なんと美しく整った、穏やかで平和な街なのか――。
雲一つない満天の星空の下、行き交う人の流れに混じって街を歩く黒衣の宣教師――カインの心中に、この一日を通して素直に浮かび上がったのは、そんな感嘆の思いだった。
高い技術力による機能性の追及よりも、中世から近世にかけての、古き良き芸術性の再現に重きを置いているらしい美麗な建築物と、瑞々しい草花が彩る庭園。
人工物と自然が最も美しく調和するよう計算され、形成された街並み。
そして、その中で生活する――民族や世代、歴史といったものから現れる共通性がない、文字通り多種多様な格好をした人々。
そんな彼らの唯一の共通点ともいえるのは……すべてに満ち足りていると言わんばかりの、明るくなごやかな雰囲気だ。
いかなる昏さも穢れも存在せず、あらゆる人が、ただただ心安らかにいられる世界……。
それは、記憶のほとんどが失われていることを自覚している彼であっても、この街に比肩しうるような場所は地球上のどこにもなかったと、そう断言できるほどのものだった。
「
人の会話を初めとする、街にあふれ返る情報を拾うことで知り得たこの都市の名……。
自分が今ある場所の名を、カインはそっと口の中で呟く。
そうして、言い得て妙だと思った。
なるほど、安らぎに満ちた人々を包み込む、完璧なまでに美しいこの世界は、『楽園』と意味を同じくする
――だが……。
この一日、ずっと心から拭えずにいた違和感――。
この庭都においては完全な『異物』である彼だからこそ、何より敏感に感じ取ったのだろうその違和感が、言葉として形を成す。
――だが……かつて人は、人になったが為に楽園を追われた。
そして人は、人であるがゆえに、楽園には戻れない。
ならば……楽園に住まうのは、人であっても、人ではない――。
特別に何が違う、というわけではない。
道行く人々は、その誰をとっても、何をとっても人間だ。
否定することがバカバカしいほどに、どこからどう見ても人間だった。
しかし、それでも。
何から何まで完全に人間であっても――。
彼には逆に、何かが欠けているように感じられた。
それも、人を人たらしめる、最も大切で当たり前のものが。
『自分たち以外の人間が、死ぬわけがない――』
幼い兄妹の片割れが彼に告げた言葉が、脳裏を過ぎる。
――人は、死ぬものだ。
それが彼にとっての、嘘偽りない常識だ。
覆りようのない真理と言ってもいい。
しかし――彼はその真理を根底から打ち崩す少年の言葉を、自分でも驚くほど素直に、当惑することなく受け入れていた。
実際に目の前で、あの赤衣の二人が、致命傷を与えようと立ち上がってきたから……ということもある。
だが、理由はそれだけではなかった。
彼自身、気付いていたのだ――。
未だはっきりとしないが、彼の中には、その事実をありえないことと否定するどころか、確かな真実だと裏打ちする……何らかの記憶があるということを。
「いや、それだけではない――か」
ありえないことと言うなら――。
そう考えながら、カインは自らの手に目を落とす。
そして、それをごく単純に握ったり開いたりしてみた。ただ思うがままに。
――そう、ありえないことと言うなら。
こうして今、自分が動いていること。
それが何より、ありえないことのはずなのだ――。