――塔の裏庭は、あたしとお兄ちゃんにとって、
咲いてるお花のいろんな色も、それを囲む緑も、どこまでも広がってるお空の青も……何もかもがとってもキレイで、とっても静かな場所。
そこにある日、真っ白な鳥さんの親子がやって来た。
図鑑とかで見たことはあるけど、本物を見るのは初めてだったから、すっごく驚いた。
だって
その鳥さんのことを、ハトの一種だろうって、一緒にいた春咲姫は教えてくれた。
「とっても珍しいことだけど……きっと、地上の方から迷い込んできたんだね」
本当なら、捕まえて、『しかるべきところ』に送らないといけないんだって、春咲姫は言ってた。
あたしにはどういうことか良く分からなかったけど、お兄ちゃんの怒ったような顔で、それが、あんまりこの鳥さん親子にとって良いことじゃないんだ、ってことぐらいは分かった。
そんなお兄ちゃんやあたしの考えてることが分かったからか、もともとイヤだったのかは分からないけど……。
春咲姫は「三人だけの秘密だからね」って、その鳥さんを捕まえたりせずに、お世話することを許してくれた。
けれど、親鳥さんの方はもともと病気か何かで弱っていたみたいで……。
あたしもお兄ちゃんも一生懸命お世話をしたけど、日に日に元気がなくなっていった。
だから、あたしは春咲姫に聞いてみた。
人間を不老不死にしてる
でも、春咲姫はかなしそうに首を横に振るだけだった。
どうしてだろうって思ってたら……だから庭都には本物の動物がいないんじゃないか、って、お兄ちゃんがいつものぶっきらぼうな言い方で教えてくれた。
同じ人間じゃなくても、『死ぬ』のを見るのがみんな怖いから――。
だから人間と違って不死になれない動物は、初めからいないようにしてるんだ、って。
――死ぬ……?
そのとき初めて、あたしは気が付いた。
……この親鳥さんは、もうすぐ『死ぬ』んだって。
そう思うと、あたしはすごく怖くなった。
何が何だか分からないくらい、とにかく怖くてしかたなかった。
それはきっと……死ぬっていうことを、知ってるのに、知らないからだ。
そしてそう感じてるのがあたしだけじゃないって、お兄ちゃんを見て分かった。
お兄ちゃんも、すごくこわばった顔をしてたから。
でも、なのに――
「無理をしなくていいんだよ?
つらいなら、わたしが一人で、この鳥さんの最期を看取ってあげるから」
春咲姫がそんな風に言ってくれたのを、あたしもお兄ちゃんも、断った。
見てなくちゃいけないんだって――そう思ったから。
大事なことなんだって――そう感じたから。
頭が良くないあたしには分からないけど、お兄ちゃんなら、それがどうしてなのか、もっとはっきり言葉にできたかも知れない。
でも、その想いの根っこが同じだってことだけは、お兄ちゃんを見れば、言葉なんてなくてもわかった。
そしてその日の夕方……お日様が沈み始める頃。
親鳥さんは、とうとう動かなくなった。
そのときすぐには、何だか心が空っぽになったようで、何も感じなかった。
あれだけ怖かったのに、怖いっていう気持ちもどこかにいってしまったみたいだった。
でも……ちょっと時間が経って。
親鳥さんはもう二度と動かないんだって、そう分かったとき――あたしは、自分が泣いているのに気が付いた。
そう気付いたら、次は隠れていた色んな想いが、心の中にいっぺんにあふれかえった。
とにかく、哀しくて、怖くて、つらくて、苦しくて……悲しくて。
あたしはお兄ちゃんと手をつないだまま座り込んで、泣きじゃくった。
お兄ちゃんは意地っ張りで強がりだから泣こうとしなかったけど……。
涙は出てなくても、心の中でいっぱい泣いてるのはすぐに分かった――あたしが握った手を、ぎゅって強く握り返してきたから。
胸の中、心の中の色んなもの、その全部が流れ出ちゃったんじゃないかってくらいいっぱい泣いて……それで、やっと少し落ち着いて。
あたしとお兄ちゃんは、親鳥さんを、大きな樹の根元に埋めてあげた。
そうして、春咲姫に教えてもらって、お花畑からつんできたお花をお供えして、安らかに眠れますように、天国に行けますようにってお祈りした。
「死んじゃうって、すごく悲しいことなんだね……」
そう言ったあたしの頭をそっと胸に抱いて、春咲姫はうなずいた。
「うん。だからわたしは、もう誰にも死んでほしくなかった。誰にも悲しんでほしくなかった。
だから……春咲姫になった。
そして、そうあり続けるの……これから先も」
いつもの優しい声で、春咲姫は言った。
けどあたしは、どうしてだかその中にほんの少し……いつもと違う気持ちが混じっているように感じた。
「でもさ……この鳥は、一生懸命に生きようとしてた。
生きてるんだって、そう思った。
生きているのは庭都のみんなも同じで、当たり前のように見てきたのに……今初めて、『生きる』っていうのを見た気がする。
『死』を見て、初めてそれが見えた気がする。
なんだか、よく分からない、変な言い方だけど……」
「………ノア」
お兄ちゃんが言ったことに、春咲姫は少し驚いたみたいな顔をしていた。
あたしは、お兄ちゃんの言ったことの深い意味まではよく分からないけど、でも、気持ちは同じだと感じたから、お兄ちゃんに大きくうなずいてあげた。
そして、残された小鳥さんは……これまではあたしたちと一緒に、じっと親鳥さんを見守っていたんだけど……。
あたしたちの親鳥さんへのお別れがすむと、夕陽ですっかりオレンジ色に染まったお空へ飛んで行ってしまった。
ちょっと心配だったけど、あたしとお兄ちゃんは、呼び戻したりしないで、それを黙って見送った。
「きっとあの小鳥も、何かを受け取ったんだ。
ちっさくて、あやふやで、でも絶対に、確かに心にある……大事な何かを。
――俺たちと、一緒に」
あたしにだけ聞こえる声でつぶやくお兄ちゃんに、あたしは小鳥さんを見送ったままうなずく。
――きっとそうだ。
つらくて、苦しくて、悲しいけど……それだけじゃない、何か。
きっとそんな気持ちとおんなじぐらいに大切な、何かを受け取ったから。
だからきっと、あの小鳥さんは、あんなに小さいのに、悲しいお別れがあったばかりなのに――飛べるんだ。
あんなにも力強く……どこまでも行けそうなぐらいに。
* * *
確かに、あの瞬間だった。
あのとき俺は――俺たちは、死の意味に触れたんだ。
理解だなんて、そんなところまではいかなくても、確かに、触れたんだ。
特にナビアは、俺なんかよりもずっと強く、そして深く、それを感じ取ったんだろう。
アイツはいちいち頭で考えようとする俺と違って、感じることを優先するから。
そして、それはまず間違っていないから。
――死の意味。その存在理由。
どうして俺たちは、そのことを考えてしまうのか。ずっと疑問だった。
旧史の頃と違って、この庭都には『死など無い』ことが当たり前なのに。
考える必要なんてない、考えることすらない。
それが常識――そのハズなのに。
でも、今ならわかる。
俺たちには、初めから、生まれたときから――。
いや、もしかするとそのずっと前から『あった』んだ。
――ひとつの種が。
それは、真理とか、真実とか……場合によっては正論とか呼ばれる……多くの人たちにとっては、幸福を妨げるだけだと、無意識のうちに捨てられてきたものなんだろう。
でも、だからこそ。それはきっと大切なものなんだ。
その種が――あのとき、芽吹いた。
捨てられない、捨てたらいけない。――そう信じる種が。
だから……俺たちはきっと、不凋花を受け入れられない。咲かせられない。
――だってもう、俺たちの中には……。
いずれ咲く花の種が、あるのだから。