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第2話 凌辱者

 蟻塚で暮らすのは罪人ばかりだ。そのため、どうしたって荒っぽい者が多くなる。

 そこら中で罵詈雑言が飛び交い、ケンカが始まれば野次馬がはやす歓声で大騒ぎとなる。


 管理者や看守はいなかった。牢獄内であれば罪人は自由に動きまわることができ、生活時間や労働も強制されることはない。

 本国に放置された結果ではあるが、それでも自治が自然発生し、生き延びるために罪人たちは互いに協力もする。本国にある貧民窟スラムのようなものだ。


 罪人たちにも上下関係はあるが、実質は全員が同じ立場に過ぎないので、他人に従わない性格の者もいる。全員を黙らせることができるとしたら、免罪符売りのアキツハだけだ。

 その役割から、免罪符売りは無法の蟻塚でただひとりの特別な存在だった。


「32番のところへは最後に寄りましょうか。キシズクの果実がなったといっていましたね」

「あのじいさん、毎日最上階で木の鑑賞だけしてぼーっと暮らして。罪だって賭博でイカサマしてただけで人を殺したわけでもないのに、死ぬまでここにいる気っすかねぇ。さっさと働いて家に帰りゃいいのに。待ってる家族ももういないか」

「この蟻塚にいるというだけで、償いはせずとも罰は受けていることになります。私たちに強制はできません。労働の推奨はしますがね」


 償いをしない限り、罪が減ることはない。

 どんなに軽い罪でも、償わなければ永遠に『蟻塚からでられない』という罰を受け続けることになる。


 五年ほど前から内戦が激化している本国では、この投獄と償いの制度についても意見が分かれて揉めており、それ以降の罪人はすべて反対派が作った新たな牢獄に収容されていた。

 蟻塚は旧制度の牢獄として疎まれ、捨て置かれているが、それでもここに暮らす住人にとって『自主的に償いをしない限り、罪は減らない』ことは不変で、絶対のルールだ。


 午前いっぱいを使って200番以内の罪人を訪問する。

 彼らは長くいる分罪人のなかでは発言力があり、仲間も多く、牢獄内の治安に関わる影響力を持つため、遅い番号の者たちより多めに時間を割いていた。


「192番、最近は変わりない?」

「べつに、変わりようがねーよ。毎日いっしょ。楽しい獄中生活だ、たまんねえよな」


 192番は朝一番にスガレに声をかけてきた三十くらいの男だ。早い番号にしては比較的若く、二十歳前の少年たちを子分のように何人も従えている。

 度重なる喧嘩と暴行の罪で収容され、体中が装飾品だらけでいかにもスラム出身といった風体だが、年下の面倒見はいいらしくスガレにもよく声をかけてくる。

 だが、最近は通路でぼんやりとしている時間が増えた。


「アンタはさ、もう黒ノ印も消えかけてんじゃん。あとちょっとで償い終わるんだから働けばいいのに」


 スガレがしゃがみこんで説得しようとすると、共用スペースである通路に布を敷いて寝ていた192番はじとっとした無気力な目線を向けた。


「やる気ねえんだ。こんな辛気臭いとこで、よくもまあ毎日ヘラヘラしてられるなぁ。女もいねえしよ。スガレ、おまえクソガキの頃から蟻塚にいるけど、女見たことあんのか?」

「母と姉と乳母とメイドは女だったよ」

「家族は女といわねえ。でも、メイドは結構イイな」

「イイって?」


 どういう話かよくわからなくて、スガレは素直に聞き返した。


「ガキには教えてやらね。しかしアレだな、やっぱ免罪符売りだから上流階級の生まれなんだな。俺の母親と姉は、乳母やメイドとして働く側だった」

「まーいちおう、国から派遣されて就いてる仕事だもん。父が官僚で偉い人だったらしいから、その縁かな」

「おまえボンボンのくせに、怖くねえのか? 牢獄にはどこ見渡してもチンピラみたいな罪人しかいないんだぞ」

「っていわれても……ここに来る前もあまり家の外にでたことなかったし、罪人じゃない普通の人たちと接したのなんて憶えてないからわかんないや」

「ハァ、ご愁傷さま。しかも俺たちと違って、免罪符売りは死ぬまで蟻塚からでられないんだろ。どっちが罪人だかわかりゃしねえ。せっかく良い家に生まれたのに、はね無しだったのが運の尽きだな」


 諦めと哀れみの混じったため息を吐いた192番の言葉に、スガレはむかっとして思わず言い返していた。


「フン、生まれつきはね有りのくせに、好き好んで罪を犯してこんなとこで暮らしてるアンタにいわれたくねーし!」

「んだと、このガキ。金持ちの家に生まれたやつに、貧民の気持ちがわかんのかよ!」

「オレはこれからもずっとここにいるんだ! 金持ちも貧民も、どっちの事情も知らねーよ! アンタだって今は罪人なんだから、ここでは関係ねーじゃん!」


 192番がスガレの襟首をつかみ、地面から持ち上げる。身長差がありすぎてスガレは足をばたつかせるしかできないが、負けじと睨み返す。


 各部屋から騒ぎを聞きつけた罪人たちが顔を出し、あっという間に野次馬に囲まれた。

 面白がって焚きつける者がほとんどだが、相手が見習いとはいえ免罪符売りなので止めようとする者もいた。

 ケンカは日常茶飯事だったが、他に娯楽がほとんどないのですぐに騒ぎとなる。

 見物人たちの歓声をものともせず、後ろで見ていた師のアキツハは、よく通る低い声で言い放った。


「スガレ、やめなさい。罪人を咎めるのは私たちの仕事ではありません。貴方が謝りなさい」


 一瞬で、人で溢れた通路が静まる。


「……ごめんなさい」


 口にしてはいけないことをいったとわかっていた。

 スガレが泣きそうな声で謝罪を口にすると、192番は舌打ちをして少年を下に降ろした。一言「悪かった」といって、決まりが悪そうに自分の持ち場に戻っていった。

 ケンカが終われば、野次馬たちも何事もなかったかのように散っていく。それもいつものことだ。


 一旦訪問を中断して、アキツハは自分たちの部屋にスガレを連れて帰った。

 怪我をしていないか確認し、飲み水を与えると少年の跳ねた白い短髪を押さえるように撫でながらいった。


「ちゃんと謝って、えらかったですね。192番は近頃配給がなくて材料が手に入らないので、得意の銀細工ができなくて苛々していたんです。私たちだって人間なのですから、嫌な思いも悔しい思いもすることはあります。それでも、免罪符売りとしての役割をまっとうしなければならないのです。私たちにとっては、この蟻塚だけが真実なのですから」


 スガレは師の腰にしがみついて泣いた。


 はねが無いことを馬鹿にされたのも悔しかったが、アキツハがいなくなったあと、たったひとりでこの蟻塚で生きていかなければならないことを思い出したからだ。


 子供のスガレでも簡単に手を回せるほどの細すぎる腰が、師がいなくなる日が近いことを実感させるようで、余計に苦しかった。



 ***



 翌日の昼間、楽隊でもいるかのような派手な音楽が、大音量で蟻塚に近づいてきた。


「なんだ? 本国からの配給か?」

「配給は第七曜日だけだろ。それ以前に、音楽鳴らしたりしないだろ……」


 今まで起こったことのない変化に罪人たちは騒然となり、労働もなにもかも放りだして窮屈な窓から顔をだした。


「あーすげえ! そらトビエイだ!」


 遠目にしか見たことのない飛行魚を前にして、スガレが目を輝かせて身を乗り出した。

 装飾の施された巨大な箱を空飛ぶエイが引き、蟻塚のすぐ真横を飛んでいる。


「軍人……!?」


 箱についた窓の向こうに、軍服を着た男たちの姿があった。アキツハは言いようのない不安を感じた。


 屋上に空トビエイが降り立つ。


 配給の飛行船専用の荷卸し場があり、木や畑を育てている最上階が吹き抜けとなって露出している。蟻塚で唯一明るく、植物を見ることのできる場所だ。

 スガレはもちろん他の罪人たちも、彼らがたったひとつの入り口である屋上から入って来ることはわかっていたので、先回りして集まり、遠巻きに眺めていた。


 乗り物から降りてきた軍人はちょうど三十五人、楽隊員が二十二人だ。


 先頭の真ん中に、あきらかに一番偉そうにしている派手な若い男がいた。

 金の髪は師のアキツハの髪色よりもずっと濃くて目立つ。背に生えた大きなはねは華美だがどこが禍々しい模様をしている。黒の刺繍が入った真っ赤な軍服を着て、背後に従わせた楽隊が常に音楽を鳴らしていた。


 罪人たちが集まって自分に注目しているのを満足げに見渡すと、金髪の男は大声で名乗りをあげた。


わたしはムスビノ空中連合公国が君主、シャグマ大公の四男、サン・クスサン・シャグマだ! そしてこの曲は我のメインテーマソングである『熱情』!」


 紹介に合わせて、管楽器がパァッと華やかな音を奏でる。


 スガレの隣で見ていた女口調の762番と、画家の449番が声をひそめて囁き合う。


「あら、イイ男。いいマッチョ」

「なんといいますか、繊細さの欠片もない二枚目ですね……」

「そこがいいのよ、ドSっぽくて。アタシはアンタみたいに神経質そうな男はいやよ」

「個人的には、自分専用のミュージックがある男のほうが嫌ですが……」


 騒ぎには無関心でキシズクの果実を収穫していた32番の老人が、来客に気づいて籠を持ったまま軍人に近寄った。


「配給が、やっと来たのかい?」


 金髪男が右腕を折り曲げて肩のところで手のひらを上に向けると、流れ作業のような動きで部下のひとりが赤く塗られたマスケットを渡す。


「配給ゥゥ? じいさん、あんたみたいにだ。いようと思えばいつまでもダラダラと牢獄で暮らせることがおかしいと思わぬのか? 愚図で、怠惰で、惰弱! そのような罪人が自ら立ち直って罪を償うなど、先人の考えた絵空事にして幻想! こんな旧制度の金喰い虫に渡すものなど、なにもありはしない!」


 スガレの身長ほどありそうな銃を軽々と回転させて装備し、32番に向ける。

 音楽が響いているせいか、想像よりもずっと乾いた軽い音が鳴った。銃口から沸き立つ煙の量がすさまじい。


 熟したキシズクの実が地面に転がり、32番が地面に倒れた。


「サン坊ちゃま、お見事です」


 後ろにひかえた軍人たちが、形式ばったお世辞を並べ立て、拍手をした。


 サンと呼ばれた金髪男はフフンと得意げに鼻を鳴らし、楽隊に合図してもっと激しい楽曲に変更させると、部下全員に命令をした。


「この牢獄はすでに用済みだ。無くなってしまえば旧制度にしがみつく老害どもも諦めるだろう。これは我がシャグマ家勝利のための正当な私刑なのだ! 罪人を皆殺しにしろ! そして今流れているのは我のテーマソングその6『惨過』だ!」


 一斉に銃を構えた軍人を前にして、呆然と静まっていた罪人たちは悲鳴をあげて逃げ始めた。


 引き金が絞られ、銃声が響き渡る。


 狭い通路に罪人がなだれ込む。逃げ場所はどこにもない。外への出口は屋上しかないが、はねをもがれた彼らは飛ぶことができない。


 せめて隠れるところはないかと迷路のような内部を、押し合いながら逃げまどう。罪人たちは焦りで殺気立ち、怒鳴り声があちこちであがった。


「おい、あれ……」

「アキツハさま!」


 先ほど窓の外を覗いていたそのままの位置に、免罪符売りのアキツハは立っていた。押しかけてきた罪人たちを一瞥する。すがりつく彼らを冷静な声でなだめた。


「アキツハさま、本国の軍人が……。もうすでに何人も撃たれました!」

「落ち着いてください。私が交渉してみます」


 屋上に向かって歩き始めたアキツハを見て、数人はほっと安心した顔をした。

 だがそこに、若者を引き連れた装飾品だらけの男が現れて通路をふさぎ、免罪符売りの行く手を阻んだ。


「……192番? そこを通してください」

「おい、今すぐはねを返せ」


 タトゥーの入った192番の腕がアキツハの胸ぐらを掴む。


「あいつら、問答無用で撃ってきやがった。話なんか通じる相手じゃねえ。はねを取り戻せば全員逃げれるんだ。今すぐ返せ」


 至近距離で睨みつける192番から視線を落として、アキツハはいった。


「……それは、できません。償うことなく、黒ノ印を消すことは許されていないのです」

「ここで死んじまったら、どのみち償えないだろうが!」


 ふたりを囲うようにして見ていた罪人たちは、戸惑っていたが止めようとはしなかった。

 誰もが192番と同じ気持ちを抱いていて、彼に説得を託せればと思っていたからだ。


「蟻塚にいるのは全員が全員凶悪犯ってわけじゃねえ。むしろほとんどが軽い罪の罪人なんだ。俺だって星の数ほどケンカはしたが、ひとりだって殺してねえ。処刑なんてされてたまるか!」

「それでも、できません。はねの返還は償いが終わってゆるしを与えられた者のみです。決まりを破れば私たち免罪符売りはその資格を失うのです。192番、貴方は……」


 言葉を途中でさえぎり、男はアキツハが腰に差していたナイフを抜き取って、振りあげた。


「なにが、赦しを与えるだ……。おまえらは何様なんだよ! 俺の名前は192番じゃねえ、俺の名はユスリカだ! 生きて本国の家族のところへ帰らなきゃならねえんだ!」



 ***



 止むことのない銃声と、逃げまどう罪人たち。

 時間が経過するほどに、撃たれて通路に倒れている罪人の数が増えていく。


 スガレがアキツハを見つけたとき、あれほど皆に慕われて、一目置かれていた師の面影はどこにもなかった。

 他の動かなくなった者たちと同じように捨て置かれ、走って逃げている罪人の足に蹴られている。


「……アキツハさま?」


 顔を隠していた長い髪を手ではらうと、血の気を失った師の頬があらわれた。透きとおってとても綺麗だったはねは無残にちぎれている。

 翡翠色の瞳は開かれたままで、どこも見てはいなかった。


 息ができない。


 頭のなかで、誰かがそう喋った気がした。スガレは実際に呼吸のしかたを忘れてしまったかのように酸素の吸いかたがわからなくなった。


「これは、免罪符売りの大事なもの」


 自分の喉から出たはずの声が、他人のものみたいに聴こえる。アキツハの懐に入っていた免罪符の束を取りだして、胸元にしまった。


 師の息を止めたナイフがすぐそばに落ちていた。まだ柄のついていない、鍛冶エリアの26番が打ったばかりの鉄ナイフだった。

 心地良い重みをした手に馴染むナイフを握りしめて、鉄のように重く動かない下半身に逆らうこともできず、罪人たちが逃げ場所もないのに走りまわるなかで、スガレはひとり時間を止めたまま、師のかたわらにしゃがみこんでいた。


 時を揺るがす、大音量。

 金髪の若い軍人、サンと呼ばれた男が楽隊を引き連れて最上階から降りてきた。


 ──うるさいな。


 自分のすぐ真横に男が立ったときも、スガレはただそう思っただけだった。


 サンはスガレが見えているのかいないのか、倒れているアキツハの姿を発見して、部下に向かって笑いながらいった。


「こいつがあの、カシン家の三男か。噂どおり見目は美しかったのかもしれんが、軟弱に生まれたせいで物心ついた頃から捨てられた牢獄に閉じ込められ、免罪符売りなどという役割を押しつけられた哀れな男よ。教養も学もない男娼め、罪人どもの慰みになるくらいしか用途はなかったのであろう」


 鼓膜から直接飛び込んで脳をかきまぜるような、耳障りな音楽と嘲笑に包まれる。


「おまえが」


 スガレは立ちあがって鉄ナイフを逆手に握り、サンに飛びかかった。


「おまえなんかが……あの人を否定するな!!」


 ナイフを振りあげて向かってくる子供を前にしても、サンは余裕の表情を崩さない。マスケットをひるがえし、スガレの隙だらけの胴体を銃床で思いきり突いた。


「ぐ、えっ」

「子供も収容されているとは知らなかったな。命乞いをするなら助けてやるが」


 地面に転がったスガレに、サンは高圧的な声を落とす。


「この、人殺し……!」


 あえぎながら吐いたスガレの言葉を、男は笑い飛ばした。


「人殺し? 馬鹿め、処刑人は罪にならんのだ。罪人は貴様らだけだ」

「オレは、罪人じゃない。免罪符売りだ!」


 ぴくりと、金髪男のこめかみに寄った血管が動いた。


「ああ、貴様は免罪符売りの見習いか。そういえば生まれながらのはね無しという話であったな」


 サンが右手をあげると、後ろに控えていた部下が弾の詰まった銃を構えて進みでてきた。


「ならば殺そう。貴様はこの世界で最後に残った免罪符売りだ。いなくなってしまえば、前時代の悪習もおのずと消え去ろう。テーマソングその18『哀歌』に切り替えよ」


 激しくも悲しいメロディーが流れるなか、スガレは目を閉じた。数秒が何分にも感じる。まぶたの裏で師の微笑んだ顔を見た気がした。


 音が止み、静寂がおとずれる。

 開かれた視線の先にあったのは、巨大な斧を持った鍛冶エリアの長、26番の背中だった。


 スガレを撃とうとしたはずの軍人たちが倒れている。

 26番が吠えながら斧を振りまわすと、演奏を止めた楽隊員たちは叫びながら散っていった。


「26番……どうして……」


 26番は少しだけ振り返ってスガレを見下ろした。


「さっさと逃げろ。はねを取り戻そうと192番たちがおまえを血眼で探してる。アキツハさまを殺したのはあいつだ。免罪符売りなら独房の鍵を持っているんだろう。あそこに隠れろ」


 頷いて、スガレは独房のある最下層に向かって駆けだした。

 走るとずっと眠っていた頭が冴えていくような気がした。


 アキツハさま。


 師の名を叫んで泣きながら、少年は走った。

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