゃ、まあ……もしかしたら、ってぐらい……考えるに決まってるだろ」


 一度捕まりかけたんだからな、と続く言葉を呑み込み、空威張りにふんと鼻を鳴らすノア。


 こうして改めて腰を落ち着け、考えを巡らせてみると……。

 思い浮かぶのは、あのとき自分たちの前に現れた、旧時代の宣教師のような格好をしたカインと名乗る男のことだった。



「どうしたんだろうね、あのおじさん」



 やはり考えつくことは同じなのか、ナビアはまるでノアが自問したように話題を向ける。

 ただ、当然、二人の思考が何もかも同じというわけではない。

 その表情からして、未だ疑いを感じるノアに対し……ナビアはカインのあの後について、素直に心配しているようだった。


「さあな……。

 ま、只者じゃないみたいだったし、大丈夫だろ」


「うん……でも、どうして助けてくれたのかな。

 あたしたちの味方なんていないはずなのに」


 ナビアの何気ない一言は、ノアの表情にも僅かな影を射した。


 ――そう。

 不老不死が当たり前のこの世界で、それを拒否して逃げ出した自分たちは、明らかな異物なのだ。

 限りある命、それこそが正しいんだと思ってはいても……自分たちの置かれた状況を改めて言葉にしてみると、さすがに不安を感じずにはいられない。


「しっかし……味方なんていないはずなのに、って、お前なあ……。

 それが分かってるなら何であのとき、あの男のこと、あんなに簡単に信用したんだよ?」


 ノアは顔をしかめるも、ナビアは逆に、その結論が理解出来ないとばかりに首を傾ける。


「だって、助けてくれたもん」


「本当は花冠院の手先で、俺たちを騙そうとしてるのかも知れないじゃないか」


「そんなことしなくても、あのままだったらあたしたち捕まってたのに?」


 あまりに的確なナビアの指摘に、ノアは唸る。


「それに、枝裁鋏シアーズの人たち、ホントにあのおじさん知らないみたいだったし……」



「――ああクソ、分かったよ!

 俺だって気になるし、とにかく調べてみるって!」



 なかばヤケ気味にそう言い捨てて、ノアは荷物からプラスチックめいた材質の、透き通ったカードを三枚取り出す。

 カードはそれぞれ、青、赤、黄といった色をしていた。



掌携端末ハンドコムで? 調べられるの、そんなこと?」


「まあ、ここからじゃ、出来ることは限られるけどな……」



 掌携端末と呼ばれた三枚のカードをテーブルに並べると、ノアはその上に手をかざす。


 たちまちのうちに、それぞれのカードの上に、小さな映像が宙を切り取って投影された。

 同時に、カード自体にも、入力操作用らしいキーなどの画像が、燐光の中に浮かび上がる。


天咲茎ストークの方にある住民情報にアクセスしてみる。

 ……向こうのデータルームで直接操作するわけじゃないから制限は大きいけど、見てろよ、住民情報洗うぐらいなら何とかなるから」


 本来一枚で充分な機能を持つカード三枚の擬似キーの上を、ノアの手が踊り始めた。


 ……そうして、しばらく。



「……なんだ、これ……?」


 やがて端末が映し出した映像に、ぴたりと手を止めたノアは、間の抜けた声を上げた。



「どう……なってんだ……?」



「? なに、壊れちゃったの?」


「違う、そうじゃない――ほら見ろよ、これ!」


 テーブルの向かいで首を傾げる妹を呼び寄せ、浮かび上がる映像を勢い良く指差すノア。



 その映像――。

 人名のリストらしきものの中央には、大きく『該当者無し』とあった。



「これ……いない、ってことだよね?」


「ああ……そうだ。色々試してみたけど、どうしてもこうなる。

 つまり、だ――」


 ノアは、唾を一度飲み込む。



「この庭都ガーデンの住民として登録されている中には一人もいないんだよ……カインって名前の人間は!

 そもそも未登録の人間なんて、いるはずないのに!」



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