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第10話 集まる。

俺たち六人は水書の部屋に入り、すべての元凶であるポンコツマシンの周りに集まっていた。もちろん、水書教授の話を聞くためだ。誰もがこの状況についての適切な説明を望んでいた。

「動詞ナイザー?何の冗談だ?」

「クソみたいなネーミングじゃん。恥ずかしくないわけ?」

「何言ってるんですか?もう、わけわかんないです…」

「人生バンバンジー。サイオーガウマ、デスね」

水書の話を聞いた途端、四人からすさまじいブーイングが起こった。無理もない話だ。俺は少なくとも動詞ナイザーの存在を知っていたが、皆は少しも知らなかったのだから。誰もが険しい表情で、今すぐにでも暴動が起きそうな感じだ。ええと、こういうときはどんな動詞が適切なんだっけ?

「まあまあまあ」

俺はどうにか皆の感情を〈落ちつか〉せた。ただでさえワケがわからない状況なのに、これ以上の混乱はゴメンだ。


【落ちつく】自動詞、カ行五段活用


「ここは落ちつきましょう。今はもう、文句を言っても仕方ないんですから」

事故発生時の定番みたいな台詞を言いながら、俺はちらりと水書の目を見た。無難なことしか言わないのは、彼女の指示でもある。さっきこっそりとメモを見せられたのだ。『犯人の出方を見たい。お前は余計なことを言うな』、と。

ただ、俺が意外だったのは、動詞ナイザーの話には大ブーイングが起こった一方で、この世界の根源原理が文章である、ということには全員が納得尽くだったことだ。動詞が消えれば、その動作も消える。俺がいまだによくわかっていないこの原理についても、みんなは「うん、それはまあそうだよね」くらいの感じで考えているらしい。

衝撃だ。

本当はその件について、俺はもっとみんなの意見を聞きたかったのだが…。『余計なことを』の指示もあったから、仕方なく無言で会話を聞いていた。

「ええっと…、つまり、その安全装置があったから、わたしたちは消えずに済んだってことですよね?」

「そうだ」

おずおずと聞く和賀宮と、何故か自信満々の水書。

「逆に言うと、安全装置がなければ、わたしたちは消えていたってことですか…?」

「そうだ」

「そんな危険なマシンを、どうして…」

和賀宮はそこで言葉をなくし、がっくりと肩を落とす。

「犯罪のない素晴らしい世界の実現に有用だと思ったんだがな」

「しかしこのマシンでは、犯罪どころか世界がまるごと消えるように思うんだが…」

静水止は昨日の俺とまったく同じ懸念を口に出した。

「動詞ナイザーの存在については、確かに私に責任がある。すまない」

「まるで、動詞が消えたこと自体には責任がないみたいな言い方だけど」

水書の言葉を聞いて、サクが冷たく言った。

「そうだ」

水書はまた、あっけらかんと言う。

「私は悪くない」

「何なんですか、この人…」

和賀宮は恐怖のまなざしで教授の顔を見ている。正直、俺も怖い。明らかに責任の一端は自分にあるくせに、なぜそんなに澄んだ目でいられるんだ。

「じゃあなんだ?誤作動か?」

静水止はそう言うと、部屋の奥にある動詞ナイザーを見た。

「いや、そんなはずはない。動詞ナイザーで動詞を消すには、手動で物理的に動詞カードをスロットに入れる必要がある。だが、最後に私が見た時、スロットは確かに空だった。仮にその状態でいくら誤作動が起こっても、動詞は消えようがないんだ」

「つまり、教授どの以外の誰かが空のスロットに動詞カードを入れ、動詞ナイザーのスイッチを入れた、と?」

静水止の言葉に、水書は俺たち全員をた。

「そうだ。君たちの中の誰かが、この部屋に入って動詞ナイザーで動詞を消したんだ。今のところ、そうとしか考えられない」

しばしの沈黙。

「ハンニーン、ここニアリ!デスね!」

ホセ君がとつぜん大声を上げた。ついでにいつもの「ホホホホゥ」。

「わ、私じゃないです!私、今日の午後はずっと部屋にいて、一歩も外には行ってません!」

和賀宮はか細い声で悲鳴をあげる。彼女はホセ君の目の前にいたから、「ここにアリ」と聞いて自分のことを言われていると思ったのだろう。そうじゃなくて、多分ホセ君が言いたかったのは「犯人はこの中にいる!」だと思う。

「アタシも午前中からずっと部屋にいたからね」と、サク。

「オレもだ。一度だけ洗面所に行ったが、それだけだ」静水止は冷静な声で言った。

「ノンノンノ。僕、ユーガタからはズッと、キョージュとリビングにイマシた。ソデショ?」

そう言ってホセは水書を見る。が、水書の反応は鈍い。

「いや、私はそこのカウンターでずっと意識をなくしていたからな…。正直、ホセがずっとリビングにいたかどうかは知らん」

「オゥ、ソデスか…」

俺たちはじっと立ったまま、お互いの顔を見ている。誰もが自分ではないと言うが、そんなはずはない。誰かが嘘をついている。

「大体アタシたち、動詞ナイザーとか知らなかったんだけど」

サクは梅雨どきの押入みたいな目で、じっとりと俺の顔を見た。

「あんたは知ってたわけでしょ?」

「まあ、そうだけど」

「じゃああんたの仕業じゃないの」

「いや、俺は一人でずっと自分の部屋にいたから…」

「でも、誰もあんたの姿を見てないんでしょ?」

「そうだけど…」

言いながら、俺は自分がひどく怪しい立場にいることに気付いていた。確かにまあ普通に考えたら、この騒動は水書か俺の仕業だと思うだろうな。で、水書はホセ君に直前までキッチンにいる姿を見られてるわけだから…、消去法で犯人は俺、ということになる。

「だが、姿を見られていないのは宮食も同じだろう。というより今の話だと、水書以外の全員が誰にも姿を見られていない。あまりこの言葉は好きじゃないが…、つまり誰にもアリバイはないってことだ」

静水止の言葉の後、水書がさらに言った。

「それに先ほども言ったように、動詞ナイザーが知覚関連の動詞を消してから、安全装置によって全員が五感を思い出すまで、十分間のインターバルがある。そのインターバルの間、誰にも見られない明るい暗闇の中で、犯人は自由に歩き回れるわけだ。つまり動詞が消えた直後にどこにいたとしても、犯人でない証拠にはならない」

「ォホォーン。ムツカシですネ…」

ホセ君はセイウチのような声を出す。俺もちょっとよくわからなくなってきた。

ええっと、もう一度考えよう。犯人は何らかのきっかけで、動詞ナイザーのことを知った。そして、誰にも見られずに水書の部屋に入って動詞を消して、十分のインターバルの間に誰にも見られずに、自分が元いた場所に歩いて行ったのだ。なるほど、そんなに難しい話じゃない。ということは…?

――これじゃ誰の仕業か、全然わからないじゃないか。

少なくとも現時点では、ホセに見られていたという水書以外の全員が犯人候補である。いや、ホセ君と水書が共犯である可能性を考えると、もはや全員が容疑者だ。疑心暗鬼の極致、最悪の状況だった。

しばしの静寂。見知ったはずのお互いの顔が、ひどくよそよそしく感じられた。

「…チューカ、ナンデ消した?なんのタメ?タダノ嫌ガらーセ、デスか?」

最初に口を開いたのはホセ君だった。

「わからん。それをお前たちに聞きたいんだ。昨日の夜から今までの間に、身の回りで何か変なことが起きたとか、異変を感じたヤツはいないか?」

水書の質問に、誰も何も言わない。

「部屋にあった金目のものが消えたとか、何でもいい。もちろん、動詞が消えたことは例外だが」

「金目のもの…って。泥棒目的ってこと?」

サクはしばらく考えていたが、特にはなさそうだった。

「詳しく見ていないからわからないが…、オレも部屋のものがなくなった、ってことはないと思う。財布もそのままカバンに入っていた」

静水止も同じく、特に被害はないらしい。

「そうか…。私も動詞ナイザー関連以外では特にないんだが。ホセはどうだ?」

「サぁー。ドデショ?僕そもそも、おカネなイデスから」

水書に聞かれて、ホセ君はあっさりとそう言った。

「俺も、別に被害はないと思います」

俺の財産と言えば漫画と本とオンボロパソコンくらいのものだ。

「ヤスカも大丈夫だったの?」

「え?ええ…」

和賀宮は何か考えていたらしく、サクに突然聞かれてびくりと肩を動かした。

「あんまり見てないからわかんないけど、多分。大丈夫だと思う…」

「じゃ、ホントにイタズラってこと?その方がヤバくない?」サクは目を見開いた。

ヤバいよな。俺も同感だ。単なる愉快犯が一番怖い。それだったらまだ、泥棒目的の方がマシだった。

――いったい誰が、何のために動詞を消したんだ?



イタズラ犯の話はさておくとして、俺たちにはもっと喫緊の課題があった。もちろん動詞のことである。

「さっきから、足がなんか変なんだけど…」

サクはそう言って片足を上げた。赤いジャージのせいもあって、まるでフラミンゴみたいに見える。

そう言われて初めて、俺も足の違和感に気付いた。もはや足というより、胴体の下に棒が二本ついているみたいに感じられる。まあ考えてみれば当然で、俺たちは動詞が消えてからこの方、ずっと立ったままなのだ。

「こういう時って、どういう対処法があるんでしたっけ?」

「わからん。だが、無性に椅子が恋しいな」

「要は、足を地面に付けなければいいわけでしょ?立つの反対の動詞ってことで…」

これがひどく馬鹿げた会話であることはわかっている。だが俺たちは決して冗談で言っているのではない。足の違和感への対処法が本当にわからないのだ。適切な動詞がないというのは、これほどまでに大変なことなのだよ。

十五分ほどお互いにああだこうだと言ったのち、お尻を平らな面(椅子や床など)に〈つける〉ことで、違和感が少し消えることがわかった。が、ひどくぎこちないし、いちいちこんな手間がいるのは大変である。

「とにかく、さっさと動詞を思い出したいんだけど…」

サクは薄汚い作業台の上にお尻をつけている。椅子の少ないこの部屋では仕方のないことだが、お世辞にも行儀がいいとは言えなかった。

「オレもそう思う。何か方法はないのか?」

静水止が水書を見上げて言う。彼は色々と考えた末、結局汚くて冷たい床に尻をつけていた。可哀想に。

「方法は単純、動詞カードを見ることだ。カードの裏面にピクトグラムがあって、それを見れば動詞の意味を思い出す。あるいは、動詞ナイザーで思い出させることもできるが…。いずれにせよ、それには動詞カードが必要なんだ」

水書は椅子から立ち上がり、白衣のポケットから動詞カードを出してみせた。さっき俺たちが階下で見つけたものだ。


〈言う〉、〈つく〉、〈歩く〉、〈持つ〉、〈行く〉、

〈開ける〉、〈入る〉、〈上がる〉、〈引く〉、〈落とす〉。


そしてもう一枚、さっき動詞ナイザーに入っていた、〈集まる〉。

「動詞カードは本来七百枚以上あるはずだが、今あるカードはたったの十一枚、これですべてだ。存在や思考、知覚の意味のカードも安全装置に入っているが、それ以外の数百枚のカードは犯人が…つまり君たちの中の誰かが持っているはずなんだ」

まるでイタズラを見つけたときの先生みたいな目付きで、水書は俺たちを見回す。

「今ここでカードを出してくれたら、動詞を消した行為についてはもう何も言わない。それでどうだ?」

誰でもいい、せめて一枚でもいいから動詞カードを出してほしい。俺は心の底からそう望む。でももちろん、誰一人としてカードを出してくる者はいなかった。

「残念だ。ということは、やはり、この紙くずは…」

水書はがっくりと肩を落とし、部屋に残されていたビニール袋を見た。考えたくなかったが、やはりこの大量の紙くずは元動詞カードたちの残骸と考えて良さそうだ。つまり、最悪の事態だった。

「他の方法で思い出すことはできないわけ?テレビで他の人の動きを見るとか、辞書で消された動詞を見るとか」

サクが聞く。

「無理だろうな。その人の中から消えた動詞は、文字として〈読む〉ことも〈TH〉こともできない。言葉を〈聞い〉てもわからない。実際の動作を〈見て〉もわからない。基本的には特別仕様のピクトグラムを見るしかないんだ。動詞ナイザー設計責任者の私が言うのだから、これは絶対だ」

「クソみたいな仕様…」

サクがため息をつく。つまり絶望。俺たちは一生ぎこちなく生きていくしかないのだ。

ところがここで、水書は意外なことを言った。

「だが、例外もある」

水書は床に落ちていたペンを手に持つと、壁のホワイトボードまで歩いて行った。



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