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第14話:事実はひとつ、真実は無限大

 飛鷹ひだかさんの小説の内容。


 タイトル「記憶チップは語らない」


 未来都市「シティ・オメガ」では、全市民が脳に「記憶チップ」を埋め込まれ、政府により思考と記憶が管理されていた。この犯罪など起こりえない完璧な秩序の中で、政府最高監視官カミヤ・レイが自室で死体となって発見される。彼の記憶チップは完全に消去されており、唯一の手掛かりは、彼が死の直前に匿名で送ったとされる「この中に裏切り者がいる」というメッセージ。


 特別捜査官ミナト・シズカは犯人捜しを命じられるが、捜査を進めていく中で、自分自身の記憶が改ざんされている事実に気づく。シズカは過去にカミヤの違法な記憶操作計画を政府上層部に報告したが、上層部がカミヤと共謀していたことから、逆に記憶を改ざんされ「忠実な捜査官」にされていたのだった。


 そして、殺されたはずのカミヤは実は生きており、殺人事件はカミヤが組織内の裏切り者をあぶり出すための自作自演だったことが判明する。つまりシズカは、過去に自身の記憶を改ざんしたカミヤの策略によって知らず知らずのうちに、カミヤ側の裏切り者を見つけ出す補助をさせられていた。


 全てを知ったシズカは、カミヤによって再び記憶を改ざんされるか、カミヤ側につくかの選択を迫られる。しかし彼女は相棒のアオイ・ナナと協力し、記憶操作システムをハッキング。全市民の記憶は一斉に解放され、シティ・オメガは無秩序に陥るが、シズカは「真実を失わない自由」を選ぶのだった。








 昼下がりの大学の食堂は、今日が日曜ということもあり静かだった。焼き魚がメインのB定食を携えたオレは窓際の二人席に腰掛け、スマホ画面を眺めながら飛鷹さんを待っていた。


 間もなくして、対面の席にナポリタンとセルフサービスの緑茶が乗ったトレイが置かれる。


「待たせたな、睡蓮」


「いいえ、そんなにです」


 飛鷹さんは席に腰を下ろすと、さっそく目を輝かせた。


「それで、どうだ? 今回のプロット」


 オレは少し迷った後、正直に答えた。


「面白いと思います。でも、飛鷹さんの作品にしてはSFチックなエンタメ寄りで、ちょっと驚きました。飛鷹さんっていつも、現代を舞台にしたゴリゴリの純文学を書くでしょう?」


「まあ、少し冒険してみたんだ。どうだろ。俺には合わないかな?」


「そんなことないと思います。むしろ、純文学で培われた基盤があるから、少し崩したエンタメでも、プロットに整合性があるっていうか」


「はは。そんな風に言われると、ちょっと自信出る」


 飛鷹さんは照れ隠しのようにナポリタンをフォークに巻いて一口食べた。その動作はどこか優雅で、彼の洗練された雰囲気に合っている。文学部の所属で小説家をこころざしているというと、人によっては芋っぽい本の虫をイメージするかもしれないが、彼のプロフィールを文字面もじづらだけで見た人は、実際会ってみて、そのギャップに驚くことだろう。


 明るい栗色の髪、親しみやすい気さくな口調、そこへ文学に裏打ちされた知性が加わるのだから、男女問わずモテないわけがない。いや、変な意味でなく人としてだ。


 南青山のオープンテラスでカプチーノでも飲んでいそうな容貌なのに、コンビニコーヒーばかり買っているところもオレからすると好感が持てる。今日も今日とて、彼が指定してきたのは大学周辺のレストランやカフェではなく、ワンコインでランチの食べられる食堂だ。


 オレも箸をとり、付け合わせのひじきの煮物を口に運ぶ。


 文学部の飛鷹さんと社会学部のオレは、大学のサブカル同好会で知り合った。漫画、小説、映画など好きなサブカルを好きに語り、好きに創作するという趣旨の同好会だ。通称サ会。


 入会するのに特に熱い思いはなく、入学式後の構内で大勢の先輩たちから怒涛の如くサークルの勧誘チラシを渡される中、「部室を漫喫代わりにできるよ」のひと言で即決した。


 かくしてオレは大学内に時間を潰せる居場所を見つけ、その場所代に、読み専・観る専として制作者たちの作品にコメントを返すようになった。とはいえこれも強制ではないため、あくまでオレの気が向いたときだけの仕事だ。


 もとより、怠惰と知れているオレにコメントを求めてくるメンバーは少ない。飛鷹さんはそういう意味では、少し変わっている。


 メインの焼き魚の骨を箸で取りながらオレは言う。


「捜査官シズカの記憶が改ざんされていることで、彼女の捜査結果に信憑性がなくなるっていうのが、すごく斬新だと思いました。それに、この世界では他の人の記憶も改ざんされている可能性があって、証言やアリバイが全く信頼できない。王道の推理小説ミステリでは、まずやらない設定ですよね」


 飛鷹さんは嬉々として頷き、緑茶をひと口飲んだ。


「そこが今回の挑戦なんだ。推理小説ミステリの鉄則のひとつとして、『読者に対し、推理に必要な情報を提示すること』がある。でも今回は、その推理に必要な情報を不確かなものにすることで、情報提示の前提を根底から崩してみたかったんだ。記憶すら信じられない世界で、どうやって"事実"に辿り着けるのか。それを描くことで、人間の記憶と"真実"の曖昧さに踏み込みたい。だからその意味では確かに、睡蓮の言うとおりエンタメ寄りだな」


「なるほど。人間の記憶と"真実"の曖昧さ、ですか。"事実"ではなく、"真実"と言うんですね」


「お前ならわかるだろ。事実と真実は違う。事実とは、誰にとっても変わらない客観的なもの。真実とは、個人の解釈や視点によって形成される主観的なもの。俺とお前の真実は異なるかもしれないし、どちらも事実ではないかもしれない」


「ええ」


「事実と真実の使い分けは、推理小説ミステリに不可欠だ」


「そうですね。それにしても、終盤で実はカミヤが生きていて、殺人事件が裏切り者をあぶり出すための自作自演だったっていう、どんでん返しには驚きました。ご法度はっとスレスレじゃありません?」


「ちゃんと伏線は張るさ」


「まあ、それならいいんですけど」


 飛鷹さんは少し間を開けて言った。


「ところでさ、どうして今日は送ったプロット、すぐ読んでくれたんだ? いつも『気が向いたら』って言って、一週間ぐらい放置するのに」


「いや、それは……なんかすみません」


 痛い指摘にオレは、目を逸らす口実として白米を口に入れる。


「俺に用でもあったのか」


 それでも不愉快な素振りを微塵も見せず問うてくる一つ年上の先輩に、オレは『人間できてるなあ』と感心しつつ、本題に入ることにした。

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