アデル視点です。
――*――
「……帰る場所がないと。たとえ身売りされたとしても構わないと……本当に、そんなことを言ったのか?」
「はい。間違いないのです。ドラコは耳がいいのです」
話し終えて、グリーンドラゴンの妖精ドラコは、むむむと唸った。
ドラコは俺の膝より少し高い程度の身長だ。二本の足でしっかり立って、短い腕を一丁前に組んでいる。
本来、広く知られているドラゴンの姿は、魔物の姿だ。鱗に覆われた巨体に鋭い牙、尖った鉤爪。巨体に見合った太い手足と巨大な翼を持つ、凶悪な魔物である。
ドラコはある出来事から知能を得て、魔物から妖精へと進化を遂げた個体だ。
妖精となったドラコは、現在の姿である妖精体と、魔物体、どちらにも変身できるようになった。普段は、燃費の良い妖精体でいることが多い。
「せっかく助けてやったっていうのに、あの娘、アデルを信用してないみたいです。裏があるなんて、アデルに限ってそんな訳ないのに……ああ、思い出したらムカムカしてきたですー!」
ドラコは、レティシアという少女が俺を信用していないことに対して、腹を立てているようだ。短い足でじたばたと床板を踏みつけている。
「まあ、何も見返りを要求せず助けるなど、裏があると思うのは普通のことじゃないか?」
「むむむ、そういうものですか?」
「ああ。見知らぬ人間など、信用できないのも道理だ」
ドラコには理解できないようだが、同じ人間である俺には、彼女が不安に思うのもよくわかる。
レティシアは、水色がかった銀髪に青い瞳の、小柄で非力そうな少女だった。
だが、いかに人畜無害そうな容姿であっても、人間など、腹のうちに何を隠しているかわかったものではない。
「……ドラコには、わからないです。どうしてアデルたち人間は、同族なのに、素直に他の人を信用しないですか?」
「妖精のお前にはわからないだろうよ」
人が皆、妖精たちのように裏表なく素直で、互いの領分を侵すことなく暮らせる種族だったら良かったのに。
でなければ、俺自身が人間ではなく妖精、あるいはもっと精霊に近しい存在であったら、どれほど良かったことか――。
「それで、アデルは結局、どうするつもりですか?」
「ふむ……どうしたものか」
「何の考えもなく、拾ってきたですか?」
「仕方ないだろう。俺は森の管理者だ。ここで死なれて、森を穢されては迷惑だからな」
それに、気になることもあった。
この森には、普通の人間が入れないように魔法的処置が施してある。
だが、あのレティシアという少女は、俺の張った白炎の結界に焼かれることなく、森への侵入を果たしていた。
彼女が結界を通り抜ける条件を満たした者であったなら別だが、見捨てられたこの地に、そんな人間は存在しないだろう。
となると、川を経由すれば、普通の人間にも森を囲う結界を抜けられる可能性がある、ということだ。
ファブロ川は急流だし、川面にも結界は張られているから、心配していなかったのだが……危険な場所を過ぎた後に水中へ潜れば、抜けられるのかもしれない。そのルートは盲点だった。
「とにかく拾ってきた以上、怪我が治るまで、最低限の面倒はみる」
「ドラコ、知ってるです! ホゴカンサツショブン、ってやつですね!」
「……まあ、保護責任はあるがな」
キラキラと黒い目を輝かせて、ドラコが覚えたてらしい言葉を発した。ニュアンスがだいぶ違うのはご愛嬌である。
ドラコは、人間の言葉や暮らしに興味を持っていて、少しずつ勉強しているところだ。
ようやく話す、聞くをマスターして、文字も読めるようになってきた。難しい熟語やことわざも覚え始めたのだが、まだまだ途上のようである。
「それから、どうやって結界を抜けてきたのか、故意なのか偶然なのか。そのあたりは、一度話して確かめてみる必要があるな」
怪我の影響からか、レティシアの記憶は混濁しているようだった。もう少し落ち着いてから、改めて尋ねてみた方が良いだろう。
「そうですね。それに、あの娘、帰る場所がないみたいですよ。それなら、いっそのこと――」
「――だめだ。人間は信用できない」
「……アデル……」
ドラコは、尻尾をしゅんと垂らし、表情を曇らせた。
「どうせ彼女も、俺の二つ名を出せば、怖がって自分から逃げていくに違いないさ。川から来たのなら、川から勝手に出ていくだろう」
「……アデルは優しいのです。怖くなんかないのです」
「それはお前が力ある存在だからだ」
「でも、でも……!」
「いいんだ。ありがとう、ドラコ」
なおも食い下がろうとする優しい妖精に感謝を告げると、ドラコは不満げな表情を残したまま、口を噤んだ。
*
コンコンコン。
部屋の扉をノックしても、返答はない。
「……眠っているみたいだな」
「そうみたいですね」
俺は、ドラコと目配せを交わして、そっと扉を開く。
姉しか泊めたことのない客間のベッドで、傷だらけの少女は眠っていた。
俺は妖精に調合してもらった痛み止めの飲み薬を、ベッドの横のサイドテーブルに置いて、穏やかな寝顔を覗き込む。
「……一体、何があったやら」
彼女は小柄で、痩せていた。
着ていた服はぼろぼろになってしまっていたので、とりあえず姉の寝巻きを拝借し、着がえさせてある。
着ていた服の形状からすると、彼女は近くの町村に住む平民だろう。
流されてしまった可能性もあるが、ポケットの中も空っぽで、他に荷物を持っていた様子もない。
「目覚めるまでに何度か妖精の塗り薬を塗ったので、傷口はほとんど塞がったみたいですね。でも、まだしばらく痛みは続くと思うです」
「ああ。こんなに傷ついて……痛かっただろう」
俺は、眠る彼女の額に手を当てて熱を測る。
「……少し熱があるな。怪我の影響か?」
額に当てた手を離し、頬に張り付いている銀色の髪を、指先でそっと払ってやる。
くすぐったかったのか、レティシアは少し身じろぎをした。
「ゆっくり眠ってくれ」
俺はそう言い残すと、何かあった時に気がつけるように、部屋の扉をほんの少しだけ開けたまま、彼女の部屋を後にした。
「ドラコ、お前ももう眠って構わないぞ」
「アデルは?」
「念のため、もう少し起きてるよ」
「やっぱりアデルは優しいですー。じゃあ、ドラコも頑張って早起きするですから、そうしたら交代するですー!」
「ああ。ありがとう、ドラコ」
自分の寝床にぱたぱたと飛んでいったドラコを見送る。俺は隣にある自室に戻り、その扉も少し開けたまま、静かに読み物をして過ごすことにしたのだった。