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第22話:道は導くためにある

 翌朝、オレを覚醒させたのは、開け放たれた窓から吹き込む透き通る朝の風と、鳥のさえずり、そしてベッドの足元に飛び乗ってくる少女の鈴のような声だった。


「おはよう、睡蓮さん。グランツ先生にお許しをもらったの。今日は朝ご飯を食べたら車椅子に乗って、村の中をお散歩しよう」


「ノア? ……驚いたな。おはよう」


 ベッドの傍らには、一昨日の悶着を引きずっているのか、仏頂面のエリオスが腕を組んで立っている。


「ノアの頼みだ。仕方ないから俺も付き合ってやる」


 その口ぶりは心底嫌そうだった。けれど、それでもノアのためについてきたらしい彼の姿がなんだか可笑しくて、オレは笑い出しそうになった。


 ベッドの上で朝食を終え、診療所の一階まで下りると、待ち構えていたノアがオレの手を取った。そしてそのまま玄関の外へと導かれる。


 診療所の奥で今日の営業開始の準備をしていたグランツ医師が振り返り、


「絶対安静は変わらないからな。悪化して帰ってきたら、明日から三日は面会謝絶で軟禁するぞ」


「はあい、先生」


 と、オレの代わりにノアが答えた。グランツ医師は、図らずもノアのような子どもに物騒な物言いをしてしまったようなかたちとなり――実際はオレに向けて言ったのだろうが――面食らった様子で言葉を続けた。


「わかっているならいいんだ。気をつけて行ってきなさい」


 なんだ、優しい言葉も吐けるんじゃないか、とオレはまた笑いそうになり、慌てて唇の端を噛んだ。


 玄関の外には、鉄の車輪と木で作られた古い車椅子が置かれていて、隣にむすっとしたエリオスが立っていた。車椅子の座面には尻が痛くないよう花柄のクッションが敷かれていて、そのファンシーさと、麻の長袖・長ズボンをまとったエリオスの朴訥ぼくとつさとの対比がすさまじい。


「お世話になりますよ」


 わざと丁寧に述べて、オレは車椅子に腰かけた。エリオスは無言でぐっと車椅子のハンドルを握る。


「じゃあまずは、村の中央通り、共栄市場シンフォマーケットへ行こう」


 ノアが明るく笑って車椅子の前方へ躍り出る。朝日を浴びた金色のおさげ髪は、兄であるエリオスのそれと同様に、絹糸シルクのような透明感のある輝きを放っていた。




 村の奥まった場所に建つ診療所から、中心地へ向けてオレたちは進んでいく。診療所にほど近い小径こみちは、人ひとり通れるくらいの幅しか綺麗に整備されておらず、あとは野草や野花が自由に生える草道だったが、車椅子の通行にはぎりぎり支障がなかった。後ろから押してくれるエリオスの腕力のおかげもあるかもしれない。


 エリオスは不満げな表情でいるものの、車椅子をわざと乱暴に動かしたり、オレを振り落とそうとするようなことは、まったくなかった。むしろ丁寧で、衝撃を与えまいとする心遣いが彼の手捌さばきには感じられた。


 やがて家々の集まる中心地が見えてくると、ノアが市場マーケットと言ったとおりの賑やかなざわめきが聞こえ始めた。


 小径こみちを進んできたオレたちは、共栄市場シンフォマーケットの横っ腹に突き当たった。


「わあ、美味しそうな匂いがいっぱいするぅ」


 ノアは目を閉じ、犬のように鼻をひくつかせてみせる。オレの後ろに立つエリオスの雰囲気が、ふっと和らぐ気配がした。


「ノア、何か食べるか?」


「いいの? 朝ご飯食べちゃったのに」


「構わないさ、たまには」


 ノアは、 「お兄ちゃん、大好き」と顔をほころばせると、何やら甘味の気配のする屋台までパタパタと走っていき、オレたちに手招きした。


 屋台で売られていたそれは、一見するとただのシュークリームのような見た目をしていた。ノアが、うさぎのような長い耳とふわふわの毛を持つ店主に、どのような菓子なのかと尋ねると、店主は悪意のない純粋な笑みを浮かべて「食べるときのお楽しみです」と答えた。


 エリオスはノアだけでなく、オレにまでシュークリームを奢ってくれた。


 オレたちは、村の入り口から奥へ向かって続く共栄市場シンフォマーケットの終着点だという共生広場ハーモニア・スクエアまで行ってシュークリームを食べることにした。市場の中で立ち食いするには――オレは座っているが――なかなか周囲が騒がしくて落ち着かない。


 広場までの道々、オレは人間と魔族が互いに分け隔てなく声を掛け合い、物を売り買いする光景を物珍しく見物した。


 共生広場ハーモニア・スクエアは、エリオスが他の人間から聞いたところによると、村の中心に位置する大きな広場で、祭りや会合など、村民たちの交流の場として使われる場所らしい。普段は子どもたちが遊んだり、夜に村民が集まって星空を眺めるような、憩いの場となっている。中央には『共生の石碑ハーモナイト』と呼ばれる石碑が建っており、人間と魔族の共存を象徴する詩が刻まれているそうだ。


 エリオスは広場の端の木陰にあるベンチと向かい合うようにオレの車椅子を固定すると、ノアと共にベンチに腰かけた。


 オレたちはそれぞれ、ひとつずつシュークリームを手に取った。うさぎのような店主は「お楽しみです」とこの菓子の正体を隠したが、会計の後、ひとつだけ注意点を告げた。


『そのままかぶり付いては台無しです。お召し上がりの際は必ず、シュークリームを半分に割ってください』


 その注意のとおりオレたちは、クリームがこぼれないよう気をつけつつ、満月型のシュークリームを半月と半月に割り始める。


 切り込みがシュークリーム内の空洞に達した途端、中から不思議な淡い光が漏れ出した。どうやらクリーム自体が発光しているらしい。


「わあ」


 と、ノアが感嘆の声を上げる。けれども仕掛けはそれだけではなかった。甘いシュークリームを食べ進めていくうち、オレたちをまとう周囲の空気に金色の粉が舞い始めたのだ。何もない場所から生まれた粉は舞い落ちて、地面に着く前にふっと消えてしまう。オレはまるで、スノードームの中の住人になったかのような気分だった。


 さらにそれで終わりではない。三人それぞれが恐らく強く自覚していた効果。それは、胸の奥から次々と泉のごとく湧き上がる幸福感だ。


 それはことにエリオスに対して顕著に表れた。今朝からオレに明確に不満を表明していたこの男が、その澄んだ青い瞳を子どものように輝かせてオレに笑いかけたのだ。


 不気味だ、と思いもしないほどにオレ自身も幸福だった。正気に戻ったら互いに後悔しそうだなと頭の片隅の理性で思いつつ、満面の笑みを彼へと返す。もちろん、ノアに関してはとっくに幸福の絶頂のような様子でひらひらと手足を動かし独自の舞いを披露している。


 そんな状態はしばらく続いた。現実世界風に言えば、オレたちはラリっていた。もちろん、効果の原因は薬物でなく、体に悪影響のない簡単な魔法なのだが。


 シュークリームを食べ終えたオレたちは、いまだ舞い続ける金色の粉に包まれながら、共生広場ハーモニア・スクエアの奥の地へと、当てどなく足を進めた。その場所からは、診療所の前にあったような細い小径が何本も伸びていて、オレたちはノアが指し示した一本を、あみだくじを辿るように意気揚々と進んでいく。


 やがて一軒の平屋建ての家にたどり着いた。ただの住宅で、観光地的な要素は何もない。


 引き返そうかと思っていると、話し声を聞きつけたのか、平屋の奥からひとりの若い男が現れた。


 瞬間、エリオスが声を失い、瞠目どうもくした。彼の表情は一瞬で正気に戻っていた。オレも彼のただならぬ様子を見て我に返る。


 金色の粉はもう舞っていない。


「あ、あなたは、ローガン様ですか……?」


 エリオスの声が珍しく震えていた。オレは「誰だよ」とエリオスだけに聞こえる声量で問う。


 エリオスは目の前の男を見つめたまま、信じられないといった様子で答える。


「ローガン・アルヴェリオス。魔族の姫リュミエの討伐に向かい、惜しくも命を落とされたと聞くお方」


 男は肯定も否定もせずエリオスを見据えていた。


「生きておられたのですね……私の先代の勇者様……!」

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