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第7話 言う。

「これでやっと、言いたいことが言えるわけだ」

俺は誰に言うでもなくそう言った。言いたいことも言えないようでは、生きているって言えないよな。ああ、声があるってありがたい。


水書はまたカウンターでカリカリとペンを動かしている。たぶん『早くカードを見せろ』とかだろう。しかし俺はその前にホセ君が見えるように、彼の方へとカードを動かした。もっといい方法があるのは知っているが、今は動詞がないから足の先でずりずりと少しずつ動かす。

「ホセ君、このカードを見てくれ。動詞を思い出せるはずだから」

「ホゥ」

ホセ君はじっと、足元のピクトグラムを見ている。その顔からは、先ほどまでの激しい動きは消えていた。いたって真剣な様子である。

「ホワアァァア!」

数十秒の後に、ホセ君が大声で言った。どうやら思い出したらしい。

「ィスルギさん。これってドユコトですカ?ナニがなんだか、モウわからーナイ」

無理もない。ホセ君は動詞ナイザーを知らないのだから。

「動詞が消えたんだよ。水書さんのクソみたいなマシンのせいで。だから俺たちは何も言えなかった」

「ホーゥ。そレじゃ、カマーヨィさんが悪いんですカ?」

んじいっ とイヤな目でホセ君は水書を見る。そうとも言えないが、そうではないとは言い難い。動詞ナイザーの産みの親は水書なのだから。

「うーん。いや、水書さんは悪くない。と、思う。正直言って誰が悪いかはわからないんだ。とにかく、俺が気付いた時には既に動詞がなかった」

「ホーゥ。ソデスか」

ホセ君はそう言うと、また妙な声とともに顔を動かした。

「デモマ、これでヤット、自由ニ好きナことが言えマスね!」

「ああ。これでようやく、ホセ君の考えていることがわかる」

意思疎通、コミュニケーションはやっぱり大切だ。

「ニホンゴ、サイコ―ウ!ハンシーン、イチバーン!」

「水書のバカヤロー!」

二人して好き放題言っているあいだ、水書は何も言えないままに、寂しそうな目でこちらを見ていた。


「やれやれ。久しぶりに自分の声を聞いたな。…こんな声だったか?」

ようやく言葉を思い出した水書の声は、ひどくガサガサだった。

「さあ。酒のせいでしょうね」

「ああ…。そうか、そうだったな」

水書が何か言うたびに酒臭かった。今ほど〈嗅ぐ〉の動詞を恨めしく感じたことはない。

「とにかく、これで意思疎通は可能ですね」

「まったく、〈TH〉のはもううんざりだ。腕が痛い」

「え。なんデスか?イマナンて?」

ホセ君が不思議そうに聞く。

「〈TH〉は、〈TH〉だ。それが何故わからん」

水書はそう言うとカリカリとペンを動かす。俺はホセ君にも文字が見えるように、ホセ君の身体を少しだけカウンター側に動かした(とんでもなく大変な作業だった)。

「わおスゴーイ!アーティスティック!キョージュは天才デスね!人間コクホ!」

(いや、これは多分それほど難しくない行為のはずなんだけどな…)

俺は内心そう思ったが、水書がまんざらでもない表情だったから何も言わなかった。

だが、ホセ君は文字を〈読め〉なかった。俺と水書がいくら言っても、「ここに意味がアルとはとても思えマセん」とか言って、文字を模様として見るだけだ。

『ホセはこの文章を読めないのか。やはり学がないんだな』

水書は無言でさらさらとペンを動かした。

理不尽な罵倒に気付かないまま、ホセ君は嬉しそうにペンの動きを見ている。そしてまた、顔を動かした。同時に「ホホホゥ」と声が聞こえる。

「ところでホセ、お前のその芸は何だ?興味深いな」

「コレですカ?やだナあ、〈0OZW〉るんデスよ」

そしてまた、「ホホホゥ」。

「…?ダメだ、どうにも思い出せそうにない」

水書は残念そうに言った。

やはりホセ君のあの奇妙な声は、俺たちの中からは消えた動詞によるものらしい。そしてこれでわかったが、残念なことに自分の知らない動詞はいくら文字を読んでも、声で言われても思い出せないようだ。

「とにかく、早いところ他の動詞カードを見て動詞を思い出しましょう」

「ああ。だが、他のカードは二階にあるんだぞ」

「まだこの部屋にカードが残ってないですかね?さっきみたいに」

「わからないな。少なくとも私にはあるように見えないが…」

「カードって、ソレのことですか?」

ホセ君が俺の背後で言った。

「えっ。どこだ?」

俺が聞いてもホセ君は「ソコです、ソレです」としか言わない。だからどこだ。仕方なく身体を動かしてホセ君の方を見ると、今度は背後で水書が「あ、本当だ」と言う。

「だから、どこにあるんです?」

「背中だ。お前の背中にカードが〈ZEW〉いるんだ。あまりにも自然だったから気が〈ZT〉なかった」

「後ろデス。ウシーロ!セナか!」

よくわからないままに背中の方に手を動かすと、指先が何かに触れて、はらりはらりと視界の隅に四角い影が〈よぎっ〉た。見れば一枚の動詞カードが床の上にある。ピクトグラムには、黒いシルエットが二つ。小さいシルエットが大きいものの方に動いているような絵である。うーん、この意味は…?あ、〈付く〉か。


【よぎる】自動詞、ラ行五段活用

【付く】自動詞、カ行五段活用


どうやら俺の背中に動詞カードが付いていたらしい。こんなもの俺は自分で付けた記憶はない。誰が?いつの間に?そう考えて、俺はまたぞわり と鳥肌が立つのを感じた。

動詞が消えている間に誰かが俺の背後に立って、背中に動詞カードを〈付け〉たのではないか?


【付ける】他動詞、カ行下一段活用



☆これまでの動詞は、三十個。 (意味別)

〇存在

ある、いる

〇発生・消滅

生まれる、起きる、起こす、起こる、消す、消える、現れる、残る、とどまる

〇知覚

感じる、見る、聞く、嗅ぐ、触れる、味わう

〇知的行為

思う、考える、知る、望む、わかる、よぎる

〇移動

動く、動かす

〇接触〇

付く、付ける

〇作成

立つ

〇言語行為

読む、言う

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