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第5話 祭り上げられた女帝

 商業エリアを蜘蛛の巣のように繋いでいるのは、四方に長く伸びた動く歩道だ。

 まるで空からリボンが放たれたみたいにカラフルな歩道が交差し合って、客を空飛ぶ商店へと連れていってくれる。


 この道の終点はどうなっているのだろうと、スガレがまばゆい夜の街のずっと先を眺めると、自らの尾を飲み込む爬虫類の頭が見えた。


「へ、蛇っ! この歩道、生きてる!?」

「そう、波打ナミウチセカイヘビ」

「こんなに踏まれて、辛くないのかな。可哀想じゃない?」

「天然じゃないから大丈夫よ。電飾代わりのヒカリ虫と同じで、街のために造られた量産型の生体器物だから」

「ふうん……」


 なんでもないことのようにアゲハがいうので、スガレも言葉を飲んでそういうものかと頷いた。


 空中要塞で育ったスガレが、間近で見たことのある生き物は鳥くらいだ。

 時折、遠い空の向こうで巨大な飛行魚類が飛んでいるのを発見することがあった。そんなときには狭い窓から顔をだし、夢中になって眼で追った。

 考えてみれば、あれだって生体器物だ。


 今や天然の生物はほとんどおらず、ごく少数が国の研究機関で保護されているのみ。

 鳥でさえ、すべて識別番号を持った誰かの所有器物なのだ。


 よその国は機械文明が多いが、このムスビノ空中連合公国は『生物の構造をいじる』ことによって発展してきたのだと、師に教わったことを思い出した。

 そして民の体にも一千万を超える生物の遺伝子がそなわっており、その影響で各々異なった形のはねが表出しているのだという。


「ねえ、ブンブン、アクセサリー屋でリボンを買ってよ。独房に入ったときぜんぶ没収されちゃったの」

「オジョーは可愛いから、飾り立てたら目立つヨ? それに、今あんまり活動資金が余ってないのヨー」

「後ろのが本音でしょ! 安いやつでいいから買って」

「しょうがないネー」


 ちぐはぐな民族衣装を着た若い男ブンブンと、理由はわからないが空中牢獄ギノユニワの地下にいた少女アゲハのやり取りを聞いて、スガレはつぶやいた。


「アゲハ、意外とワガママだな……」

「ワガママじゃないもん。気分をあげるのは大事なことなの」


 同じ年頃の女の子と会ったことがなかったスガレには、リボンがいったいどれほど重要なものなのか理解できない。

 空飛ぶ絨毯に並んだ髪飾りを、アゲハは時間をかけて物色していた。スガレにはどれも同じようにしか見えず、両腕を前で組んで何度も首をかしげる。


 ようやく決まったらしい薄いピンク色のリボンを、アゲハが露店商から受け取る。

 虫の閉じ込められた小さな宝石でブンブンが支払いをしていた。


「ブンブン、結って。三つ編み!」

「ここで? まったくしかたないネ。はいはいヨー」


 器用な手つきで、ブンブンはアゲハの長い髪を編み込んでいく。左右で一本ずつ編み、後ろでもう一本編んで、最後にすべてひとつにまとめる。

 根元をリボンで結んで「はい、完成」とアゲハの頭をぽんと叩いた。


「どう?」


 得意げな表情で、アゲハはスガレのほうを振り返った。


「どうって……。指の動きが装飾細工の職人みたいで面白かったよ」

「違う、そうじゃなくて!」


 得意顔が一瞬で愕然がくぜんと変化したのを見て、ブンブンは必死に笑いを堪えていた。


「ダメだねェ、はね無し小僧コゾー。それじゃ女の子喜ばないアル。こういうときは『似合う』とか『可愛い』って言うのが正解ヨ?」

「そんなこといわれたって、どっちもよくわかんねーもん。あとはね無しっていうな!」

「ムキにならないのー」


 赤くなって怒るスガレをたしなめる振りをしながら、ブンブンはさりげなく少年の背中に手を回し、大通りから見えないよう自分の体で隠した。


 中年の夫婦が立ち止まって、不審そうに少年を指差していたのだ。


「ねえ、あなた。あの子の背中、平らすぎなかった? 牢獄から逃げた罪人なんじゃないの? 軍に連絡を……」

「よく見ろ、まだ子供じゃないか。ギノユニワに十八歳以下の未成年は収容されていなかったはずだ。生まれながらのはね無しなんだろう。可哀想に」


 その会話はスガレの耳にも届いた。

 アゲハに貸してもらったマントのフードを深く被り直し、外の世界の住人であるふたりに尋ねた。


「なぁ、生まれつきのはね無しって、この国にどのくらいいるの」

「わたしは……初めて会ったの。スガレが初めてよ」


 気遣うような口調で、だが率直にアゲハは答える。


「そうだねェ、ボクが今まで見たことあるのは、小僧を含めて三人ヨ。前のふたりは道端ですれ違っただけ。だいたいそのくらいの稀有さだネ。欠損や飛べないはね持ちなら十倍、三十人は見たかナ」

「欠損、飛べない……。そんな人たちもいるんだ」

「うん。はね無しだって、本当はもっと多いはずだと思うんだけどネー。判明した時点で処分する親も多いのサ。小僧みたいに隠されたりネ」

「ブンブン、そんな言い方……」


 止めようとしたアゲハの口元に、若い男がすっと人差し指を添える。スガレは自分の意識に入り込み、爪を噛んで考えていた。


「なんで、両親はオレをそうしなかったんだろう。跡継ぎなら優秀な兄がたくさんいたのに」

「ボクは、事実がそうともわからないのにうわべだけの体裁の良いことはいってやれないヨ。でもひとつだけ、はっきりしていることならある。小僧の名をつけたのは親か?」

「兄弟の名前はぜんぶ、祖父か父が決めていたはずだけど……」


 この国では翅の形にちなんだ名をつけられることが多いのだという。

 ならば翅無しの自分は、名無しでもいいくらいだ。

 だが、ブンブンが口にしたのは意外な言葉だった。


「スガレ、ちょっと古臭いけどネ。昔は皇族や華族のお坊ちゃん、しかも嫡男にしかつけなかったような、立派な名なのヨ?」

「そ、そうなの?」

「そなの。名前負けしないよう、しっかりと励みタマエー」


 少年と少女のあいだに立ったブンブンは、まだ未成熟なふたりの頭を乱暴に撫でた。



 ***



 アゲハの先導で、スガレたちは商業エリアを抜け、入り組んだ狭い路地を進んだ。

 ヒカリ虫のプログラムにこの地域は組み込まれていないようで、明かりは届かず路の端々によどんだ闇が沈んでいた。


 ちゅちゅ、と鳴きながらドブネズミが隣を走っている。なんらかの暗号を発しているらしく、少女はネズミの声に合わせて進路を決めているようだった。


「また場所を変えたのね。こっちに曲がるわよ」

「ついさっき、夕方頃ネ。空中牢獄ギノユニワの墜落で軍の警戒が増した。あと、オジョーが戻るからもっと安全な場所に移したのヨ。ほんとに小僧コゾーも連れて行くアルか?」

「大公にとって、免罪符売りは邪魔なはず。わたしたちの敵じゃない。それにスガレは他に行くところがないのよ。保護しなきゃ」


 む、とスガレが口を尖らせる。

 しかし、突然知らない世界に放りだされて、行く当てがないのは本当だ。

 それでも無力のような言い方をされて悔しいので、なんとかアゲハを困らせてやりたいと、子供っぽい感情が湧いた。


「ねえ、アゲハとブンブンはさ。なんていうんだっけ、恋人同士なの?」


 前を歩いていたアゲハが少し振り返って、目を丸くする。そのあと噴きだした。


「そんなふうに見える!? ばかね、いっしょに歩いてたって、だれもそう思わないわよ。せいぜい兄妹かしら」

「さすがにボク、子供には興味ないネー。変態扱いされたヨー」

「でも子供っていうのはやめて。いうほど変わんないでしょお?」

「OH……乙女心は難しい……」

「どこの国の人なのよ、あなたは」


 異性どころか同じ年頃の子供も周りにひとりもいなかったスガレは、自分がおかしなことをいったといまいち理解できなかった。


 恋人という言葉も、罪人から聞きかじっただけの知識だ。一般的な恋人同士がどんなものかなど知りようもない。


「むう、じゃあブンブンはいったいいくつなのさ」

「あるときは二十一歳、あるときは二十歳、あるときは十九歳、時と場合と都合にあわせて十七歳の未成年……は、我ながらちと厳しーネ?」

「結局なんだよ!」

「だいたいそのくらいってことヨー。正確にわかんないのヨ、ボク。捨て子だからネ」

「そうなんだ……」


 思わず目を伏せると、ブンブンは冗談みたいな素早い動きでスガレを通せんぼする。


「おっと、同情するなかれ。後ろ盾も血筋もなく、この腕一本でお偉いさんの側近にまでのしあがったブンブンお兄さんに憧れるがいいヨー」

「なんの腕? じつはすげーの!?」

「ボクの料理、美味しかったでショー」

「美味しかった、けど! 料理かよ!」

「生きていくうえでは重要なのヨ」


 少しばかりがっかりして、スガレはため息をつこうとしたはずが、なぜか笑ってしまった。


 師と変わらない年齢だというのに、性格はまったくの正反対だ。アキツハは真面目で静かな人だった。比べて、この青年の軽さとうさんくささはどうだろう。


 それなのに、師と同じくらいあたたかい気がした。


「着いたわ。ここね」


 アゲハが立ち止まった先にある狭い路は行き止まりで、剥きだしの配管以外はなにも見当たらない。

 スガレが疑問を口にしようとしたそのとき、ただの金属だと思っていた地面が少しずつズレて動き始めた。


「わっ、魚!?」

「合金ヒラメ。入り口を隠してたの。仲間が内側から開けてくれたのよ」


 アゲハに手を繋いでもらって真っ暗な空間に飛び込むと、数十秒の浮遊感のあと、固い地面に足がついた。


 一斉に、なにかが光る。


 部屋の中を漂っていたのは街にいたホタルよりももっと輝きの強い、スガレが見たことのない生き物だった。


「これは室内用のアカリクラゲ」


 と、アゲハが短く教えてくれる。

 返事をする間もなく男が駆け寄ってきて、少女の足下に頭をついた。


「よくぞご無事で。まさか空中牢獄ギノユニワを落とすなど……。敵がそこまで人道を外れているとは思わず、見込み違いでございました。捜索班に向かわせたのですが、御自分で戻られるとは。誠に申し訳ございません」

「いいのよ。ちょうどブンブンが先に脱出したところで、タイミングが悪かっただけ。顔をあげて」


 殺風景な広い部屋にいたのは三十人ほどだろうか。男女は半々で、中年や老年の者が多い。

 いずれも厳しい顔をした大人たちだ。


 驚いたことに、スガレとほとんど歳の違わないアゲハに向かってひざまずいている。


「……アゲハ、きみはなに? えらい人なの?」


 スガレが少女に尋ねると、すぐに鋭い声が飛んできた。


「陛下になんという口の利き方を!」

「へ、へいか!?」

「この御方は、ムスビノ空中帝国の皇女アゲハさま……いや、先代皇帝が亡くなった今、第十三代目神さびの父カムサビノシシを引き継がれた御方」

「カムサビ……?」

「つまり、我が国の現皇帝陛下だ!」


 いわれた内容にも驚くが、それ以上に国のことを知らないスガレの頭は混乱した。

 たしかこの国の名はではなく、ムスビノ空中連合


 皇帝が為政者だった時代はすでに終わり、現在の実質的な君主はシャグマ大公だと聞いたはず。


 ということは──

 つまりここは大公の勢力と内戦中の、旧制度派と呼ばれる皇帝支持者たちの隠れ家なのだ。


 そして、蟻塚で出会ったたった十四歳の少女アゲハこそが、現在の皇帝なのだという。


「オジョーは、オジョーだけどねェ」


 壁にもたれてあくびを漏らしながら、そうつぶやいたブンブンに、誰かが叱責を飛ばした。


「ブンブン、おまえも陛下が幼い頃からの侍衛じえいとはいえ、その呼び方はもう少しなんとかならないのか!」

「いいの、呼び方なんてなんでもいいから。くだらないことにこだわっていないで、やるべきことをやりましょう」


 騒ぎ立てる大人たちを一声で制して、アゲハは一枚の古い紙を取りだした。


「空中牢獄ギノユニワ……通称『蟻塚』は、シャグマ大公の私軍によって墜落した。それはもう全員知っているわよね。ならば、この街で果たさなきゃいけないことはただひとつよ。それも、大急ぎでね」


 一度深く呼吸して、少女はふたたび言葉を繋ぐ。


「わたしたちの急務は、蟻塚に投獄されていた帝国の裏切り者──『血濡れた英雄』を殺すこと。生きているのなら、当然大公に保護を求めるはず。あの伝説の剛勇がそう簡単に死ぬわけがない。絶対に生きているわ」


 アゲハが皆に見せたのは、色褪せた似顔絵だった。いかにも屈強そうな三十前後の男が描かれている。


 スガレは描かれた男の顔をよく知っていた。

 その絵よりずっと年をとっていたが、ほとんど毎週顔を合わせていたのだ。見間違えようもなかった。


「……26番!?」


 蟻塚の鍛冶エリアを仕切っていた男、26番だ。

 模範囚であり、毎日真面目に働いていたが、背中に染みついたくろいんはどれだけ償いをしても薄くさえならなかった。


 師であるアキツハの首を斬った、手に吸い込むように馴染む重さの鉄ナイフは、26番が打ったものだ。今もスガレの腰に差さっている。


「ああ、そうか。スガレ、あなたは蟻塚にいたからこの男を知っているのね。じゃあ、こいつの罪がとんでもなく重かったことも、免罪符売りならもちろん知っているでしょう」

「うん、罪状は重要機密に入っていて、オレはまだ教えてもらえなかったけど……。いったい26番はなにをしたの?」

「反逆罪よ。この男は当時の皇帝……わたしの父を大公に売ったの。その裏切りのせいで、帝国は主権をシャグマ大公にぶんどられたってわけ。保護される前に殺さないと『英雄』が大公の元に戻れば、ますます敵は勢いづいてしまう」


 冷たく言い放つアゲハに、スガレは必死で訴えた。


「待ってよ、そんなわけない、なにかの間違いだよ。だって26番は、オレが大公の息子に襲われているところを助けてくれた! 26番は敵なんかじゃないよ!」

「そんなの、ただシャグマ大公の息子と、お互い面識がなかったんでしょう。この男がギノユニワに投獄されたのは二十年も前のことだもの」


 アゲハはスガレの言葉を聞こうともせず、ブンブンに向き直って尋ねた。


「ブンブン、牢獄内で実物に会ったのよね。こいつに勝てる?」

「んー、正直厳しいネ? 年をとっても、微塵も衰えちゃいない。化け物よ、ジッサイ」

「でも、勝つでしょ?」

「うん、でも勝つヨ。ボクは皇帝の……いや、オジョーの騎士だから」

「じゃあ、情報班は追跡をよろしく。見つけたらすぐ実行に移るわ」


 幼い女帝の命を受け、元帝国の民たちは統率された号令をあげてばらばらと走っていく。


 アゲハはまた深く息を吐くと、民たちのいた広い空間から背を向け、無機質な壁をじっと見つめていた。


「ねえ、アゲハ。本当に26番は悪人じゃないんだ。それに、皇女ってきみはつまりお姫さまってことだろ? こんな血なまぐさいことやめようよ」


 スガレは慌てて少女に駆け寄り、肩をつかむ。

 しかし、その手は鋭く叩き返された。


「……お姫さま? わたしは、皇女だからってチヤホヤされて贅沢な暮らしをしてきたわけじゃない! 生まれたその時から皇族の生き残りとしてシャグマ大公の軍に命を狙われて、味方からは皇帝に祭り上げられ、大公に立ち向かうことを期待されて! ネオンのごった返した街の隅っこに潜んで、隠れて、追われて、まるで反逆者みたいに生きてきたの!」


 スガレを睨む瞳には、涙が浮かんでいた。


「わたしは父が皇帝だった姿なんて知らない。母が皇后だった姿も知らない。わたしにとっては優しい普通のお父さんとお母さんだった。それでもわたしは、皇族の最後のひとりとして、二十年積もり続けた帝国民の遺恨に応えないといけない。皇帝としての使命なんて本当はよくわからないから、家族を殺された復讐でしか立ちあがれないの」


 アゲハは悔しそうに服の裾で目をこすった。

 少年はどうしていいのかわからず、ただ目を見開いて立ち尽していた。


 横から、鷹揚な青年が覗き込んで茶化し始めた。


「あー、泣ーかした。いーけないんダー?」

「ブンブン、あなたはちょっと黙ってて……」

「ひどーい」


 少年と少女のあいだに張り詰めていた空気が、少しゆるむ。

 スガレがほっと胸を撫で下ろしたそのとき、皇帝派の仲間が戻って来て、アゲハとブンブンに報告した。


「要請です。空中牢獄ギノユニワの罪人が二名、我々に保護を求めています。どちらもはねがないのでおそらく本物でしょう。元帝国華族の血筋を自称していますが、通しますか?」


 アゲハは少し考え、「防壁室に通して」と臣下に短く命じた。

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