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第3話:説得の方法

 昨夜と同じようにリュミエの住む魔族の城の近くに転移できる方法を考えた。子どものころ、見たい夢に関するものを枕の下に入れたことを思い出す。それにならって、昨夜の夢の内容を書いたページを開いたまま、夢日記を枕の下に滑り込ませる。


 現実世界とネム=ファリアは同じ速度で時間が経過しているわけではない。夜眠り、転移するごとに朝だったり昼だったり夜だったりと変わり、日付も数時間後だったり数日先だったりする。しかし、不思議なことに、時間を遡って数日前に転移することはない。常に、未来へと進んでいるのだ。


 目を閉じ、意識が薄れていく中で次第に景色が変わっていく――そしてオレは再びネム=ファリアに足を踏み入れた。


 今回は昼間だった。眩しい太陽が空高く輝き、魔族の城がその荘厳な姿を青空を背景に映し出している。漆黒の石で築かれた城壁は、昼の光に照らされてもなお威圧的な存在感を放っていた。城の周囲には不気味な植物が生い茂り、遠くからは魔族たちの会話や笑い声が聞こえてくる。昼間の魔族の世界は思いのほか賑やかで、どこか人間の世界と変わらない日常を想起させる。


 オレはリュミエに会うため、城へと向かった。しかし、武器も持たないただの人間であるオレが魔族の城へと近づくのは無謀だった。


 城門が視界に入った瞬間、鋭い視線を感じた。次の瞬間には、背後から強い力で腕を掴まれ、地面に押し倒された。


「何者だ」


 低く唸るような声が耳元で響く。地面に押さえつけられた体制のまま首だけで振り返ると、真っ黒な鎧を纏った魔族の衛兵がオレを睨みつけていた。その瞳は氷のように冷たく、容赦という言葉は存在しないようだった。


「待て、オレは――」


 言い訳をする暇もなく、オレは引きずられるようにして城門前の広場へと連れて行かれた。そこにはさらに数人の魔族の衛兵が待ち構えていた。彼らの手には鋭い槍が握られ、その穂先が、ひざまずかされたオレの喉元に突きつけられる。


「どこぞのスパイか? それとも、勇者の手先か?」


 一人の衛兵が冷酷な笑みを浮かべ、剣を抜いた。その刃が太陽の光を反射して煌めく。


「違う! オレはただ――」


「嘘を吐かれてもつまらん。手っ取り早く体に聞いてやろう」


 言葉を最後まで発する前に、衛兵が剣を振り上げた。


 オレは咄嗟に、夢から脱出するいつもの手順のために目を閉じた。


「やめなさい」


 凛とした声が響く。


 全員の動きが止まる気配を感じた。目を開けて声のした方を見ると、城門の奥にリュミエ・ノワルが立っていた。


 彼女は優雅な足取りで近づいてきた。その姿は昼間の太陽のもとにあってもまるで夜の女王のように気高く、美しかった。からすの濡れ羽色をしたドレスが揺れて、紅玉の瞳が鋭く光っている。


「この者から手を離しなさい」


 その一言でオレは解放され、魔族の衛兵たちは即座に剣を引いた。誰もが彼女の命令に逆らうことなく、一歩下がった。


 リュミエは跪いたままのオレを見下ろし、冷静な声で言った。


「あなた、また来たのね」


 その声には驚きも警戒もなかった。むしろ、どこか懐かしさすら感じる。


「ああ。話があるんだ」


 オレは全身についた土を払い、立ち上がりながら答える。


 相対してみると、当然というか、男のオレの方が十センチほど背は高かったが、リュミエのまとう王者の威圧感がその身長差を感じさせなかった。深紅の瞳が吸い込まれそうに美しいのはそのままだが、夜には漆黒に見えた髪が、日のもとでは漆黒に近い深紫だとわかる。あい反して、肌は透き通るように白い。魔族の年齢はわからないが、人間でいうと十八歳前後の見た目をしている。


 文句のつけどころのない美少女だ。


 リュミエはオレを静かに見つめた後、口元に僅かな笑みを浮かべた。


「ここでは落ち着かないでしょう。中へいらっしゃい」


 踵を返すリュミエの背中を、オレは迷わず追いかけた。




 城の内部は外観の冷たい雰囲気とは対照的に、温かみのある装飾で彩られていた。高い天井には美しいシャンデリアが輝き、壁には歴代の当主であろう魔族の肖像画が並んでいる。絨毯は深紅の色合いで、足元に柔らかな感触を与えた。


 廊下を進む間、魔族たちがこちらを不思議そうに見つめていた。人間がこの城内にいることは異例のことなのだろう。だが、リュミエの存在が彼らの疑念を抑え込んでいるようだった。


 やがて、リュミエは大きな二重扉の前で立ち止まった。


 扉が内側から静かに開かれると、中には豪華な家具が並べられていた。中央には大理石のテーブル、その周囲には深い緑色のビロードで覆われたソファが配置されている。窓から差し込む陽光が室内を優しく照らし出し、重厚な雰囲気の中にも安らぎを感じさせた。


「座って」


 リュミエの声に促され、オレはソファに腰を下ろした。彼女も向かいの席に静かに座り、その紅玉の瞳でオレを見つめた。


「それで、話というのは?」


 オレは深呼吸してから切り出した。


「王国と魔族との関係性の歴史を知りたい。リュミエ、お前が勇者に狙われるのは魔族だからってだけで、具体的な理由がないだろう」


 リュミエは少し目を細めた。


「どうしてそう思うのかしら。まるで私のことを知っているかのような口ぶりね」


「それは……いや、今は理由は聞かないでくれ。とにかく、王国が魔族を"悪"として扱うのは、単にその方が都合がいいからかもしれないってことを言いたい。そう感じたことはないか?」


 リュミエはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。


「……ネム=ファリアの歴史は、アルカ=フェリダ王国と我々魔族の国、ルクス=ノワールの血で染まっているわ。千年以上も前から、我々は争い続けてきた。最初の頃は単なる領土争いだったけれど、次第にそれは信仰や存在そのものへの憎悪に変わっていったの」


 リュミエの声には重みがあった。その瞳の奥には、長い歴史の中で受け継がれてきた苦しみが宿っている。


「アルカ=フェリダ王国は、魔族が人間の脅威であると宣伝してきた。でも、それは真実の一部に過ぎない。実際には、私たちは平和に共存する道を模索していた時期もあったのよ。何世代か前、王国とルクス=ノワールの間で和平交渉が進んだこともあった。でも、それを望まない者たちが常にいて、戦いを煽り続けたの」


「望まない者たちって?」


「王国の中には、戦争によって利益を得る貴族や軍の幹部がいたわ。魔族を脅威として描き続けることで、自分たちの権力を維持できるから。民衆も恐怖を植えつけられれば、簡単に操作される。そして魔族の中にも、同じように人間を憎み、戦いを正当化する者たちがいた」


「……つまり、どっちもどっちってことか」


「ええ。でも、私はその連鎖を断ち切りたいの。争いを終わらせるために」


 その時、扉がノックされ、家臣の一人が静かに部屋に入ってきた。


「姫様、報告があります。勇者エリオスが城の付近に現れたとのことです」


 リュミエの表情が一瞬硬くなったが、すぐに冷静さを取り戻した。


「……わかったわ。準備を」


 家臣が頭を下げて退室すると、リュミエはオレに視線を戻した。


「エリオスはアルカ=フェリダ王国の王直属の勇者で、王の命令には絶対に逆らえない立場にいるわ。でも、それだけじゃない。彼は王国の民衆にとって『魔族を討つ英雄』であり、正義そのものの象徴として崇められているの。子どもたちは彼の勇敢な物語を夢見て、兵士たちは彼の姿を模範としている。エリオスの一挙手一投足が、民衆の信じる正義を形作っているのよ。だから、もし彼が私を討つのをやめれば、それは単なる一人の決断にとどまらず、王国全体の価値観や歴史観にまで影響を与える大きな変革になるわ」


「……なるほど。エリオスを説得できれば、王国全体に影響を与えられるってことか。だったら、その方法を現実世界で探してみるよ」


 その瞬間、視界が揺らいだ。


 目が覚めると、オレは自分のベッドの上にいた。天井の染みをぼんやりと眺めながら、頭の中を整理する。リュミエとの会話、エリオスの存在――どれもがただの夢とは思えないほど鮮明だった。


 オレは枕の下に敷いていた夢日記を取り出し、夢の内容を細かく書き留めた。リュミエの話した歴史、王国と魔族の関係の変遷、エリオスが王国と民衆に与える影響……全てが重要な情報だ。


「勇者エリオス。お前の心を変えるにはどうすれば……」


 オレは夢日記とペンを置き、スマホを手に取った。まずは現実世界の歴史における類似の事例を探してみるか。異民族間の和平交渉の失敗、宗教戦争の裏に潜む権力争い、英雄が民衆に与える影響――これらの情報がエリオスを説得する材料になるかもしれない。


 スマホでいくつかのキーワードを検索し、関連する論文や記事を読み漁る。だが、ネットの情報だけでは限界があると感じた。


 情報だけ得ても、具体的に自分の行動としてどうすればよいのか思い浮かばないのだ。


 しかし手応えもないままオレは、惰性でネットを漁り続けた。そしてとある論文の中で、オレの所属する大学の心理学教授の名を見つけた。


 心理学。それも必要かもしれない。人の心の動かし方。その方法論をオレは知らない。エリオスのように信念を持った人間を心変わりさせるためには、単なる理屈だけでは不十分だろう。心理的なアプローチを理解する必要がある。


 急いで身支度を整え、家を飛び出した。外の空気は刺すように冷たく、今が寒さ厳しい現実世界の一月下旬であることをまざまざと実感させられる。それでも、心の中にはネム=ファリアの青空に映える漆黒の城が鮮明に焼きついていた。


「待ってろよ、エリオス。オレがお前を変えてやる」


 オレはそう心の中で誓いながら、大学へと足を速めた。

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