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1-4. 窓を開けたら巨鳥


 レティ視点に戻ります。


――*――


 心地良い微睡の中、遠くで扉をノックする音が響く。

 けれど、傷つき疲れ切った身体は泥のように重く、まだ半分夢を結んでいた。


「眠っているみたいだな」

「そうみたいですね」

「一体、何があったやら」


 低く落ち着いた声と、人とは異なる高い声。

 ふたつの囁き声には、害意も敵意もなく、ただ探るような響きと、心配する気配が宿っている。


「妖精の薬を塗ったので、傷口はほとんど塞がったみたいですね。でも、まだしばらく痛みは続くと思うです」

「ああ。こんなに傷ついて……痛かっただろう」


 先程よりも近くなった声。

 それと同時に、ひやりとした感触が額を覆う。


「少し熱があるな。怪我の影響か?」


 耳元で声が聞こえて、私の意識は一段階浮上する。

 頬に張り付いた髪を、指先で優しく剥がしてくれるのを感じて、私は完全に目が覚めた。


「ゆっくり眠ってくれ」


 低く優しい声がそう告げて、一人と一匹の気配は遠ざかっていく。

 再び静かになった部屋で、私はそっと瞼を開けた。

 何か異変があったらすぐに対応できるようにするためだろう、扉が細く開いていて、柔らかな灯りが漏れ出している。


 痛みと熱でぼうっとする頭で、いまだ夢見心地だ。それでも、わかったことが一つある。

 ――アデルさんも、ドラコさんも、私を不審に思いつつも、本当に心配してくれている。


 誰かに看病してもらうなんて、いつ以来だろう。人のぬくもりを、私は長らく忘れていた。


 そんな二人を、助けてくれた好意を、少しでも疑ってしまうなんて。私の心に、罪悪感の棘がちくりと刺さる。


 私は、音を立てないように、静かに息を吸って、ゆっくりと吐いた。


 顔を横に向けて、揺れる暖炉の火を眺める。

 ぱちぱちと弾けるオレンジ色の光は、本来なら夏が間近のこの季節には必要のないものだ。けれど、水に落ちて私の身体が冷えていたから、点けてくれたのだろう。

 だからこそ、アデルさんの気遣いがこの上なくあたたかくて、じわじわとまなじりに熱が溜まって、静かにこぼれ落ちていく。


 そうして、それぞれの夜は、緩やかに、穏やかに更けていった――。



 ギュィィィイ……ギュワァァァ……


 翌朝。

 いつの間にか眠っていた私を目覚めさせたのは、平和な朝のイメージからは程遠い、奇怪な音だった。

 私は急いで身を起こそうとしたが――、


「――っ!」


 激しい痛みに襲われ、身を起こすことは出来なかった。


「起きたか。だが、無理に身体を起こすと傷が開くぞ」

「――っ!?」


 これまたいつの間にか、部屋に入っていたアデルさんの声に驚いて、私は思わず身体を捻ってしまった。激痛が走り、顔が歪む。


「ほら、言わんこっちゃない。薬を塗るから、大人しくしていろ」


 そう言ってアデルさんは、私の背中に手を差し込み、支え起こしてくれた。


 ……までは良かったのだが。

 そのまま彼は、流れるように私の衣服を脱がせようとする。

 私は、慌ててアデルさんの手首をがしっと掴んだ。


「ま、ま、待って」

「ん? どうした?」


 アデルさんは胸元のボタンに手をかけたまま、驚いたような顔をして止まっている。

 そういえばこの服は、私が最初に着ていたものとは違っているが……。

 いつの間に、誰が、私を着替えさせたのだろう。そう考えた途端、顔から火が出そうになった。


 アデルさんは、眉を寄せ、首を傾げると、ボタンから手を離した。長い黒髪が、肩の横にさらりと流れる。

 私は彼の手首から手を離し、自らを守るように両手を胸元に当てた。


「あ、あの、お薬なら自分で塗ります……」

「そうは言っても、君はまだろくに動けないだろう。すぐに終わるから、じっとして――」

「だっ、だめ! やめて、見ないで!」

「なっ……」


 その言葉に、アデルさんは困惑したように、思い切り固まった。


 その時。


 ギョワァァァア!!


 再び外から、奇妙な音……というか何かの鳴き声のようなものが聞こえてきた。

 先程より近い気がする。


「あ、あの……アデル……バート、さん。これ、一体何の音ですか?」

「ん? ああ、これはエピオルニスという鳥の鳴き声だ。近いな」


 アデルさんは、手に持っていた薬をサイドテーブルに置くと、窓に近寄り、カーテンを開けた。白い日差しが差し込んでくる。

 私の目が眩んでいる隙に、彼はどうやら窓も開けたらしい。


「ギョワ!」

「おはよう、エピ」


 私は目を疑った。

 ――窓から巨大な鳥が顔を出している。


 周囲の木などの感じからすると、この部屋は二階にあると思うのだが、怪鳥はちょこんと窓枠に顔を置いて、大人しくアデルさんに撫でられていた。


「ギュイ?」

「ああ、彼女か? レティシアという名らしい。怪我をしていて動けないんだ」

「ギュウ!」

「こ、こんにちは」


 私はエピと呼ばれた怪鳥に、とりあえず挨拶を返した。ドラコと同じように、妖精なのだろうか?

 アデルさんは、どうやらこの奇怪な鳴き声を理解して、会話しているようだ。


「ギュワオゥ。ギュ、ギュイイ?」

「え? ああ、確かにそうだが。何故わかった?」

「ギュ、ギュワ」

「ああ、塗り薬が置いてあったからか。だが、何が問題だと?」

「ギュワァァァ!!」

「……っ、は?」

「ギュ! ギュイイ!!」


 謎の会話は、エピの怒るような鳴き声によって、終了した。アデルさんは、何故だか顔を真っ赤に染めて固まっている。


「ギュ」

「……そ、そうか。よく考えたら、そうだよな。俺が悪かったよな」

「ギュウ。ギュ、ギュイイ」


 エピは、アデルさんが謝ったのを見て、と何やら言葉をかけた。そうして、スン、と顔を背け、その場を去って行った。


 そこでようやく、エピの全体像が見えた。首が長く胴体がぼわんとしていて、後ろ姿はダチョウとよく似ている。

 だが、どう見てもその大きさは異常だし、人と会話するなんて聞いたことがない。

 エピにアデルさんと会話する知能があるのか、それとも、アデルさんには何か特殊な力でもあるのか。


 何だか、一気に不思議の国に迷い込んでしまったみたいで、現実感がない。


 私がエピの後ろ姿を見送っていると、アデルさんがゆっくりこちらへ振り返る。

 ギギギ、と擬音が聞こえてきそうなぎこちない動きだ。耳まで真っ赤である。


「そ、その……さっきは、すまなかった」

「え?」

「エピに指摘されたよ。普通の人間の感覚だと、他の人間、それも異性に肌を見せるのは恥ずかしいこと……なんだよな」


 アデルさんの言う『普通の人間の感覚』という言葉に、私は内心首を傾げつつも、首を縦に振る。


「ま、まあ、そうですね……」

「すまない。すっかり忘れていたんだ」

「……わ、忘れてた……?」

「ああ」


 普通に考えたら意味のわからない言い訳だ。けれど、顔を真っ赤にして困惑の表情を浮かべたまま、頭を思いっきり下げるアデルさんを見ていたら、なんだか本当に失念していたように思えてならない。


「本当にすまない。俺の考えが至らなかった。姉以外の人間と話したのは子供の頃以来だったし、ごく一部を除いて、妖精たちには『恥ずかしい』とか、そういう感覚がないから……」

「え……そうなんですか? というか、子供の頃以来? 妖精……?」

「ああ。ここには、俺以外の人間は住んでいない」


 アデルさんは、そう告げて、下げていた頭を上げる。


 ――川に落ちて流れ着いたのは、世捨て人とドラゴンの妖精、そして謎の巨鳥の住む、不思議の国でした。

 なんだか、頭がクラクラする。現実を脳が受け入れられないのか、急にめまいがした。


「おい、大丈夫か!?」


 ベッドの上で、ふらり、とバランスを崩す私を見て、アデルさんは慌ててこちらへ駆け寄った。

 彼は、私が倒れる前に背中を支えてくれて、抱きかかえられるような体勢になる。


 目の前いっぱいに広がる、心配そうに眉尻を下げている、端正な顔。

 芸術品のようなそれが、触れそうなほどに近くにあって、私は思わず息を止めてしまった。


「傷が痛むのか? それとも、熱が上がってきたか? 顔も赤いし……。とにかく、一度寝かせるから、ゆっくり息を吸って……」


 私はコクコクと頷き、ゆっくり深呼吸を繰り返したのだった。


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