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第23話:正義の死

 陽光が優しく降り注ぐ町外れの地で、エリオスとローガンは対峙していた。時が止まったかのように、二人の間には静寂が満ちている。


 エリオスの表情は、驚きと疑念が入り混じっていた。対するローガンは、かつての勇者らしい堂々とした佇まいを崩さず、静かにエリオスを見つめていた。その眼差しには、戦士の鋭さと、どこか深い憂いが滲んでいる。


「本当に、ローガン殿なのですよね……?」


 エリオスの声には、抑えきれない動揺があった。


「あなたはリュミエ討伐のために出陣し、命を落とされたと聞いています。それなのに、なぜここに……」


 ローガンは静かに息を吐き、ゆっくりと口を開いた。


「君は?」


「わ、私はエリオス・ヴァルターと申します。恐れ多くもあなたの次の代を引き継いだ勇者です。いえ……それも一週間前までのことですが……」


「ここにいるということは……事情は察する。君はどうやら、王国のスパイではなさそうだ」


 彼は少し目を伏せ、遠い記憶を辿るように言葉を紡ぐ。


「いかにも、私はローガン・アルヴェリオスだ。順を追って話そう。私が勇者を拝命したのは、今からおよそ二年半前のこと。そこから約半年の間、私は王国の命により何度も、魔族の姫リュミエの討伐を試みた。私が勇者予備隊である御影みかげ隊から選ばれた理由はひとつ。私の魔法、双劫のジェミニ・チェインの存在だ」


「それは、一体どのような……」


「簡単に言えば自爆魔法さ。相手と自分を見えない鎖で繋ぎ、ダメージを共有する。その状態で自害すれば相手も死ぬというわけだ」


「なっ……そんな魔法は禁忌のはずです」


「ああそうだ。私は禁忌を与えられて勇者となった。リュミエを道連れにして死ね、と初めから言われているようなものだった。だが、それでも勇者になることを選んだ。その理由があったからだ。君だってそうだろう?」


 エリオスは何か言おうと口を開けたが、結局言葉は出てこなかった。ローガンは続けた。


「何度もリュミエと対峙し、ついに鎖をかけられるまでに半年かかった。私は迷いなく、短剣で自らの胸を突いた。だが刹那の直前、鎖はリュミエの魔法によって断ち切られており、彼女にダメージを共有させることはできなかった。私だけが致命傷を負った」


「でも、あなたは生きている」


「生かされたんだ、リュミエに。信じられないだろう、自分を殺そうとした相手を救うだなんて。目が覚めると私はこの村の、診療所のベッドの上にいた。あとは推して知るべしだ」


 小鳥の鳴き声がして、ローガンは平屋造りの家のそばに立つ木を見上げた。すると、そこからオレンジ色をした二羽の小鳥が連れ立って飛んでいく。


「ここは、のどかでいい。アルカ=フェリダ王国で勇者をしていたことなど、うっかり忘れてしまいそうになる」


「この村が平穏でいられるのは、リュミエ殿が自身の魔力を使い、常にシールドを張っているからです。シールドの外ではまだ、あなたがいなくなった二年前と変わらず、人間の血も魔族の血も簡単に流れます」


 ローガンはバツが悪そうに目を伏せた。勇者を退いて以来、当時ほどの鍛錬はしていないのだろう。背丈はエリオスと同じくらいなのに、体躯は細く、普段運動をしない現実世界のオレと同程度の筋肉量しか見受けられない。その体が、エリオスの言葉でさらに縮こまって見える。


「説教はよしてくれ。自分の不甲斐なさは、自分が一番知っているさ」


「いえ、そんなつもりでは……」


「怪我が治っても王国へ帰らなかったのは、なにもこの村の居心地のせいだけじゃない。私はホッとしていた。もう命を懸けて戦わなくてもよいのだと。まるで呪縛から解放されたかのような気分だった」


「ローガン殿……」


「勇者としての私の誇りは、意地は、希望は――」


 彼の声が戦慄わななく。


「――私の正義は二年前、短剣で胸を刺した時に死んでしまったのだ」


 その時だった。突如、村の入り口の方から爆発音が響いた。


 なんだ、何があった、何の音だ、怖いようお兄ちゃん、オレとローガンとノアが口々に動揺をこぼす中、エリオスの反応は早かった。


「ここを動くな」


 ただひと言を残し、音のした方へ駆けていく。オレたち三人は呆然と取り残された。


「お兄ちゃん……戦いに行くときの目だ」


 ノアが不安げに呟いた。


「戦い?」


 さっきの音は、敵襲なのか? だがこの村はリュミエのシールドに守られているはず。


「睡蓮さんどうしよう。お兄ちゃん、剣を持ってない……」


 ノアの訴えでオレは気づいた。エリオスの勇者の剣は、一週間前に地下牢で奪われたままだ。


「まずいな……オレも行く」


 オレは車椅子から立ち上がった。切られた傷の内側にまだ違和感は残っているが、動けないほどじゃない。


「待て」


 制止の声に振り向くと、ローガンが険しい表情でオレを睨みつけていた。


「君は見たところ、怪我をしているのだろう? それに、挙動でわかる、戦い慣れた兵士でもない」


「そんなこと、エリオスを追わない理由にならない」


「彼の足手まといになるだけだ」


 オレはローガンを睨み返した。


「ならあんたが行ってくれよ。あんたは戦い慣れた勇者だろ」


 その言葉はローガンにとって、刃物だったのかもしれない。彼はハッと目を見開き、眼球を震わせ、傷ついたような顔で俯いた。


「戦わないなら、ノアを頼む」


 オレは返事を待たずに、元来た小径こみちを駆け出した。一歩一歩、足が地を踏む衝撃が傷の内側にジンと響く。だが足を止めはしない。遠い向こうから、悲鳴とざわめきが聞こえている。


 夢の中で危険から逃げ出さなくなったどころか、危険に飛び込んでいくようになるなんて。


 ふっ、と自嘲的な笑みが漏れる。だが決してマイナスの意味ではない。


 逃げない選択をするというのは気分のいいことだったな、と思い出した。




 共生広場ハーモニア・スクエアを横切り、慌てふためき逃げてくる人々をかき分けるように共栄市場シンフォマーケットを駆け抜けて、村の入り口まで辿り着く。


 そこには醜悪な生き物――おそらく魔獣と呼ばれる生物がいた。


 四つ脚の毒々しい肢体。爛れた皮膚には紫色の脈が浮き上がって脈動し、牙の間からはよだれしたたっている。目は赤黒く濁り、知性のない獣の飢えだけを映していた。


 周囲の村人はほとんど逃げてしまっているが、数人の男たちが木の棒やくわを手にして、腰が引けながらもその場に留まっている。しかし、彼らがなんとかできる相手ではないことは明白だった。


 そしてそんな男たちをさらに守るようにして、木剣ぼっけんを構えたエリオスが魔獣と対峙していた。


 「下がれ!」


 エリオスが叫び、村人たちは恐る恐る距離を取る。次の瞬間、魔獣の咆哮が村の入り口に響き渡り、その凶悪な口からバレーボールほど大きさの霧のような黒い球が放たれる。


「黎明の逆光ドーン・リバース


 片手でを持ち、もう片方の手で刀身を支えるように木剣を構え直したエリオスは、六角形のシールドを繰り出す。そこに打ち当たった黒い球が光明と共に弾け、爆音と黒煙が上がる。


「エリオス!」


 思わず叫んでいた。だが、オレには戦うすべがない。彼の隣に躍り出ていったとて、ローガンの言ったとおり足手まといになるだけだ。


 だからといって、何もしないでいられるか! オレは考えに考えて、近くに落ちていた小石を拾い、魔獣目掛けて放り投げた。


「くそっ、全然届かん」


 オレは野球部でもなんでもない。投げた小石は距離が足らずに魔獣の手前に転がった。


 黒煙が晴れ、シールドを敷いてもなお防ぎきれないダメージを負ったらしいエリオスが、小石の投げ入れられた方角を追って、すす汚れた顔を一瞬こちらに振り向かせる。


「睡蓮?」


 その一瞬を魔獣は見逃さなかった。長い爪で地面を蹴り、エリオスに飛び掛かる。エリオスはそれをすんでのところでかわし、


「なぜ来た! 近くの家に隠れていろ!」


 魔獣に向けて切り払うように木剣を振る。その刀身の腹に魔獣が噛みつく。


 バキイィ!


 魔獣の口の横から剣先側の半分がボトリと地面に落ちた。魔獣は刀身を咥えたまま、柄の側を握ったエリオスを振り払うかのように8の字に頭を振る。肉食動物が獲物の息の根を止めるために行う動作だ。


 怪我を負ったエリオスは力負けし、柄から手を離して振り飛ばされる。


 魔獣は木剣を吐き捨てて、地面に転がったエリオスへと突進する。


 「くそっ……!」


 何の策もなく、オレは駆けだそうとしていた。だがそのオレの横を別の誰かがすり抜けていく。


 「使え!」


 一本の剣が、陽光を浴びて煌めきながら宙を舞い、エリオスの眼前に突き刺さる。


 投げたのは、ローガン・アルヴェリオスだった。

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