ゼルトリアの村の中心通りを、リュミエが先導し、エリオスがオレを背負って歩く。西の空をオレンジ色に焦がす光が木造りの家屋やここに生活する人々を優しく照らしている。家々から漂う夕飯の香りや、食事の準備で食器類のカチャカチャ鳴る音が、懐かしい原風景を想起させる。
「ああ、リュミちゃん。来てたのね」
ちょうど戸口に出てきたふっくらとした人間の女が、リュミエを見て笑顔で歩み寄る。しかしその笑顔は一転、後ろを歩くエリオスと、彼に背にいるオレの姿を見て曇った。
「なに、その子、具合が悪いの? 大丈夫?」
「出血しているから、グランツ先生に診せたくて」
リュミエの端的な答えに、女はさらに顔色を変えた。そして矢継ぎ早に話しながら追い払うようなジェスチャーをする。
「大変! 早く行きなさい。夕飯は? 食べるわよね? あとで診療所に持っていくからね」
女に急げ急げと追い立てられて、もともと遅くもなかったリュミエとエリオスの歩みが駆け足程度にまで早まる。当のオレ自身はそれほど激しい痛みもなく、命の危機も感じていないため、他人事のような気分で、姫と勇者のドギマギするさまを見ていた。
道中、村人から次々と声がかかる。
「リュミエ、お帰り。久しぶりだな」
「リュミエおねえちゃん、あたし浮遊魔法が使えるようになったの」
「リュミ嬢、急ぐのか? じゃあ帰りに寄っていけよ?」
「リュミィ、新作のケーキ、今度食べに来てね」
どの村民からも、リュミエに対する親しみと一定以上の尊敬が感じられた。その光景に、オレは王都で民に囲まれ、笑顔で花や食べ物を受け取っていたエリオスの姿を思い出す。
彼らは似ているのだと思った。共に信念を持ち、守りたいものがあり、守るべく行動している。異なるのはもしかすると、人間か魔族かという点くらいかもしれない。
「お兄ちゃん!」
聞き覚えのある声がして、俺はエリオスのうなじに預けていた頭を上げた。ノアだった。
駆け寄ってきたノアもエリオスの背にいるオレに気づいたらしく、「睡蓮さん……?」と不安げな声を上げた。そのノアを、エリオスが大丈夫だからと宥め、家に戻るよう促す。
「よかった。ノアも連れ出せたんだな」
囁くくらいの声量でオレが言うと、エリオスも静かに答えた。
「ああ。リュミエ殿の影の魔法でなんとか連れ出してもらった。さっき俺を呼び出したあれだ。リュミエ殿には、魔法の射程距離まで王都に近づいてもらう必要があり、追手がまだ王都付近を捜索する中、大変な苦労を掛けてしまったが」
それでもリュミエ殿は俺の頼みを二つ返事で引き受けてくれた、と語るエリオスの声はあくまで淡々としていたが、奥底には確かに、思うところがあるようだった。
やがてオレたちは、村の奥まった場所に建つ二階建ての家にたどり着いた。リュミエが木戸をノックすると、中から三十代ほどの男が現れる。無精ひげと切れ長の目が鋭さを湛え、厚みのある大きな手がドアノブを掴んでいる。その眼差しがオレに向けられるや否や、男は一言だけ短く放つ。
「急いでベッドへ寝かせろ」
診療所内の待合室を抜けて診察室に入り、エリオスはオレをベッドの上に慎重に横たえた。男はすぐにそばに腰かけ、オレの血濡れた衣服をハサミで切り開くと、
「この傷は……いつできた?」
「四日前よ」
リュミエが答えた。「ただし、傷の経過状態としては四日後ではないかもしれない。彼には特殊な事情があるの」
「その事情について聞くことは、治療上必要か?」
「いいえ」
「ならば聞くまい。すぐに治療を始める」
男は俺の左肩から右わき腹にかけての傷に何度か手をかざすと、やがて目を閉じて、合唱のポーズで詠唱を始めた。リュミエの唱える呪文の比ではないほど長く、唱え方も口の中でぶつぶつと呟くような感じのため、何を言っているのかは聞き取れない。
そのうちにオレの全身は淡い黄色の光に包まれた。生温かいゼリーの中に沈んでいるような肌触りで、刀傷の部分だけが、熱くて耐えられない数歩手前くらいの温度で発熱している。切られた細胞と細胞の隙間を、熱いゼリーが埋めている感覚。
その状態のまま、一時間はゆうに経ったと思う。詠唱を終えてオレを光の
男は閉じていた目を開けて、オレを目玉だけで見下ろすと、釘を刺すように言った。
「傷は
首を動かして刀傷の場所を見てみると、そこには傷跡ひとつない滑らかな肌があった。ただし男の言うとおり、鈍い痛みこそ消えてはいるが、皮膚の奥に違和感は残っている。
待合室にいたらしいリュミエとエリオスが入ってきて、エリオスが男に支持されるままオレを横抱きに抱き上げ――顔から火が出るかと思った――二階の入院患者用個室へと運んだ。診療用のベッドとは異なる柔らかな寝心地にふっと肩の緊張が和らぐ。
個室はベッドの他、窓際に机と椅子があるだけの簡素な部屋だった。
まもなく、用事があると言って男が出ていき、エリオスがノアの様子を見に行くと言って出ていくと、室内にはオレとリュミエの二人だけとなった。
窓辺の椅子に腰かけて、開け放った窓から外を眺める彼女の目には、何が映っていたのだろう。白いリネンのシャツと藍色のロングスカートに身を包み、村娘のようになった彼女の
「なあ。ここはお前の故郷だって言ったよな。親とかキョウダイとかが、この村にいるのか?」
リュミエは長い髪を揺らしてゆっくりとオレを振り向いた。逆光になり、彼女の表情が灰色の影の中に沈む。
窓の外では、幼い子どものキャッキャとはしゃぐ声が響いていた。