主は仰せられた……。
復讐するは我にあり、我これを報いん……。
新約聖書『ローマ人への手紙・第12章第19節』より……。
(雪か……チクショウ…あの時も雪が降っていやがった……)俺は雪が嫌いだ。痛くて冷たい…まるで死を連想させるからだ……。
俺はアラスカにあるレッドストーン・ヒルという小さな町にやって来た。この町も、一昔前は金鉱ブームに湧いていたが、山賊の襲撃を受けて金を根こそぎ取り尽くされてしまい、一攫千金を夢見てやって来た人間達は次々と出て行き、今では十数人程しか住んでいない寂れた町と化した、という話だ。
身体が冷えた馬を暖めようと、俺は湯を貰いに酒場へとやってきた。酒場には50近いであろう頭の禿げ上がった無愛想なバーテンダーと、黄ばんだドレスを着た厚化粧の中年女、東洋人らしきピアノ弾き、トランプをやっている男3人、そして、左足が義足の飲んだくれた爺さんがいた。
爺さんはバーボンをガブ飲みしながら、「ハハッ!見ろ!お客様だぜ!おいチー、盛大に奏でてやれ!ハハァッ!!」と、ピアノ弾きに言った。ピアノ弾きはニタリと笑い、さっきまで弾いていた暗く陰気な音楽とは打って変わり、陽気で軽快なメロディを奏で始めた。
カウンターの方へ向かうと、女が椅子から立ち上がって寄って来た。
「うふっ。あんた、良い男だねぇ。一杯奢ってくれない?」
色気で誘ってくる女を俺は無視する。
「…オヤジ、湯をくれ。馬に飲ませるんだ」
「ねぇあんた、一杯ぐらい良いだろ?たっぷりサービスしてあげるからさぁ…」
俺は艶めかしく触ってくる女の手を払った。
「早くしろオヤジ」
「…へい、少々お待ちを……」
女は舌打ちし、後ろのテーブル席の椅子にどかっと座り込んだ。
「ハハハハッ!!残念だったなアリス。どうやらこの若いのは、お前さんみたいな女には興味ねぇみてぇだな。ヘヘヘヘ!」義足を引き摺りながら爺さんがやって来た。「えぇ?女が駄目なら、わしと一緒に酒でもどうだ?」
「おい風来坊さんよ!」トランプをしていた男の1人が声をかけた。「その爺さんとは関わらない方が良いぜ!しけた昔話を聞かされちまうぞ!」
「あぁ、せっかくの酒も不味くなっちまうぜ!ハハハハハハハ!!」3人の男は爺さんを嘲笑った。
「うるせぇ!てめぇらは大人しくポーカーをしてろってんだ!!なぁ良いだろ?付き合ってくれよぉ。それともあの馬鹿どもとカード遊びでもやるか?えぇ?ヘヘヘヘ」
俺は爺さんを無視し、外で待っている馬に湯を飲ませた。
「ヘヘっ、愛想の悪い客人だな。そんなんじゃ誰からも嫌われちまうぜ?」
「…馬屋はどこにある?」俺は爺さんに尋ねた。
「あぁこの先の、東側の街境にあるよ。わしの馬屋だ。貸してほしけりゃ、わしと一杯付き合え。へっへっへっへっヘっ」
俺は馬を馬屋の預け、爺さんと仕方なく一緒にバーボンを飲んだ。
「さぁ乾杯だ!ヘヘヘヘヘヘっ!」
老人は瓶ごとバーボンを口の中へと流し込んだ。
「ウッ!ゲホッゲホッ!…ヘヘヘヘ……あぁ、寒い日にゃこいつが一番だ」
俺もショットグラスに注がれたバーボンを一気に飲んだ。
「ほほぉ!いける口かお前さん!!こいつは結構だ!!ハハハハァ!!さぁさぁどんどん飲め!!」爺さんはそう言って、また俺のショットグラスにバーボンを注いだ。
「ハハッ、こいつを飲んでいる間は、どんなに嫌な事でも楽に話せる…女房が死んだ事…息子が死んだ事…それから、コイツさ」と、爺さんは義足を俺に見せて言った。「北軍にやられたのさ……。やったのは若い奴だった…まだ15、6歳の子供だった……。そいつはわしの左足をライフルで撃ち抜きやがってよ…ヘヘッ…しかし、わしは撃てなかった……」
「何故だ?」
「フッ、若いお前さんには分からんか……。あの時の事は、今でもはっきり覚えているよ…。あいつの目は…ありゃ忘れられねぇ……あの目は…復讐に満ちた鋭い目をしていやがった…。まるでわしを、親の仇かなんかのようによ…。そんな目でわしを睨みつけながら近づいて、弾をもう一発食らわそうとしたんだ。わしはもう駄目かと思ったが、運良く近くにいた仲間の兵士が坊主を撃ち殺して、わしはどうにか助かった。だが、この義足を見る度に、わしはあの坊主の目を思い出しちまう……。それからわしは、戦争が終わると同時に女房と息子を連れてこの町に来た。人生をやり直そうと思ったのさ。けっ!ところが金に目を付けた山賊どもがやって来やがった。奴らは金だけでなく、女房と息子の命まで奪いやがった……。それ以来わしの心の拠り所は、酒だけになっちまった…。まるで祟られちまったみてぇだよ…」と、爺さんは瓶の中のバーボンを飲み干した。「おいサム!もう一本くれ!!ウイィッ、またツケにしといてくれぇ!」
「いつまでツケを溜めておく気だよ」
「へっ!ケチくさい事言うなって!わしはこの店の常連だぞ!?」
「フンッ、あんたが来ると何時かこの店は潰れちまうよ」バーテンダーは不機嫌そうにそう言って、バーボンを出した。
「若いの。名はなんて言うんだ?」
「…クリント・ジャックマン」
「わしはドナルド・クリーフだ。よろしくな。ヘヘヘヘ…ところでだクリント、一体何しにこんな街に来たんだ?へっ、まさか金欲しさに来たわけじゃあるまいて…」
「……人を探しに来た」と、俺は答えた。「この町にリチャード・サンダースって賞金稼ぎが来ていると聞いたが…いるのか?」
「あぁいるよ。あいつも可哀想な奴だよ」
「どういう意味だ?」
「サンダースは、女房と生まれたばかりの赤ん坊を連れてテキサスの町にやって来た。けれどその町に、度々南軍くずれどもがやって来て好き放題暴れまわっている事を知った。サンダースは町を守るために戦って、南軍くずれどもをやっつけた。そして、若くしてその町の保安官に選ばれた」
「どうしてそんな事知ってるんだ?」
「聞いたからさ。こうしてお前さんと同じように酒を交わしたら、色々と話してくれたよ」と言って、爺さんはサンダースの話を続けて俺に聞かせた。「町の英雄になったサンダースだったが…ある夜、生き残った南軍くずれの子分が家に忍び込んで襲い掛かった。女房は撃ち殺され、赤ん坊の息子は攫われた。奇跡的にも急所が外れて助かったサンダースは、保安官をやめて町を去り、賞金稼ぎになった。お尋ね者には容赦ない冷血な男と言われたが、その実は行方不明の息子を探し求める哀れな父親ってわけさ」
(フンッ、哀れな父親だと?)俺は心の中で嘲笑した。
「そしてある日、サンダースはやっと自分の息子を攫った悪党を見つけ出した。そして1対1の決闘に勝って、息子の居場所を聞き出そうとしたが……はぁ…残念ながら…息子は死んだそうだ……」
「つまり、今迄の旅が無駄に終わったってわけだな」
「気の毒にな…。サンダースは何故息子を攫ったのかを問いただした。するとそいつは、『お前は俺の息子を殺した』って言ったそうだ」
「息子?」
「そうだ…奴にも一人息子がいたんだ……。まだ17歳だったそうだよ。戦争で何もかも失ったそいつら親子は、戦後の混乱期を生き抜くために盗人の一味に成り下がっちまったんだな…」
「サンダースは、そいつの息子を殺したって事か?」
「あぁ…そうとは知らずにな。だから代わりに、サンダースから赤ん坊を奪って、自分の息子として育ててたんだろうな……」
「なんで憎んだ奴の子供なんかを育てられたんだ?俺には分からねぇな…」
「へへっ、お前さんもいつか子供を持てば分かるかもしれねぇよ。とにかくだ。酷くショックを受けたサンダースは、10年間あてもなく旅をして…流れ流れてこの町にやって来たって…ま、そういう事だそうだ」
こうして爺さんからリチャード・サンダースの経緯を聞かされたが、そんな事は俺にはどうでもいい話だった。
「サンダースはどこにいる?」
「ひっく…あぁ…、この酒場の向かいにあるホテルに泊まっているよ。静かで人気の少ないこの町で余生を過ごすかどうか、考えてるみたいだぜ。へへっ」
サンダースの居場所を聞いた俺は、酒代の25セントを払ってホテルに向かおうとしたが、「おい待ちな若いの!」と、爺さんが引き止めた。「あいつに一体何の用なんだ?」
「……あんたには関係のない事だ」
「もし殺しが目的ならば、やめた方が良いぞ。殺しの先にあるのは、憎しみだけだ。殺しが憎しみを生み、そしてまた殺しが始まって、新たな憎しみが生まれる…そうして復讐の連鎖が何度も何度も繰り返されて、やがては自分自身を壊しちまうんだ…これみたいにな…」と、爺さんはショットグラスを落とした。割れたショットグラスの破片が床中に飛び散った。「ガラスは一度割れちまったら、もう二度とは戻らねぇ……。死だよ。外を見てみろ…みんなあの雪みてぇになっちまうんだ。真っ白で…冷たい雪みてぇにな……」
「……言いたい事はそれだけか?」
「フッ、それじゃもう一つ。サンダースを殺すのは容易じゃないぞ?3日前に山賊が10人くらいやって来たが、今そいつらはぐっすりおねんねしてるよ。墓地でな…ヘヘヘヘ」
「……グラスをくれ」俺はバーテンダーからショットグラスを一つ貰うと、それを宙に放り投げた。右腰のホルスターから拳銃を抜き取り、ショットグラスを撃った。そして更に飛び散る破片を撃ち抜いて粉々にした。みんなは黙り込んだまま俺を見ていた。
「…悪いな爺さん。俺は目的を果たさなくちゃならねぇんだ」
「今迄の話を聞いてりゃあ……ちっとは分かってくれると思ったんだがな……」
俺は酒場から出て、リチャード・サンダースが泊っているホテルへと向かった。
ホテルに着くと、受付のベルを鳴らした。パジャマ姿のホテルの主人が、蠟燭を持って奥の部屋から現れた。
「あぁ…お泊りですか?」
「リチャード・サンダースという客が泊ってるだろ。どの部屋にいる?」
「一体何なんですかこんな夜遅くに…」
俺は主人の胸ぐらを掴んだ。
「余計な事は聞かずにさっさと答えろ!どの部屋だ?」
「に…2階です…。この上の…202号室…真ん中の部屋ですよ…!」
俺は奴のいる部屋を聞き出した。だが俺は部屋にはいかない。寝ている間に撃ち殺すという方法もあるが、俺はそんな卑怯な悪党じみた事はしない。ホテルの外に出た俺は、202号室の部屋の窓ガラスに向けて銃は放った。銃声とガラスの割れる音が静かな夜の町に響き渡った。
「サンダース!!聞こえるか!!俺はきさまをずっと探し続けて来たんだ!!降りてこい!!降りてきて勝負しろ!!1対1の勝負だ!!」
俺はこの時が来るのをずっと待っていた……。そう…俺がこの町にやって来たのは、ある復讐を果たすためだ。
俺はオハイオ州の片田舎で、父・ビリーと暮らしていた。元南軍だった父さんは戦場で片目を失い、戦争終結後も苦しい生活を送り続けながらも、身籠った母さんのために必死で働いたそうだ。そして苦労の末、父さんは小さな牧場を買って新しい生活を始めた。ところが母さんは、俺が生まれて間もなくこの世を去ってしまったそうだ…。それから父さんは、男手一人で俺を育ててくれた。父さんは…俺のたった一人の家族だったんだ……。だが、俺が14歳の頃だ…。その日、俺は酒と食料を買いに町に行っていた。そして、買い物から帰ってきた俺が目にしたのは…家の前で倒れている父さんだった。
『父さん……?父さん!!』
俺は慌てて馬から降りて駆け寄った。父さんは左胸を撃たれていた。
『父さん!誰が!!誰がこんな事を!!』
『……リ…リチャード…サンダース……』父さんは襲った奴の名を言い残して、息を引き取った…。
泣き叫ぶ俺を嘲笑うかのように、痛くて冷たい雪が滾々と降り注いだ。俺は雪を見て誓った。父さんの仇を討つと…父さんを殺した、リチャード・サンダースに必ず復讐してやると…。
しばらくすると、ホテルから50過ぎくらいの男が現れた。サンダースだ。
「リチャード・サンダースだな」
「…そうだ。俺に用か?」
「親父の仇を討たせてもらうぞ!」
「親父の仇?」
「きさまは俺の親父を殺した!」
「…なんて名だ若造」
「クリント・ジャックマン!」
「!…ジャックマン!?」
「そうだ!俺はビリー・ジャックマンの息子だ!!」
俺はサンダースにゆっくりと近づくと、懐からロケットペンダントを取り出し、その中に入っている写真を見せた。
「これは俺のおふくろだ。おふくろは俺を生んですぐに死んだんだ。親父は死んだおふくろの分まで俺を愛し、養ってくれたんだ!」俺はサンダースを睨みつけながらゆっくりと下がった。「きさまが何故親父を殺したかは知らんが、そんな事はどうでもいい!俺はきさまが憎い!……俺の親父を…俺の大切な父さんを…虫けらみたいに殺したきさまが!!」
「……ジョニー」サンダースが右手を上げた瞬間に、俺の弾丸が奴の左胸を貫いた。
サンダースはぐったりと倒れ込んだ。雪が血で染まっていくのを見て、俺はついに復讐を成し遂げたのだと実感した。すると、サンダースは側で見下ろす俺に言った。
「…ジ、ジョニー……生きていたのか…!」
「ジョニー?誰だそいつは」
サンダースは、震える手でポケットからロケットを取り出し中の写真を見せた。それは、赤ん坊の俺を抱いている母さんの写真、俺の持っているのと全く同じ写真だった。
「!!…どうして……どうしてきさまがその写真を!!」
「……お前は…ジョニー・サンダース……。お……俺の…息子だ……ジョニー……」そう言って、サンダースは息絶えた。
サンダースの最期の言葉に、俺は愕然と立ち尽くした。そして、爺さんから聞いた話を思い出し、ようやく事の次第を理解した。攫われた赤ん坊というのは、この俺だったんだと…。
残酷な真実を知ってしまった俺は、目の前で死んでいる本当の父親を見て、ショックのあまりに膝から崩れ落ちた……。右手に握られている拳銃に目をやると、弾丸があと1発残っているのに気が付いた。俺は震える右手で銃口を自分の頭に突きつけ、撃鉄を下ろした……。
だがその時、誰かの手が拳銃を握った俺の手にそっと触れた。ドナルド爺さんだった。その隣には、この町の保安官が立っていた。爺さんは俺を優しく見つめながら、首を左右に振った。俺は銃を捨てて、爺さんに聞いた。
「…俺には分からねぇんだ……。どうして父さんは…俺を育ててくれた父さんは……なぜ俺も殺さなかったんだ……なんで俺なんかを育てたんだ……!俺も殺してくれてれば…こんな事にならずに済んだのに……」
「……子供を持った人間は、子供を殺すなんて出来ねぇのさ…」爺さんはサンダース…いや、父さんを見て、「…ここは冷える……一緒に連れてってやれ…」と言った。
「さぁ、立つんだ。クリント・ジャックマン」保安官にそう言われ、俺は立ち上がって答えた。
「……俺の名は…ジョニー・サンダースだ」
雪の降りしきる夜、俺は爺さんと一緒に父さんの亡骸を運んだ。