夏休み初日の土曜日の朝、いつもより早く家を出る。
今日は高校テニス関東地区大会の日だ。
「ゆず~おはよ!」
「おはよう、めぐ。相変わらず朝から元気だね」
めぐと軽く談笑していると新島先輩がやってきた。
「先輩、おはようございます」
「おはよう、柚希ちゃん。今日はお互い頑張りましょうね」
「はい」
電車とバスを乗り継ぎ約1時間。
バスから降りると試合会場が遠方に見えた。
会場までの一本道はテニス関係者だけで埋め尽くされていた。
テニスコートの一角を陣取りウォームアップをする。
その後、短い開会式を終えると早速各コートで試合が始まった。
出番まで観戦とウォームアップに時間を費やす。
陽が高くなるにつれて応援に来た観客も徐々に増えてきた。
「おーい柚希ー!」
呼ばれた方を見ると私服姿のお兄ちゃんと水樹先輩が手を振っていた。
「応援に来てくれたんだ。ありがと♪」
「気にするな。って言っても午後から予定があるから一試合しか応援できないけど」
ベンチの端っこで会話をしていると、新島先輩もやってきた。
「水樹まで居るなんて思わなかったわ」
「まぁ、散歩のついでに顔見に来ただけだよ」
ちょっとした皮肉の言い合いも二人の仲の良さを表している。
新島先輩も少しリラックスしてるようだ。
「ところで2人の出番は何時からなんだ?」
「えっと、あと30分くらいかな」
「そっか。じゃあ俺と水樹はあっちの観覧席で応援してるから」
お兄ちゃん達と別れ、ラケットバッグを抱えてコートに入る。
白井先生と軽く打ち合わせをする。
「相手は常勝校の花菱徳丸だ。だけどお前たちならきっと勝てる。行ってこい!」
「「はい!」」
いよいよ試合が始まった。
序盤から相手の猛攻に苦しんだが何とか食らいつく。
試合は思いのほか接戦だった。
もしかしたら勝てるかも。
私がそう思い始めた矢先、新島先輩のミスが目立ち始めた。
先輩の顔色が悪い気がする。
ファーストセットを取られた後、白井先生が主審にブレイクを申請した。
「新島、具合が悪いのか?」
「いえ、大丈夫です」
「強がるところじゃないだろう。お前の悪い癖だぞ」
「……すみません」
主審の許可もありドクターに診察してもらう。
少し熱中症になったみたいだ。
「新島、無理はするな」
「いえ、先生。やらせてください!」
「……危険だと判断したらすぐに止めるからな」
「ありがとうございます」
そう言う先輩は明らかに調子が悪そうだが、後には退けない。
コートに戻りゲーム再開する。
その後も相手の攻撃は一層激化し、私たちは初戦で敗退した。
相手選手と握手し、コートを後にする。
「新島? おい、新島!」
慌てる先生の視線を辿り振り返る。
そこにはコートに倒れ込んだ新島先輩がいた。
先輩が医療スタッフに運ばれてから陣営は不安に包まれていた。
観戦して応援してくれていたお兄ちゃん達も駆けつけてくれて今は一緒にいる。
戻ってきた先生にみんなが飛びついた。
「先生! 新島先輩は大丈夫なんですか!?」
「心配するな。ただの熱中症だ」
それを聞いてみんなが安堵する。
そして白井先生が私の肩にポンと手を置いた。
「悪いんだが後で様子を見に行ってやってくれないか? 先生ちょっと手が離せなくてな」
「安静にしてた方がいいんじゃないですか?」
「新島もお前に会いたがってたぞ。そこの友達さんにもな」
そう言い残し白井先生は去っていった。
私とお兄ちゃんと水樹先輩が医務室に入ると、新島先輩がベッドから迎え入れてくれた。
「新島先輩、体調はどうですか?」
「うん。もう大丈夫」
「よかったぁ」
私が安心して笑顔を見せるが新島先輩は俯いていた。
「柚希ちゃん。迷惑かけてごめんね。それに友也くんもせっかく応援してくれたのに」
「なに言ってるんですか! 試合なんかより新島先輩の身体の方が大事です!」
「そうだよ楓。俺たちの心配する必要ないって」
「でも……」
ここまで落ち込んでる新島先輩は初めてだ。
一歩下がって見ていた水樹先輩が口を開いた。
「全く、楓らしくないな。熱に当てられて人格変わったのか?」
「な、何よ! そこまで言わなくてもいいじゃない!」
「言いたくもなるさ。そんなしょげた顔見せられたらな」
水樹先輩は冗談交じりに明るくそう言うが、新島先輩は再び視線を落とす。
「けど、私が自己管理出来てなかったから、みんなに迷惑をかけちゃって……」
「だからそんなブサイクな顔すんなって」
「なっ」
「言っただろ? そんな顔を見にわざわざ来たんじゃないっての。楽しそうにテニスをする、明るくてカッコいい新島楓を見に来たんだ。確かに心配や迷惑をかけたかもしれない。でも今みんなが欲しいのは、償いの言葉より楓の元気な姿なんじゃないか?」
へぇ、水樹先輩いい事言うじゃん。
場が静まり返る。
「……って、友也が言ってたぞ」
「おい。恥ずかしいからって俺に擦り付けるなよな」
「べ、別にそんなんじゃねーし」
そんなお兄ちゃん達のやりとりを見た新島先輩は自然と笑顔になる。
タイミングを見計らったかのように別室からドクターが顔を出した。
「はいは~い君たち~。仲良しなのはいいけど患者さんを休ませてあげてね~」
そう言われた私たちは席を立つ。
医務室を出た時、水樹先輩は1人ドクターと話していた。
「あの、俺もう少しここにいてもいいですか?」
「う~ん本当はちゃんと休ませてあげたいんだけど~。ま、キミだけならいいかな」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。あ、キミたちはちゃんと試合会場に戻ってね~」
私とお兄ちゃんにそう釘を刺すと、ドクターは医務室を後にした。
お兄ちゃんと試合会場に戻る間、私は考えていた。
わざわざ2人きりで何を話してるんだろう?
それにさっきの水樹先輩の感じ……これはきっと何かある!
私の出番も今日は終わったし、少し様子を見てこよっかな。
「ん? 柚希、どうした?」
「ごめーんお兄ちゃん。医務室に忘れ物してきちゃったー。先戻っててー」
「全くしょうがないな」
お兄ちゃんが去るのを確認した私は医務室に戻る。
扉の前で耳を澄ませると、先輩達の会話が聞こえてきた。
「さっきはありがとね」
「何が?」
「私の事を励ましてくれたんでしょ?」
「思った事言っただけだ。ホントにブサイクな顔してたし……いてっ! 殴ることないだろ!」
「うるさい! バカ水樹!」
何この展開は?
ちょっとニヤけてきちゃうんですけど。
「いてて。けどまぁ、変わったと思うのはホントだよ」
「そう、かな?」
「そうさ。1年の時の楓なら、周りに少しでも後れを取ったら悔しさで燃え上ってたもんな」
「今回だって悔しいよ」
「わかるよ。でもそれだけじゃない」
「え?」
水樹先輩は少し黙った後に口を開いた。
「正直言うと、今までは何て言うか、過剰に周りの評価を気にしてたように見えた。だけど今回は違った。ただ目の前の事に一生懸命になって、それで本気で落ち込んで」
「そう、だね……私が変われたのは友也くんのお陰だよ」
「やっぱ友也はスゲーな……」
「あれ? もしかして妬いてるの?」
「……あぁ。妬いてるよ」
「え?」
え?
もしかしてこれって。
イイ感じなのでは?
「あ~~クソ! ずっと黙ってるつもりだったんだけどなぁ」
「どういう事?」
「実は1年の時から楓の事が好きだった」
「えっと……」
「あぁ、気にしなくていい。お前たちは大事な友達だ。今は2人を応援してるから」
「ごめんね……ありがとう」
「気にすんなって」
うわわ~!
すごい場面に出くわしちゃった~!
まさか新島先輩を好きだなんて――
「まさかホントにあの子を好きだったなんてねぇ~」
「っ!?」
振り返るとドクターが立っていた。
聞き耳立てるのに夢中で気づかなかった。
ドクターは人さし指を口元に当てて囁く。
「静かに。お友達にバレちゃうわよ~」
「なんでドクターが盗み聞きしてるんですか!」
「ん~、さっきの水樹くん? 新島さんとナニするのかな~って」
「は、はぁ……」
この人は本当に医者なのだろうか。
呆れているとドクターは不意に虚空を見つめ
「ん~青春だね。若いっていいなぁ~」
などと言い出した。
「仮にも医者なのに患者放っておいていいんですか?」
「ん? いいのいいの。新島さんもう元気だし。それにね」
ドクターは少しだけ真面目なトーンで話す。
「今の新島さんに必要なのは心の休息よ」
「え? それってどういう……」
「ん~。さっきちょっとお喋りしたけれど、最近まで結構悩み事抱えてたみたい。気持ちがごちゃごちゃした状態で部活にも打ち込んで、心と身体の両方に疲れが溜まってたようね。だからこういう時は、あなた達みたいなお友達との触れ合いが一番の薬なのよ」
な、なるほど。
医者なだけあって流石な分析力。
などと感心していると、ドクターは私の背中を軽く叩き
「部活もいいけど恋愛もしなきゃ。特にキミ達みたいなカワイイ女の子はね~」
と言い残すと、手をヒラヒラさせて去っていった。
「恋愛もしないと、かぁ」
殆どの人は、恋愛に
だけど私達は勉強や部活と同じくらい真剣に恋愛に向き合ってるんだ。
新島先輩だけじゃなく水樹先輩だって恋愛に真剣なんだ。
私も負けていられない!
決意を新たに、私は医務室を後にした。
それから私は他の部員の応援に回った。
しかし目立った結果は残せず、白井先生の軽い挨拶の後、テニス部員は解散した。
ちなみに新島先輩はご家族の方が迎えに来て車で帰ったらしい。
水樹先輩もその時に会場を後にしたのだろう。
こうして咲崎テニス部の夏は終わった。