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第4話 大公

 隠れ家、と聞いてスガレはなんとなく独房のような暗い部屋を想像していた。


 ごちゃごちゃとした都市の間隙を縫うように飛んでたどり着いたのは、意外なことに安っぽくもけばけばしい看板をかかげた、宙を漂う異国料理のレストランだった。


 建物そのものが浮かんでいるのは、パフォーマンスの一環のようだ。

 見たことのない鼻の長い動物と白黒の動物をかたどった置物に、情緒的な弦楽器の奏でるメロディー、何色ものヒカリ虫が装飾品のように店を彩っている。


 裏口の扉に近づくと、強烈なスパイスのにおいが鼻腔をついた。


「ねえ、アゲハ。この建物、っていうかこの街さ、どうやって浮いてるの?」

「スガレ、あなた空中牢獄にいたのに動力を知らないの? この国ではね──」


 説明しようと振り返ったアゲハの真後ろで、裏口のドアが大きな音を立てて開いた。


「オジョー! 無事だったか。よく戻ってきたネ。でも、ボク、ぜんぜん心配なんかしてなかったヨ。オ嬢は存外たくましいネ」


 突然目の前に現れた若い男のあまりのうさんくささに、スガレは一瞬言葉を失った。


「ん? なにアルか、このはね無し小僧コゾー。オ嬢はすぐ小動物を拾うんだから、困ったモノだネー」


 そういって、細い目でじろじろとスガレを上から下まで眺める。

 スガレも負けじと、睨みながら相手を観察する。


 男は襟の詰まった、手が完全に隠れるほど袖の長い民族衣装を着ていた。頭には薄い布を何重にも巻いている。布からまっすぐな黒髪がはみ出し、額に装飾品のかかった肌は浅い褐色だ。

 光沢のある硬い甲羅に覆われた小振りのはねが背中に生えていた。


 表情と口調は陽気で鷹揚だが、どう見たってうさんくさい。

 でも、以前どこかで会ったことがある気がする、とスガレは悩むが思い出せない。


「ブンブン……その恰好、違う国の文化がごちゃ混ぜじゃないの。表の置物にしたって、ゾウとパンダは別々の国に生息する生き物よ。『本場で修行した料理人!』なんて看板に書いてるくせに、ウソばっかり」


 心底呆れた顔で、アゲハはブンブンというらしい若い男にいった。


「美味しければなんでもいいのヨ。どうせ誰にもわからないアルネー」


 と、男はへらへら笑い返している。


「他のみんなはどうしてるの?」

「空中牢獄ギノユニワが墜落したって情報を聞いて、総出でオ嬢を捜しにでたネ。今日は三人でお店まわしてるからてんてこまいヨー。すぐに連絡用のドブネズミを飛ばすから、そのうち戻ってくるネ」

「……っていうかさぁ……」


 会話に割って入ったスガレは、ブンブンに向かって人差し指を突きだした。


「アンタ……7番じゃん!!」


 この怪しい男が誰だったか、ようやく思い当たった。


 蟻塚に一年ほど滞在し、つい先月償いを終えて本国に帰って行った7番だ。

 新たな罪人が来なくなって随分経つのにもかかわらず、この男は突然投獄されてきた。一桁の番号を振られたことや、『償いの方法』も特殊だったため、印象には残っている。


 あまり顔を合わせることもなかったが、7番の扱いには違和感があった。

 だが、師のアキツハがなにもいわなかったのでスガレも訊けなかったのだ。


「あー、はね無し小僧、誰かと思ったらおまえ免罪符売りの見習いネ。オ嬢はどうしてこんなの連れてきたか」

「こんなのって……アンタみたいなあやしいヤツにいわれたくねーよ! 蟻塚ではそんな喋り方してなかったじゃんか!」

「演出、演出。商売はとても大変ネ」


 声を荒げるスガレに、ブンブンは細い目で笑って軽くかわす。

 店内から「ブンブン、注文まだぁ?」と呼ぶ声がした。


「ハイハーイ、喜んでー。ふたりとも、ご飯作ってあげるから、なかに入るヨ。お腹すいたでショ」


 男に後頭部をぽんっと叩かれて、スガレはアゲハとともに半ば強制的にレストランの中に押し込まれた。


 もしかして密偵ってやつかな、とスガレはブンブンを見あげながら考えた。

 だとしたら、アキツハはきっと知っていたのだろう、となんとなく思う。アゲハが独房にいたことも隠されていたのだし、見習いのスガレが聞かされなかった蟻塚の秘密はたくさんあるようだ。


 怪しい男には違いないが、スガレの硬く跳ねた白い髪を触るその手は、師と同じようにあたたかかった。


 天井から視界を覆うように垂らされている布や薄明かりの照明、聞きなれない音楽が、まがい物といえどもそれなりに異国の雰囲気を醸しだしている。

 夕食どきのためか、テーブルはほとんどが埋まっていた。他にもふたりの店員がいて、アゲハの姿を認めると目で合図を送った。気づいたアゲハも、笑って小さく手をあげる。


 一番奥の布で隠れた席に少年と少女を案内すると、ブンブンは水差しとカップを置いて一旦下がっていった。

 女性客には人気があるらしく、奥のキッチンへたどり着くまでに何度もちょっかいをだされては愛想笑いと投げキッスを振りまいている。


 その様子を見ていたスガレが、げんなりとした表情でぼやいた。


「あいつ、やっぱりうさんくさ! でも、なかはふつうのレストランなんだ……」

「そう、わたしたちの組織はいろんな場所に隠れ家を持っていて、いろんなお店に擬態してるの」

「組織、って……。ん、なんかそれもあやしい……」


 ブンブンの印象が悪いせいか、スガレはアゲハに対しても疑わしげな視線を向けた。

 少女は特に気にしていなさそうに、カップに注がれた水を飲み干した。それを見ていたスガレも、慌ててカップを手に取った。思えば、朝から一滴も口にしていなかったのだ。


 水を飲んで安心したように息を吐いたスガレを微笑みながら見守って、アゲハは静かにいった。


「少なくとも、あなたの師匠だというアキツハさまは、わたしたちの味方側だったはずよ。ずっと協力してくれていたから。だからあなたも連れてきたの」


 師の名前を聞くと懐かしいような、悲しいような気持ちになる。気の遠くなるほど長い時間に感じていたが、アキツハを失ってからまだ半日も経っていない。


 少女の言葉にスガレは戸惑い、頭のなかでぐちゃぐちゃとまとまることのない思いをそのまま口にだした。


「オレはさ、正直、国のことも内戦のこともよく知らないし、敵とか味方とかいわれても全然わかんないよ。でも……」


 忌まわしい、赤い軍服と赤い銃。

 なによりあの男は、師を侮辱した。


「あいつだけは、ぜったい敵」


 脳を掻きむしられるような悪趣味で不快な音楽とともに現れ、少年のすべてだった空中牢獄を笑いながら破壊した男。


「蟻塚を落としたあの金髪男……。偉いヤツの息子っていってた。アゲハ、知ってる?」

「聴こえたのは声だけだったけど、たぶんシャグマ大公の息子のひとりね。公族でいちばん力を持っている家。実質、この連合国の現在の支配者よ」

「へえ、大公か。ちょっとカッコイイかも……」


 その響きに髭を生やした威厳のある大人の男を思い浮かべて、スガレは少年らしい憧れを抱いた。


 蟻塚に連れていかれて以来会っていないが、彼の父親も上流階級出身の官僚だったのだ。

 生まれつきはね無しだったスガレは優しくされたことなどなかったが、その背中をいつも憧憬の目で見つめていた記憶が残っている。


 むっと唇を噛み、ジトッとした目を向けて、アゲハは言い返した。


「かっこよくない。それはもう、すっごい、ほんとにすっごい、ヤな女よ」

「女!?」



 ***



 風ノ都市の最上部に、空中庭園があった。

 街の上部には政事の中心地となる連合公国会議事堂があり、そのさらに上部一帯は領主であるシャグマ家の私有地だ。

 空は近く、瞬く星にさえ手が届きそうだ。花の咲き誇る夜空下の庭園で、ひとりの女性がお茶を飲んでいる。


 金糸で刺繍された真っ赤な着物は絢爛けんらんそのもの。かんざしで飾られ、柔らかく結われた髪は足に届くほど長く、漆黒に濡れている。

 白い肌にほどこされた控えめな化粧が、その美しい女性をますます可憐に見せていた。

 薄茶がかったはねは、そっと背中で閉じられている。


 年の頃は、見た目だけなら二十歳前後だ。

 微笑みを絶やさない穏やかな表情には邪気が一切感じられず、無垢な少女のようだった。

 その女性は鈴を転がすような声で、少し離れた場所にひかえていたふたりの護衛に話しかけた。


「ほんとに、サンったらしようのない子。はしちゃダメってわたくし、ちゃあんと教育してきましたのに。あの子は幼い頃からやんちゃなの。弱い者いじめなんて、欺ノ斎庭ギノユニワの罪人たちが可哀想ですわ。あなたもそう思いませんこと?」

「は、はっ」


 花に囲まれた美しい女性に見惚れていた若い護衛は、突然話しかけられて慌てて姿勢を正した。


「でも、男の子ですもの。すこしくらい元気に育ってくれたほうが、いいわよね?」

「大公の、おっしゃられるとおりで……」

「陛下、でしょう?」


 そういって、女大公は可憐に微笑む。


「はっ。しかし、その敬称の使用は、皇帝以外には禁止されているはずでは……」

「もう帝国は、どこにもないでしょう? このムスビノ空中連合公国の、君主はわたくし。だから、陛下でしょう?」


 大公の怒りを買えば、連帯責任で殺される。

 恐れたもうひとりの護衛は、すぐさま頭を地面につけ震えた声でいった。


「陛下、申し訳ございません。こいつは新人で……私の監督不行き届きでございます。なにとぞ、ご慈悲を」

「た、大公陛下。大変……大変なご無礼をいたしました」


 土下座するふたりの男たちを見下ろして、大公は無邪気な表情で人差し指を桃色の唇に当て、しばらく考え込んでからいった。


「まあ、いいでしょう。わたくし、今日はとっても機嫌がいいの。そろそろサンが戻ってきているはずだから、息子たちを集めてくれるかしら?」

「はっ!」


 命を受けて、新人の護衛は急いで空中庭園の入り口にいる別の者に知らせに行った。滞りなく連絡が伝わったのを確認し、胸を撫でおろす。


 庭園から広間に移動する大公をずっと離れた後ろから護送している途中、先輩にあたる相方に尋ねた。


「あの、大公陛下は継母かなにかなのでしょうか? とてもお若くて、大勢いるご子息たちのほうがむしろ年上に見えますが……」

「ああ、おまえは第二国区から来たばかりだったか。シャグマ一族は、単為生殖だ。つまりおさが何者とも交わることなく、単体で子を作る。あの一族は女大公を長として、他の家と血縁を結ぶことなく独自に繁栄してきたのさ。長は後継たる女児を産むまで、その身体が衰えることはないらしいからな」


 へえ、そういう一族がいると話に聞いたことはありますが、あの方々が。と、若き護衛は好奇心に目を輝かせた。

 まるで心酔したように、息を漏らしていう。


「陛下はお美しく、しかも慈悲深い……。弱き民のことを思い、心を痛めていらっしゃる。旧制度には欠陥が多いですし、皇族派の連中はすぐにでも大公に全権をお渡しするべきだと思います。お優しすぎて、戦など向いている御方ではないでしょう」

「……そう思うんなら、おまえは純粋すぎるな。すぐにわかるさ、あの大公が、どれだけ恐ろしい女か」


 必要以上に高くそびえ立つ踏み段の上に、玉座は据えられていた。

 薄い生地で仕立てられた着物のすそをそっとつまみあげて、大公は気品のある仕草で腰をかけた。


 それぞれ軍を率いる、十人の息子たちが大公の下に跪いた。

 そこには蟻塚を地上に落とした張本人、四男サン・クスサン・シャグマの姿もある。


「ねえ、可愛い息子たち。野蛮な旧制度を敷いて民を苦しめてきた皇族の生き残りが、今この時にもわたくしの命を狙っているんじゃないかと思うと……。わたくし、不安で夜も眠れませんの」


 儚げにしなを作って、着物の袖で口元を隠しながら大公は訴える。


「母上、此度こたびわたしにおまかせください。旧ムスビノ空中帝国はすでに亡国。皇帝の血を引く残骸など、完膚なきまでに葬り去ってごらんにいれましょう。あの、空中牢獄ギノユニワのように。──ちなみに今流れているのは、我のテーマソングその11『震撼』にございます」


 メンバーを総入れ替えした楽隊を従え、ほかの兄弟より一歩前に進み出たサンは、赤いマスケットを掲げ、自信に満ち溢れた表情で宣言した。

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