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第8話:勇者の真実

 夢の中で自分がどんな服装でいるかなんて、気にしたことがなかった。だからエリオスに着替えろと指示されて、ようやくオレは自分がなぜか高校時代の制服を着ていたことに気づいた。何故制服なのか、理由はわからない。ただ、あらゆる服の中で高校時代の制服を最も複数回着ていることは確かだった。


 オレは中庭の木の陰で、エリオスが持参したというアルカ=フェリダ王国の服を身にまとった。シンプルながらも上質な布地の服は、王国の紋章が胸元に刺繍されており、まるで囚人服だなと失礼ながら思った。


 準備を整えた後、オレたちはエリオスが乗ってきた白馬でアルカ=フェリダ王国の王都へと向かった。


 エリオスの後ろに乗せてもらい、彼の腹に腕を回すと、なるほど彼は選ばれし勇者らしく、鍛え抜かれた腹筋の若々しい弾力が感じられた。


 ネム=ファリアの夜はひっそりとした静けさに包まれており、月明かりが道を煌々《こうこう》と照らしている。周囲には背の高い黒樫くろがしの木々が生い茂り、その枝葉が風に揺れてかすかなさざめきを立てる。道端には夜露に濡れた草花がひっそりと咲き、木の葉の合間から射す淡い光に照らされて輝いて見えた。時折、遠くでフクロウの鳴き声が聞こえる。


 エリオスの背に身を預けながら、オレはこれから訪れる王国の光景を思い描いていた。異世界の王国とはどんなものだろうか。テレビゲームに出てくる定番のイメージしかない。ゲームのCPUではなく、生きた人々で構成された国。絶対的な権力を持つ国王が支配し、勇者エリオスが民衆から"正義の象徴"として崇められている場所。期待半分、不安半分といったところだ。


 夜明けが近づくころ、王都の外壁が視界に入ってきた。巨大な石造りの外壁は荘厳で、その上にはライムイエローの旗がひるがえっている。アルカ=フェリダ王国の紋章が描かれたその旗は、昇り始めた朝日に照らされて金色に輝いていた。城門の前には衛兵が立ち並び、遠目にははっきりとわからなかったが、接近してくる馬に警戒を強めた様子だった。


 しかし、馬上の人物がエリオスだと気づくと、衛兵たちは途端に歓待の表情を浮かべた。


「勇者エリオス様! お戻りになられたのですね!」


 エリオスは軽く頷き、馬を下りてオレに手を差し伸べた。さすがは白馬に乗るだけのことはある。金髪碧眼も相まって、まるで王子様だなと皮肉っぽく思いながら素直に彼の手を取る。


「エリオス様、その者は……」


 衛兵の一人が俺に不審げな目を向ける。オレはできるだけ胸元の紋章が見えるよう衛兵の方を向いた。


「あ、なんだ、うちの国民か」


「帰りの道中、道に迷った様子だったので乗せてきた。だよな、睡蓮」


「ああ。まあ、そうだな。助かったよ、エリオス」


 オレが答えると、衛兵は目を白黒させて慌てた。


「お、お前、勇者様を呼び捨てに……! 何たる無礼!」


「あ、いや、すみませんでした。道に迷ったせいで気が動転してしまって」


 衛兵を落ち着けるため、エリオスに軽く頭を下げる。


「エリオス様のおかげで大変助かりました。このご恩は一生忘れません」


 エリオスは何も言わなかったが、オレを見る目の奥が少し笑っていた。くそっ。なんでオレがこんな茶番を……!


 その後、衛兵たちのチェックを搔い潜ったよそ者のオレとエリオスは、城門をくぐり、城下町へ入った。早朝の光が石畳の道を照らし、店々の扉が開き始める中、エリオスは民衆に笑顔で迎えられていた。


「エリオス様、お帰りなさい」


「勇者様、お疲れ様です」


 子供たちが駆け寄り、大人たちは温かな視線を送る。エリオスはその一人一人に丁寧に応え、時折手を振ったり、肩を叩いたりしていた。市場の屋台からは、彼の労をねぎらい新鮮な果物や花が差し出される。エリオスの両腕はたちまち、民衆から半ば強引に渡される食料と花でいっぱいになった。


 その光景を見ながら、オレはエリオスの葛藤について考えた。この人々の期待と信頼を背負っている勇者が、魔族との和平を選ぶことがどれほど難しいか。名誉と正義の象徴として崇められる立場が、どれほどの重圧であるか。


 やがて、オレたちはエリオスの住む家にたどり着いた。質素だが手入れの行き届いた家で、木の扉を開けると、そこには少女が立っていた。歳は十歳前後で、長い金髪をおさげに結っている。


「お兄ちゃん、おかえり!」


 少女はエリオスに駆け寄り、その腕に飛び込んだ。エリオスは優しく彼女を抱きしめ、安心させるように背中を撫でた。


「睡蓮、紹介するよ。妹のノアだ」


 ノアはエリオスと同じ、大きな青い瞳でオレを見上げ、にっこりと微笑んだ。その無垢な笑顔に、オレは自分でも不器用だと自覚している笑みを返す。


「ノアと二人で暮らしているんだ」


「へえ。ご両親は?」


 言ったあと、言うべきではなかったとすぐに後悔した。


「五年前、俺が十五のときに殺された。……魔族の手によって」


 オレは馬鹿だ。


 小さなノアの頭が俯く。


 エリオスの口調は冷静だったが、その背後には深い悲しみと怒りが存在していた。ノアの頭を優しく撫でるエリオスの手は、守るべきものへの強い決意を表しているようだった。


 彼の事実を知ったオレは、エリオスが魔族たるリュミエを討とうとしていた理由の真実が見えた気がした。オレは思い違いをしていた。彼の正義はなにも、全部が全部、王国から植えつけられたものではなかったのだろう。両親の敵討ち、そして自分たちのような孤児を生まないため、それが彼の正義。王国の命は、ただそこに重なっただけなのではないか。


 オレの中に、葛藤が生まれた。リュミエを守りたいという思いと、両親を魔族に殺されたエリオスに、魔族との和平の橋渡しをさせていいのかという思い。


 五年前に十五歳だったということは、今現在は二十歳だろう。十九のオレとひとつしか変わらない。


 だというのにエリオスという男は、なんという暗い過去と重圧を背負っているのか。


 呆然と立ち尽くしたオレの手を、明るさを取り戻したノアが取り、ダイニングへと導く。


 鼻の奥がツンとした。 


 夢の中だっていうのに、なんて温かい手なんだろう。

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