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第3話 翅を持つ少女

「いたぞ、スガレだ! 捕まえてはねを取り戻せ!」

「そっち行ったぞ! まわり込め!」


 最下層に向かう途中、192番の手下たちに見つかった。

 スガレは通路にひしめいた罪人の隙間を通り抜け、蟻塚の構造上いろんな場所にある抜け穴を使って全速力で逃げた。

 まだ体の小さい、子供のスガレにしか通れない道がたくさんあるのだ。


 最下層は狭く、窓もないので真っ暗で、普段であれば誰も来ることはない。ひとつだけ個室があって、以前は独房として使われていたらしいが、スガレがここにやって来てからはずっと閉鎖されていたはずだった。


 元同房の扉にかかった、木でできた大きな錠を手に取って震える爪先で文字を描く。

 免罪符売りにしか扱うことのできない『しゅ言詞げんし』だ。

 かちりと小気味よい音が鳴って錠が開くと、すぐに扉の内側に滑り込んで中から鍵をかけ、その場に崩れ落ちた。


 ほうっと息を吐く間もなく、室内にカンテラの明かりが灯っていることに気づいて、スガレは体をこわばらせた。


 机に向かって本を読んでいる人影。

 長い髪と、ぼんやりと光る背中に生えたはね

 振り返って、スガレのほうをじっと見ている。


「アキツハさま……?」


 一瞬、師の面影が見えた気がした。


「あなた、だれ?」


 だが、こちらを振り返った人物は、師とは似ても似つかなかった。

 背中のはねはアキツハのものよりも色鮮やかで大きい。年齢も師よりずっと幼い。

 そしてなにより、そこにいたのは少女だったのだ。


「お、女の子!? どうして蟻塚に? 女の罪人は、男とは違う牢獄のはずじゃ? 一体いつから!?」


 慌てていくつも質問をぶつけるスガレに対して、少女のほうは落ち着いていて冷静だった。


「わたし、罪人じゃないもの。来たのは半年くらい前。どうしてここにいるのかは教えられない」

「えっと、他の人は……。アキツハさまは、きみがここにいること、知ってたの?」


 少女は表情を変えないまま、首をかしげた。


「アキツハさま? ごめんなさい、何人かの顔は知ってるけれど、誰の名前もわかんないの。どんなひと?」

「ベージュっぽい淡い金髪で、腰くらいまで長くて。透明な二対のはねが生えてて……」

「肌が白くて、女のひとみたいに綺麗な顔をした、若い男のひと?」

「そう! その人!」

「じゃあ、知ってる。交代で食事を届けてくれたひとのひとり。そのひとだけ、ときどき濡らした布で髪と体を拭いてくれた」


 少女に聞きたいことはたくさんあったが、扉の外で大人数の足音がなだれこんでくるのが聞こえてスガレは息を呑んだ。

 身振りと目配せで少女にも声をあげないように伝え、気配を消して外の様子をうかがった。


「サン坊ちゃま、動力室はこちらのようです。過去の遺物のような仕掛けですが、入念に破壊すればこの牢獄は簡単に落ちるでしょう。あとは我々でやりますので、先に屋上に戻って撤退の準備をなさってください」

「まったく、髭面の大男め、このわたしの顔に傷をつけるとは……。空中牢獄ギノユニワの墜落を眺めるに相応しい専用楽曲を用意していたというのに、あの男が斧を振りまわして暴れたせいで、役立たずの楽隊員どもは皆逃げてしまったではないか」


 赤服の軍人、サンが高らかに叫ぶ声が聞こえる。どうやらスガレを追ってきたわけではないようだった。


 目的は独房の隣にある、蟻塚を浮かせている古の機械を壊すことのようだ。

 鈍器を叩きつける音が響いた。やがて、蟻塚全体が不安定に揺れ始める。


「本国から軍人が来て、蟻塚を罪人ごと落とそうとしてるんだ」


 振動や上の階からの悲鳴にまぎれ、もう大きな声をだしても見つかることはない。スガレは頭を抱えて叫んだ。


「もうダメだ。オレたちの蟻塚は堕ちる。アキツハさま……!」


 目をぱちくりと見開いてスガレを見ていた少女は、少年の腕を取ると、なんでもないことのようにいった。


「じゃあ、逃げましょ」


 状況を把握していないとしか思えない少女の言葉に、スガレは苛立って声を荒げた。


「簡単にいうなよ、逃げられるもんか! オレは死ぬまでここにいるはずだった。だいたい、逃げようにも、オレには生まれつきはねがないんだ!」

「大丈夫、わたしのはね、大きいから」


 少女は微笑んで、スガレの両手に自分の手を重ねて握り、壊れかけて剥がれていた土の壁の向こう側に体を傾けた。


「うわっ!!」


 次の瞬間には、青い空の真ん中だった。

 スガレの体は重さで一瞬ガクッと下に落ちそうになったが、すぐにふわりと浮いた。


 上にあげた両手の先には少女がいて、スガレの手を握って空を飛んでいる。黒で縁取られた金色のはねがはためく。


「空を飛ぶの、半年ぶり! きもちいい!」


 無表情な印象だった少女は、明るく笑っていた。きっとこの顔が、本来の彼女なのだ。

 スガレは少女を見あげ、声を張りあげて聞いた。


「ねえ、オレはスガレ! きみの名前は?」

「わたしは、アゲハ!」


 初めて飛んだ空の上で、スガレは師を残した蟻塚が、日没とともに崩れ堕ちていくのを眺めていた。


 ──あっけないんだ、こんなに。


 自分の、すべてだった場所。

 一生でることができないと思っていたから、外の世界なんて考えたこともなかったのに。

 アキツハがいなくなったあと、どう生きるか。それだけが不安だった。


 スガレが一番怯えていたできごとは、夢のなかみたいに一瞬で現れて過ぎ去っていった。

 泣き叫びたいほど悲しいはずなのに、はじめて目の前にぶら下がった自由は、どうしようもなく胸を駆り立てる。


 広大で地平線だらけの、外の世界。

 陽が沈む。紺碧混じりの夕闇が山を、地面を走る。


 千人の罪人が暮らしていた空中牢獄は、地上で巨大な土塊となった。



 ***



 少女に手を引かれ、夜道を走った。

 背の高い木に覆われているので森のなかのようにも見えるが、左右の植え込みや地面がちゃんと整備された通行用の道だ。

 人の手によって放されたたくさんのともしビホタルが、自動的に動く者の後をついてきて行く先を照らす。


 少女にとっては見慣れた風景、だがここはスガレの知らない世界だ。空中牢獄よりも酸素は濃く、肌をなでる風が生温かった。


「スガレ、はやく、はやく」

「ちょ、っと待ってよ、アゲハ。さっきみたいに飛べば速いんじゃないの!?」


 少女は軽やかに前を走っているが、スガレはこれまでずっと柔らかい土の床で生活していたので、煉瓦れんがで舗装された道に慣れていなかった。

 中敷きすらない布製の靴を通してあたる地面は硬くて、足の骨に響くような感じがする。


「だめ。飛んだらはねが強く光るから見つかっちゃう」

「これ、どこに向かってるの?」

「いちばん近くにある街。かぜ都市まち

「アゲハの家?」

「わたしの家はここじゃないの。家族もいない。あなたの家は?」

「……どこかにあるよ。家族もいる、と思う。でもオレ、本国の地理とか街の名前とかよく知らないんだ」

「ふうん。じゃ、迷子ね」

「迷子じゃない!」

「しっ」


 急に立ち止まったアゲハが人差し指を立てて合図し、そっと植え込みの陰にスガレを連れて行った。

 ふたりで手を繋いだまましゃがみ込んで、少女はなぜだか笑いをこらえている。スガレは一応従ったが、我慢ができなくなって尋ねた。


「なにが可笑しいんだよ?」

「かくれんぼみたいだから。それより静かに」


 おし黙っているには長く感じるくらいの時間が経ったあと、スガレたちがさっきまで走っていた道を浮遊馬車が通過した。

 道が狭いためか、速度は遅い。三、四人の大人の声が夜の闇の静けさをつたって響いてくる。じっとしている間にホタルは体から離れていた。


「ほんと、ディナー中止なんて、まいっちゃうわ」

「しかたないだろ、緊急戒厳令が出たんだから。ギノユニワが墜落して、何十人もの罪人たちがこのあたりから散らばって逃げたんだぞ」

「旧制度を保守しようとしている反大公の皇帝派は、この始末をどうつけるのかな。空中牢獄崩壊をきっかけに、シャグマ大公の勢力はますます拡大するだろうねぇ」

「そんなことどうでもいいけど、治安が悪くなるのかしら。罪人がうろうろしてるなんて、嫌だわぁ」

「旧制度を完膚なきまでに潰す、またとない好機なんだ。大公の息子ら率いる軍が、すぐに皆殺しにするだろうさ」


 馬車がゆっくりと通り過ぎたあと、アゲハはその場に立ちあがってほうっと息を吐いた。


「あぶなかった。ああいうお金持ちそうな大人に見つかると、ちょっとまずいのよね。スガレだって都合はよくないはずでしょ」


 見下ろすと、スガレはまだ地面に座ったままの体勢で目を大きく見開いている。


「スガレ?」

「……生き残った罪人がいるんだ」

「ああ、さっき何十人か逃げたっていってたわね。でもあの人たちのいうとおり、すぐに処刑されると思う。はねがないし、黒ノ印で見ればわかるもの」


 アゲハはあまり興味がなさそうな口調だった。

 スガレは懐に免罪符の束が入っている感触を確認して、決心したようにいった。


「助けなきゃ」

「……どうして? なんで罪人を助ける必要があるの?」


 少女の声が少し曇る。


「オレは、最後の免罪符売りだから。オレじゃなきゃ皆にはねを返せない。だから助けないと」

「あなた、さっき師匠を殺されたっていってたのに。泣いてたじゃないの」

「それでも、彼らには罪を償う権利がある」

「でも、旧制度では償いは義務じゃないわ。だから償う気がない罪人もいたでしょ」

「そうだけど、望んでいた罪人がほとんどだ。償いさえすれば、オレたちは罪人をゆるしてあげられるんだよ」

「そんなわけない、わたしは!」


 はじめて、アゲハが大きな声をだした。

 腰を落としてスガレの両肩を掴み、まっすぐ射るように目を合わせる。


「わたしは、わたしの家族を殺した奴をぜったいに許さない! たとえ、そいつが罰を受けて罪を償ったとしても!」


 まるくて大きな瞳に、紅潮した頬、ちいさな唇。あらためて向かい合うと、アゲハはとても少女らしい顔立ちをしている。

 歳のはなれた姉やメイドとしか接したことのないスガレは、心臓が大きく打つのを感じた。

 顔もなんだか熱くなってきた。


 場違いに湧いてきた初めての感情を持て余して、スガレはそれ以上言い返すのをやめ、声をひそめた。


「ケンカはやめようよ。協力してこれからどうするか考えなきゃ。それに、きみとはせっかく出会ったんだしさ」


 アゲハも関係のない少年に怒りをぶつけたことを少し後悔していたらしく、素直にうなずいた。

 手を取り合って、立ちあがる。そのときスガレがまた顔をしかめたので、少女は不安そうに尋ねてきた。


「どうしたの?」

「……今気づいたんだけど。オレより、アゲハのほうがちょっと背、高い」


 ちょっと、といったが本当は指四本分くらい高い。


「ああ。スガレ、あなた何歳?」

「十二歳」

「わたし、もう十四歳だし」


 勝ち誇った表情のアゲハに、スガレは本気で悔しがる。そのあと目を合わせて笑った。


「行きましょ」

「うん」


 少女と少年は、ふたたび手を繋いで飼いならされたホタルの舞う夜道を走りだした。


「すっげえ。こんな都会が、近くにあったなんて知らなかった。蟻塚にはこっちの方角が見える窓はなかったからなぁ。家も道も、全部浮かんでるんだ……!」


 森の舗装路を抜けた先にある風ノ都市は、空中で建物と路地が立体的に絡み合ったひとつの巨大な集合体だ。


 アゲハのいったとおり飛んでいる間ははねが強めに光るらしく、都市に暮らす人々の発する光が点々と輝いている。

 上流階級の客を乗せた飛行生物の舟が横切り、建物そのものが浮遊しながら移動するレストランやマーケットもある。

 スガレが見たこともないほどきらびやかで、まるで果実がたくさん詰まった木箱みたいだと思った。


「ここは第一国区と呼ばれる地域。上空にあるのが、風ノ都市よ。異国には、飛ぶことのできない種族が多いんですって。だから攻められないよう五つの主要都市はすべて空に造ってあるの。今は同じ種族のなかで争ってるから、あまり意味ないけどね」

「五つ!? こんなに大きな街が五つもあるの?」

「そう。このムスビノ空中連合公国はもともと一つの国だった。それが五つに分裂して、爵位を持つ五人の領主がそれぞれ治めたの。少しのあいだだけはうまくいってたんだけれど、それじゃ満足できない領主が何人もいたのね」

「それで内戦中、か……」

「ついてきて」


 ふたたび少女について都市の近くまで行くと、大勢の人々で都市の入り口は混乱していた。『戒厳令が敷かれた』とすれ違った貴族がいっていたように、早く自宅に戻るよう大公からお達しが出ているらしい。


「街への出入り口が真下にあるなんて、面白いね」


 巨大な丸い門が、口を開くように都市の真下にあたる位置に開いている。逃げだした罪人を探しているのか、軍人が検問を行っていた。

 時間がかかっているらしく、あたりが住民であふれかえっているのはこのためだ。


「こっち。ひみつの隠れ家があるの。たいしたおもてなしはできないかもしれないけどね」


 少年と少女は人々にまぎれてそっと飛び立った。

 アゲハのはねが強く輝き始めたが、ほかの人の光と混ざりあっているので見咎められることはない。

 両手をつないだ先にはスガレがいて、光を発することのない少年は闇に溶け込んでいる。


 ──さっき見た、灯ビホタルになったみたいだ。


 ずっと夢のなかにいるような感覚が抜けない。

 スガレはおびただしい数の光を眺めて、想像したこともなかった新しい場所に飛び込んでいくのを感じた。

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