原罪により楽園を追われた人間は、
やがて
楽園へ戻ることを許されるだろう。
〜
* * *
壮麗に整えられたその部屋は、かつて神殿というものが役割を果たしていた、遙か古代――その頃の姿を、そのまま小さく切り取ったかのようだった。
適度に取り入れられた陽光が、飾り立てられた可憐な花々と、居並ぶ石柱との合間を涼やかに流れる水のせせらぎに、跳ね、きらめき、踊る。
そして場の空気もまた、美しい光景に相応しい、自然の息吹そのものを聞き、感じられるような――静かで清らかな、神聖さを伴っていた。
だが――。
その神聖という言葉について――
かつてそうした存在が信仰を集めたことは、彼も知識として身に付けてはいるが……。
彼にとって、神聖という響きに最も近いものは、神などという旧世界の遺物ではなく。
この部屋の主と、そして――
「……先んじて、簡潔に報告は受けています、ヨシュア」
広い部屋の中央――庭園の
彼女こそがこの神殿を思わせる部屋の主だったが、そのいかにも女性的でしなやかな肢体を包むのは、色合いも装飾も、華美どころかむしろ質素とも言える、
神殿に奉られた主というよりはむしろ、それに仕える巫女といった装いだった。
だが彼女の、意志の強さと深い知性を感じさせる切れ長の目から、すっと通った鼻筋、一片の花びらのように艶のある唇へと繋がる顔立ちは、曙光を浴びる世界そのもののごとく栗色にきらめく長い髪と相まって、奉納された神像のごとき美しさをも湛えていた。
「申し訳ありません、ライラ様……。ですが、次は必ず……!」
ヨシュアと呼ばれた赤衣の青年がなおも深く頭を下げるのに対し、女性――ライラはゆったりと首を横に振る。
「一体何があったというのです?
私が受けた報告はただ、あの二人を取り逃がしてしまったという結果だけ……。
しかし、いかにノアでも、追い詰めたあなたを退けるような
「……それは、邪魔が――」
弾かれたように顔を上げたヨシュアの喉の奥から、瞬間、かすれた声がもれる。
その意味をはっきりと捉えられなかったのか、ライラは「何か?」と問い返すが――。
ヨシュアは険しい表情を少しばかり和らげ、ただ首を振り、自ら発した言葉を宙に掻き消した。
「いえ……今回の失敗に関しましては、ただ、わたしの慢心から来る油断が、あの二人に逃げ出すスキを与えてしまった……それだけのことなのです」
「油断……ですか」
ライラは、ヨシュアの真意を見抜こうとするように、しばらく無言で彼の目の奥を見つめていた。
だが……やがて彼女なりに結論を出したのだろう、静かに一つ頷く。
「――分かりました。彼らを侮っていたという点では私たち
……今回の失敗を教訓に、引き続き捜索にあたりなさい」
「ありがとうございます。
必ず、あの子たちの身に不測の事態が降りかかる前に、保護して参ります」
「ええ、期待していますよ。
人に……死の影など、射してはならないのですから」
ライラの言葉を受けたヨシュアは深々と一礼し、その神殿のごとき部屋を後にする。
――部屋の外、細緻な装飾の施された美しい廊下でヨシュアを待っていたのは、彼と同じ赤衣の青年だった。
そのまま足早に部屋から遠ざかるヨシュアに追いすがり、赤衣の青年は問いかける。
「隊長……『あの男』について、ライラ様にはどのように報告を……?」
「ライラ様には報告していません」
「! そ、そんな……良いのですか?」
怪訝そうな部下に、ヨシュアは足を止め、文字通り射抜くような鋭い視線を向ける。
基本的には童顔といった造作の、優しげで涼やかな印象を与えるはずのその顔は――しかし今は、内からあふれ出す怒りによってだろう、見る者を怯ませるほどの険しさと厳しさに歪んでいた。
「花冠院の方々は春咲姫とともに、常日頃より我ら
まして、洗礼より逃げ出したあの兄妹のこともある今では、なおさら御苦労も多いことでしょう。
そんなところへ、さらに面倒な問題を持ち込むようなマネはしたくないでしょう?」
「そ、それは……確かにそうですが、しかし……」
「要は、問題となる前に、あの男を我らで捕らえてしまえば良いのです。
だから……分かりますね?
今しばらくの間、あの男のことは春咲姫と花冠院の方々はもちろん、余計な混乱を防ぐため、他の花冠院直属の
――いいですね?」
どこか煮え切らない態度でいた部下の青年だったが、ヨシュアが強く念を押すと慌てて姿勢を正し、敬礼を残して、彼の指示を実行するべく廊下を走り去っていった。
その後ろ姿を見送るヨシュアは……しかし、なぜ自分がこうまで苛立っているのか分からなかった。
すべての元凶があの黒衣の男にあると、それだけは確かであるにもかかわらず。
あの男の邪魔で、任務に失敗し、敬愛する主のライラや春咲姫を失望させたこと――。
そして何より、庭都の治安を守るために何百年と戦闘訓練を積んできたこの自分が、同じ戦士というわけでもない男に、まるで歯が立たなかったこと――。
それらがもたらす怒りや悔しさが一因なのは間違いない。
だからこそ、自らの手で屈辱を晴らし、汚名を
だが……それだけではなかった。
それだけではない何かが、得体の知れない感情が、心の奥底から彼に訴えかけていたのだ――。
あの男を否定しなければならない、と。
「……カイン……っ!」
あのとき、宣教師がノアたちに向かって告げた名を思い出し……。
ヨシュアは、それをその響きごと噛み砕こうとでもするように、忌々しげに口の中でもう一度繰り返した。