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第10話:虜囚となった英雄

 鈍い頭痛と共に、オレはゆっくりと意識を取り戻した。瞼を上げると、ぼんやりと霞む視界の中、天井に吊るされた粗末なランプの光が揺れているのが見えた。


 ここは……どこだ?


 重たい体を無理やり動かし、オレは周囲を見回した。石造りの壁に囲まれた薄暗い部屋、湿った空気が肌に張りつき、遠くから水の滴る音が響いている。床にはわらが敷かれ、鉄格子の扉が唯一の出口らしい。


 すぐ隣の薄闇の中に、うずくまる影があった。


「エリ、オス……?」


 喉から絞り出された声は、自分でも驚くほどかすれていた。呼びかけると、うずくまった影が微かに動き、横顔が見えた。やはりエリオスだ。彼も同じように目を覚ましつつあるようだった。


 間もなくして、エリオスの薄い瞼が持ち上がり、おぼろげな青い瞳が現れた。それがゆるゆると動き、オレを捉える。


「睡蓮……ここは……」


 エリオスの声は弱々しい。顔色は悪く、額には汗が滲み、前髪が張りついている。


「エリオス、平気か?」


「……ああ」


 彼はゆっくりと上体を起こし、壁に寄りかかる。その目には怒りの炎と失望のうろが共存していた。


 そうだ。オレたちは間違いなく、国王にめられたのだ。


「くそっ。まさか、こんな形で捕まるなんて……」


 オレは歯を食いしばり、気だるい体を引き上げるように立ち上がった。足元がふらつくが、壁に手をついて何とかバランスを保つ。


「陛下は……俺たちが魔族と繋がっていると疑っていたんだ。あの昼食は、兵の損失なく俺たちを捕えるための罠だった。近衛兵だろうと衛兵だろうと、俺とまともにやり合えば無傷では済まなかっただろうからな」


「ああ。対魔族戦を何度も生き延びてきた屈強な勇者様にとって、ただの兵士なんぞ敵じゃないだろう。赤子の手をひねるより簡単に殺せる」


 エリオスがキッとオレを睨んだ。


「馬鹿言うな。人殺しはしない。何があったって」


「わかってるさ。悪い、冗談が過ぎた」


 怒りを言葉に表していても、エリオスの表情はちぐはぐなほど浮かない。彼は目を伏せて独り言のように呟いた。


「陛下は、どうしてわかったんだ。オレがリュミエの討伐ではなく、彼女との対話のために魔族の国ルクス=ノワールを訪れていたことを」


「どうだろう。あるとしたら……ルクス=ノワールに向かうときに後をつけられたんじゃないか?」


「そうかもしれないが、ならば何故後をつけようと考えたのか、そのきっかけがわからない。俺は十八のときに勇者に任命されて以来、常に単独で行動してきた。俺に同行するような兵もいなかったし、強い魔物に遭遇して手傷を負っても、助けに出てくる者などいなかったんだ。それがどうして今になって、後をつける者が現れる?」


 オレは、手傷負っても、と語る彼の言葉に胸を絞めつけられつつ、えて触れないようにした。


「確かに、不可解だな。そもそも、後をつけられたという推察が間違いの可能性もある。ただ言えることは、誰かがお前の言動に疑問を感じ、お前を探ったってことだ。探る方法は何も、ルクス=ノワールまでついていって現場を押さえるだけじゃない。お前の変化。僅かでもいい。何かひとつでも、魔族と繋がっている証拠を押さえられれば、その小さな疑惑だけでも捕らえる口実にはなる」


 エリオスは黙り込んだ。彼の顔に浮かぶ苦悩の表情が、その答えを物語っていた。


「……ノアだ」


「ノア? お前の妹の? そんなわけないだろう。何故あんな子どもが、たったひとりの家族である兄を密告する?」


「いや……」


「まさかお前、ノアにリュミエとのことを話したのか?」


「馬鹿言え、ノアどころか誰にも話しちゃいない。そうじゃない。違うんだ。ノア自身が意識的に密告したとは思わない。でも、あの子は俺がいない間、周りの大人に何かを話したかもしれない」


「何かって何だよ」


「例えば、討伐に行ったはずの兄が、戦闘服に泥ひとつつけず帰ってきた、とか」


「……マジか。それはあり得る」


 その時だった。鉄格子の向こうから足音が聞こえてきた。硬い靴音は石の床を叩き、徐々に近づいてくる。


 やがて暗闇の中から現れたのは、国王の側近だった。


「目が覚めたか、裏切り者ども」


 冷たく嘲るような声が牢内に響いた。側近は鉄格子越しにオレたちを見下ろし、薄く笑みを浮かべる。


「陛下がお前たちを処罰する決定を下された。勇者エリオス、お前は魔族に寝返った罪で絞首刑だ。そして睡蓮、お前はその共謀者として、同じく処刑される」


 側近の言葉に、オレたちは一瞬言葉を失った。だが、エリオスはすぐに怒りを込めて叫んだ。


「俺は魔族に寝返ったわけじゃない! 人間と魔族の和平のために――」


「黙れ!」


 側近は怒鳴り声でエリオスの言葉を遮った。


「お前たちの戯言に耳を貸す者などいない。勇者の称号は剥奪され、お前たちはただの反逆者として歴史に名を刻むのだ」


 その言葉を残し、側近は足音を響かせて去っていった。静寂が再び牢内を包み、オレたちはしばらく沈黙した。


 そして、示し合わせたようなタイミングでふと、互いの目が合った。


「エリオス……どうする?」


 オレの問いに、エリオスはゆっくりと頷いた。


「逃げるしかない。ここで終わるわけにはいかない」


 その瞬間、突如、オレの着ていた服の胸元の紋章が光り出した。驚いて見下ろすと、その光は卵大の玉となって浮かび上がり、やがて手のひらサイズの小さな魔獣へと姿を変えた。


 丸い体、ふわふわとした銀色の毛並みに、小さな羽。大きな紫色の瞳が愛らしく輝き、尻尾の先は星型になっている。その姿はどこか幻想的でありながら、親しみを感じさせるものだった。


「なんだ、こいつは……」


 オレが呆然としていると、魔獣は軽やかに宙を舞い、柔らかな声で囁いた。


「私はリュミエ様の忠実なるしもべ、ルゥナ。姫様の命で、いざという時のためにあなたに付いていました」


「リュミエの……?」


 オレとエリオスは、面食らって顔を見合わせた。ルゥナは小さな羽をぱたぱた羽ばたかせながら続けた。


「さあ、お二人。脱出する方法を一緒に考えましょう」

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