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第20話:リュミエの箱庭

「親もキョウダイもここにはいない。私は捨て子だったし、育ててくれた母は五年前……私が十三の年に死んでしまった」


 逆光に照らされた灰色の影の中で、リュミエの表情は変わらない。ただ感情をはいした事実を語っているという顔だ。


 ごめん、という言葉はオレの口から出なかった。簡単にそう言って、話をそこで終わらせてしまうのは、自分から問い始めたことなのに、まるで覚悟のない行為だと思った。


 オレの中には、リュミエについて知りたい渇望があった。それは単なる物見遊山の好奇心じゃない。


 リュミエという少女が何故魔族の国をべるに至ったのか、そして何故、人間の王国との共生を望むのか。彼女の深いところにある真の理由を知ってこそ、その実現のために自分自身を切り売りするほどの価値を見出せるのだ、といざ重傷を負ってみてオレは思う。


 そんなオレの心情を察したのかどうかはわからないが、オレが二の句を継ぐ前に、リュミエは語り出した。


「狭間の村、ゼルトリアはもともと、人間の王国や魔族の国から追放された者たちが身を寄せ合っておこした村なの。それが、いつしか彼らは、狭間の土地に捨てられた赤子や子どもを拾って村へ連れてくるようになった。捨てられた子どもが村で育ち大人になって、また捨てられた子どもを拾ってくる。そうして世代が受け継がれていく村だったのよ」


 リュミエは窓の方へ顔を向けた。彼女の顔の半分だけが、オレンジ色の夕焼けを浴びて輝く。


「私自身も、狭間の土地に捨てられた赤子だった。それを、この村で暮らす人間の老婆が拾い、村へ連れて帰って育てた。私は彼女を母と呼んだわ。彼女は私を愛してくれたし、私も彼女を世界中の誰よりも愛していた」


 そこで彼女は席を立ち、「少し風が冷えてきたわね」と言って窓を閉ざした。外部から聞こえていた子どもたちの声や大工仕事のカンカンという音が小さくなる。


 オレはリュミエが座り直すのを待って口を開いた。


「リュミエはどうしてこの村を出て、魔族の国の姫に?」


「母が死んだからよ」


 憂いも迷いも見せずオレを真っ直ぐに見て告げる彼女を直視できず、オレは掛布団を引き上げるふりをして視線を逸らした。


「母は高齢だったわ。そしてそのそばには常に、日に日に魔力を増していく私がいた。私の魔力は他の多くの魔族のそれとは比べ物にならないほど強大で、それが弱った母の体を知らぬ間に蝕んでいた。そのことに気づいたのは、母が死んだあとだった」


 オレはふりをやめてもう一度リュミエの顔を見た。目を逸らすのは、今度は彼女の方だった。


「私は怖くなったの。私の強すぎる魔力は母だけでなく、仲のいい友だちや優しくしてくれた近所の人たち、この村の村民みんなを殺してしまうかもしれない」


「だから、村を出たのか」


「ええ。母の葬儀を終えてすぐ、私は魔族の国ルクス=ノワールで生きる決意をした。そして近所のおじさんおばさんが止めるのも聞かずに、深夜、村を飛び出した」


「苦労しただろう」


「そうね、ある程度は。けれど、やってやれないことは何もなかったわ。初めて村の外に出て、気づいたことが三つあった。ひとつは、私の扱う影の魔法が他の魔族にはない特異なもので、とても戦闘向きだということ。次に、村の外が、人間の王国と魔族の国との殺し合いの続く凄惨な世界だということ。加えて、人間も魔族も、同族同士でさえ争い合うということ」


 記憶を辿るように伏せられていたリュミエの深紅の瞳がゆっくりとオレを捉える。


「この世界の実情を見たとき、私はこの世界を、ゼルトリアと同じく人間と魔族が共生できる場所に変えたいと願った。そしてその一歩として、魔族をべる者になろうと考えた。私は、当時ルクス=ノワールのトップに君臨していた頭領に戦いを挑み、命からがら勝利したわ。そして次の頭領となった。今から四年前の話よ」


「四年前……十四歳か」


 正直、すべてが驚きだった。オレは彼女のことをどこかで見くびっていたのかもしれない。周囲に姫と呼ばれる彼女のことを、単純に王である親から地位を受け継いだ娘なのだと思っていた。けれどここまでの話によると、彼女はみなしごで、魔族の姫という現在の地位も、戦いにより自らの力のみで得たものだというのだ。


「なんだろうな……オレはお前のことを何も知らなかったんだって、今わかったよ」


「なあに、その感想」


「いや、オレ自身の反省っていうか。リュミエはすごいな。ずっと暮らしていた村を出るだけじゃなく、魔族のトップを倒して頭領になるなんて」


「待ちなさい、私のことは頭領と呼ばないで」


「へ?」


「嫌なのよ、その呼び方。いかにも武力集団のおさって感じで。だから私、臣下たちには"姫"と呼ぶよう徹底させているの。姫の方が柔らかい感じがするでしょう。魔族には王家や世襲なんてものはなく、代替わりは常に武力によって行われる。私が先代の頭領を倒したようにね。だから姫という言葉の裏に明確な実体はないのだけれど、それでも私、結構気に入っているの」


「なるほどねぇ……」


「ちゃんと言っておかないと、武骨な者たちは私のことを平気で親分だとか族長だとか大将だとか呼ぶんだから」


 やや興奮気味に話すリュミエは、流れ落ちた横髪を上品な仕草で耳に掛け直した。


 オレには後ろめたいような疑問がひとつある。少し考えて、それを言ってみることにした。


「リュミエが一度は苦渋の選択で出ていったこの村に、再び足を踏み入れることになった理由は……王国から逃げ延びたエリオスを囲うためか?」


 オレがエリオスを、追われる立場におとしいれてしまったせいか、と暗に問うているつもりだった。


 ふ、と彼女は優しく笑った。


「そんなわけないでしょう。もっと前から私はこの村にたびたび顔を出してる。村に入るときに私が唱えた魔法を覚えてる?」


「えっと、ノク……なんだっけ?」


宵鏡破ノクターナミラス。これは魔力を封じる魔法」


「魔力を、封じる……」


「そう。魔族の国の姫となった私のもとには、様々な情報がもたらされるようになったわ。そのひとつに、一部の魔族や王国の者が、ゼルトリアの存在を知り、見つけ出して支配下に置こうとしているという話が入った」


「不穏だな」


「ええ。だから私はゼルトリアにシールド魔法をかけた。それがあれば村は探知魔法にかからないし、人や魔族が偶然近くを通りかかっても、村の存在には気づけない。村に自由に出入りできるのは、村民だけ」


 彼女の口角が得意げに持ち上がる。なるほど、村全体を常にシールドで守り続けるなんて芸当、強大な魔力を持つ彼女以外にはできないのかもしれない。


「そのシールド魔法に穴を開けられるのが、魔力を封じる宵鏡破ノクターナミラスよ。私はいつも村へ入るとき、宵鏡破ノクターナミラスでシールドに穴を開けると同時に自らの魔力を封じている。だから今の私はみんなに悪影響を与えない。魔力の弱かった子どものころみたいに、一緒に遊ぶことも、語り合うことも、食事を共にすることも――」


 リュミエは不意に立ち上がり、ベッドの方へ歩いてきた。その微笑みの意図をオレは読み切れない。


 彼女はベッドに腰を下ろすと、掛布団から飛び出たオレの手に自らの手を重ねた。彼女の手は、どきりとするほど熱かった。


「人間であるあなたと、こうして触れ合うこともできるのよ、睡蓮」

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