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第1節 落果追う者たち Ⅲ


「失礼します、碩賢メイガス。構いませんか?」



 ――どことなく薄暗いその部屋は、現在ではおよそ時代遅れも甚だしい、いかにも、といった形状の情報機器やモニターに埋め尽くされていた。


 重厚なものとはいえ、ドア一枚で隔てられただけの……これまで居た整然とした通路とのギャップに、いつものように目を細めながら、奥へ声を投げかけるウェスペルス。


 それに応えたのは、どこか中性的な響きで僅かに甲高い、少年の声だった。



「それは入室する前に言うものだと、もう何年言い続けとるかの、ウェスペルス?」



 機器群の奥に据えられた、これもまた何か細々こまごまとした機械が備え付けられている大きな椅子がくるりと回転し、ウェスペルスの方へ向き直る。


 そこに座っているのは、法衣などでなく、ずっと機能的かつ愛想のない白衣を着込んだ、見た目10代半ば頃の小柄で痩せた少年だった。


 髪を短く刈り込んだ利発そうなその少年は、からかうような……しかしどこか年齢に似合わない含みのある笑みで、ウェスペルスを出迎えた。


「部屋の外で呼んでもムダだからと、僕も、何十年も言い続けてきたと思いますよ?」


「そうじゃったか? ワシは記憶に無いがの」


 老人のような言葉でそう言って、老人のような笑い方で快活に笑う少年。

 その姿を見ながら、ウェスペルスも釣られて苦笑する。


「それで、何の用かな……と、決まっとるか。

 あの兄妹のことじゃな?」


「はい。碩賢は先刻、居場所を割り出せそうだとおっしゃっていましたので」


「まあ……まだ絞り込みの最中じゃがな」


 碩賢と呼ばれた少年は椅子を回し、背後の前時代的なコンピューターを操作する。


 ――この部屋の機器は、主人である碩賢の好みに合わせて見た目こそ古いものの、その多くは、実際には最新鋭の技術が惜しみなく投入された最新型だ。


 そして、それらも含めた様々な技術開発を研究者として総括しているのが――他でもない彼、〈碩賢メイガス〉だった。


「……ノアの坊主が、ここを出て行く前にメインコンピューターのシステムに手を加えていきおったことは報告したろう?

 そのせいで、ネットワークを使った捜索は今しばらくまともに使えんのじゃが……ちょっとした計算と行動予測ぐらいなら、メインシステムに頼るまでもないからな。

 あの子らがヨシュアを撒いた地点を中心に、一定距離内にある宿泊施設数件を、事情を知るライラのところの若いのに見張ってもらっておる」


「身体の弱いナビアのことを考えれば、確かに休息は取るでしょうが……ノアのことです、用心深くそうした施設は避けるのでは?」


 ウェスペルスの疑問を、碩賢は得意げに鼻で笑った。


「――だからじゃよ。だからこそ逆に、あの坊主はこちらの裏をかこうと、そうしたところを選ぶ。

 メインシステムをいじって、こちらの行動を抑え込んだ……という自負もあるじゃろうしな」


「……なるほど。ところで碩賢、その、ノアがおこなっていったという、メインシステムの改竄かいざん操作。そちらの復旧はどうですか?」


 ウェスペルスが続けてその質問を向けると……。


 ぴたりと手を止めた碩賢は、先ほどとは一転、何とも言いがたいしかめっ面を見せた。


「一応、それについても報告は受け取っていますが……碩賢の個人的な見解を直に聞きたいと思いまして」


 からかっているようにも、ただ無邪気なようにも聞こえる……。

 そんなウェスペルスの、たおやかな声音に困惑さえしながら――碩賢は眉間に皺を寄せたまま、ぶっきらぼうに答える。


「あの坊主め、単純なデータベースの改竄どころか、システムの根幹そのものにまで手を加えていきおったようじゃからな……。

 チームの者たちが総出で復旧作業に勤しんどるが、今も言ったように、すぐさま元通り、というわけにはいかんじゃろ。

 何しろ、あまりに巧妙にやられておるから、そもそもどこがどういじられたのか、一見しただけでは判断出来んような状態でな」


「具体的にどうなるんです?」


「……それが分かれば苦労はせんわい。

 まあしかし、一番に自分たちの身分を偽造したのは間違いないな。

 そうでなければ食料の調達も満足に出来んし、どこへ行くにも、何をするにも、足跡が付いて居所がすぐに割れてしまうからの。

 もちろん、それだけとは限らんが……少なくとも、あの子に――春咲姫フローラに、そしてあの子が愛するこの庭都ガーデンに、直接の被害を与えるようなことだけはしておらんじゃろうよ」


 碩賢の意見に、ウェスペルスは神妙な顔で頷いて同意する。


「そうでしょうね。

 あの子たちは、春咲姫が憎くて逃げ出したわけではないはずですから」


「憎い……か。まあワシとしては、今はノアの坊主を小憎らしいと思うがな」


 冗談混じりに言って、碩賢は肩を竦めた。


「教え子にしてやられた、といったところが、ですか?」


「そんなところじゃ。

 ――ただ、やはりあの坊主は天才だったと、改めて思うな。さすがというか、大したものじゃよ。

 こういう形での証明になったが……将来花冠院ガーランドの一角を担わせるべく、英才教育を施すに値する――という見立ては、決して間違っていなかったというわけじゃな」


「そうですね。ナビアも含め、人格的にも問題なく育った。

 春咲姫との仲も良好で……まさかこんな暴挙に出るとは、思ってもいませんでした」



「まさか……か。

 本当にそうか? ウェスペルス」



 碩賢は目を細め、首を振っていたウェスペルスを見上げる。


 その視線は、ウェスペルス本人や彼の真意といったものよりも……もっと遙かに遠いものに向けられている、そんな気配があった。





「……なあ、碩賢のじいさん」


「なんじゃな、坊主」



 ――それは、一月ほど前のことだったろうか。


 そのときも、会話の口火を切ったのは……一見、外見上は同年代の少年二人の挨拶にしては奇妙に聞こえる、呼び名を交えた台詞からだった。


 デスクに向かう碩賢の脇で、飾り気のない椅子を前後逆に、背もたれの上に腕を組んで座るノアは、いつも通りに振る舞っているものの……どこか緊張しているように見えた。



「死ぬって……どういうことなんだろう」



 知的好奇心の旺盛なノアは、幼い頃からいろいろな疑問を碩賢に投げかけてきたものだ。

 だが今回のそれは、明らかにいつもと毛色が違った。


「……また奇妙なことを聞くもんじゃな。

 どうした? 突然」


「突然、ってわけでもないんだけど……まァいいや。

 ――で……どうなの?

 じいさん、旧史の頃は医者だったって言うし、普通の人より、その……接する機会は多かったハズだろ? そういったことにさ」


「ふむ……それについては否定はせんが。

 そんなことを聞いてどうする?」


「……一度、聞いてみたかったんだ。

 俺だって、死についてはいろいろと考えてきたけど……それが、そう、死が当たり前にあった頃の考えと……どう違うのかな、って」


 上手い言葉が見当たらなかったのか、答えるノアの歯切れは珍しく悪い。



「……ま、正直に言ってしまえば……。

 究極的には、分からん、の一語に尽きるか」



 椅子の背もたれに深く身を預けながらの碩賢の言葉に、ノアはあからさまに顔をしかめた。

 からかわれていると感じたのだろう。


「――しかたなかろう? ワシとて、死んだことがあるわけではないのだからな。

 ただ……イヤじゃったよ、もちろん。

 知り合いなら言わずもがな、赤の他人――いや、人でなくとも、死を見る、というのは決して気分の良いものではなかった。

 いつの間にか、慣れはするんじゃが……それは自分が受けるショックを和らげるための、防衛本能のようなものじゃからな。

 空恐ろしく、物悲しい……死が持つ、そんな本質が消えるわけではなかったな」


 遙か遠い過去を思い出して――碩賢はそれこそ老人のように目を細めた。



「でも、それだけじゃない……だろ?

 でなきゃ、そのショックに潰されるだけのハズだ」



 身を乗り出して問い直すノア。

 碩賢はほう、と唸る。


「……そうじゃな。死とは、つらく、悲しいものじゃ。無いにこしたことはない。

 だが……過去の人間たちが、そこに何らかの意味を見出して、次代の命、歴史の糧にしてきたのも……また、疑いようのない事実じゃな。

 ワシとて、過去に出会ったいくつもの死に何かを学び取ったからこそ、ここでこうしておるのじゃろうし――の」


「……そっか。やっぱり、そうなんだな……」


 背もたれに組んだ腕の中に顔を埋め、独り言のように、ぽつりとノアは呟く。


「もし、不凋花アマランスの洗礼を受けずに生きたとしたら……俺も、そういうことがもっと分かるようになるのかな」


 ノアのそんな言葉を聞き取った碩賢は、微苦笑を浮かべながら小さく手を振った。


「その好奇心は大したものじゃが、許可は出来んぞ。

 今は年齢的に仕方がないが、成人してからも死のある生を生きるなど、思いつきや、若者特有の反抗心などでやるようなことではないからな。

 ……それは坊主、お前が思っている以上につらいものなんじゃぞ?」


 その碩賢の、いかにも物を知らない子供に対するような言い方にカチンと来たのか、ノアは一瞬眉をひそめたが……。

 すぐさま、背もたれにダラリと垂れ下がるようにして「はいはい」と大きく息を吐き出した。



「どーせ俺なんて、新史生まれの世間知らずの箱入りだもんな。

 ……けど――」



 話は終わったとばかりに立ち上がるノア。


 そんな彼の眼差しの奥に、一瞬、空恐ろしいほど透き通った何かを感じた碩賢は――。

 何気ないいつもの別れの挨拶を告げるだけのことに、驚くほど手間取ってしまったのだった。




(あれは、何だったのか……予感めいた……。

 まるで、あの不凋花アマランスを初めて見たときのような……人では、窺い知ることなど出来ないような……)



「……碩賢?」



 ウェスペルスの呼びかけに我に返った碩賢は、苦笑混じりに首を横に振った。


「ん……ああいや、もしかすると、ワシの余計な一言が、あの坊主の反抗心に火を付けてしまったのかも知れんなぁ、とな」


「からかわれたぐらいでこんなことをしでかすほど、あの子も愚かではないでしょう」


 碩賢の、そんな冗談の奥に秘めた真意を知ってか知らずか……。

 ウェスペルスはただ、小さく肩を竦める。


「――ところでウェスペルスよ。坊主たちの居場所が割れたらどうする?

 今度は、お前さんあたりが直接向かうのか?」


「いえ。そのときにはもう一度、ライラのところのヨシュアに真っ先に連絡をお願いします。

 ここで、一度失敗した彼を差し置いて僕が出張るようなことをすれば……彼も立つ瀬がないでしょうから。

 いつも職務に忠実な彼に、挽回の機会をあげたいのです」


 優しい笑顔でそう告げるウェスペルスに……。

 碩賢は「お前さんらしいな」と頷いた。



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