かくして通称『魔族狩り』の企み、連続誘拐事件は終わりを迎えた。
北門へと駆けつけた冒険者や警団によって魔族攫い組織、並びに“飛剣”のバルスが捕縛されたことで事件は終息。
あくまでゴルザの治安維持が目的であったという真意に嘘はなかったのか、取り調べの際にバルスは自身の罪以外は吐かなかったものの、調査によって金で協力した者達も同様に逮捕されることになった。
被害者三名の内二名は精神に病み、治療院に保護されることとなり。
残り一人であるイデアルは目を覚まし、あれほどの死闘にもかかわらず目立った負傷がなかったライトと警団の事情聴取に応じた後、すっかり夜も更けてしまったにもかかわらずボロ小屋へと帰宅した。
「おおう、これはまた随分なじゃな」
「飛び出してきたからな。……今から片付けるのか、はあっ」
使い物にならなくなった扉を見て、そういえばボロ小屋の惨状にため息を吐くライト。
同情を声に乗せながらも、ばつが悪そうに目を背けるイデアルと共に家の中へ入っていくと、やはり片付いているなどと言った変化はなく、物の散乱した光景が広がっていた。
「魔道具や魔石の類はあらかた盗られてる、まあ扉もないまま放置していけば当然か。……にしても、俺の研究は一切手を付けられてないな」
「そりゃ触らんじゃろ。庇っておいて何だが我だっていらん、むしろどん引きして放置が妥当よ」
健在な棚と無数の濡れた紙の散った部屋の中で、軽口を叩き合いながらも片付けていく二人。
濡れに濡れ、物を失い、最早暮らせる部屋と誰に聞いても思えそうにない部屋。
しかし携帯していたライターの火を呑み込んで器用に室内を乾かしたり、濡れた紙の束やベッドから水分を奪ったりと、イデアルの尽力によってひとまず一夜を過ごせる程度にまで片付いた。
「ふうっ、まあ寝られる程度には片付いたな! ……本格的にやるのは明日からにしない?」
「そうだな。俺も疲れた。今日はもう休みたいよ」
布の不足と疲労で天井は月明かりの漏れる穴のまま。
扉もとりあえず棚を動かして侵入者を防ぐだけ。
それでも一段落と、顔に少しの達成感とそれ以上の疲労を顔に出すライト。
そんな彼を差し置きベッドに上がったイデアルは、自らの姿を人から大きな円形──大きめのクッションのように形を変えた。
『なあライト、こっち来て』
「……?」
『こっち来いと言ってるんじゃ。我に恥、かかせるなよ?』
ポンポンと、イデアルは少し伸ばした腕で優しくベッドを叩いて招く。
何事だと思いながらも、ライトは疲労と信頼からさして警戒もせずベッドへ上がると、イデアルは紫色の大きな体にライトの全身が沈み込んでいった。
「おお、おおお……?」
『どうじゃどうじゃ? 中々に快適じゃろう? 我特製のスライムベッドは』
「溶けてしまいそう……そうか、気持ちええとはこういうことか……」
最初こそ驚きはしたものの、得も言えぬ快適さにライトの力は抜けていってしまう。
不快にならないほど柔らかく、全身からフィットして癒やしを与えてくれるイデアルクッション。
人と魔族が手を取るよりも前、本大陸を女神プライヤの抱擁を思わせる、優しく、柔らかく、温かい安らぎの至福。少なくとも、ライトがこれまで味わってきた中で一番の気持ちええであった。
『そうじゃろう? じゃろう? 自分で言うのもあれじゃが、我はスライムの中でも最高品質と自負してるからな。光栄に思え? この快感を味わうのは、お主が世界で初めてじゃぞ?』
だらんと一切力の入らない様子で、イデアルクッションを堪能するライト。
イデアルは自身の上で脱力しきったライトへ誇らしげに語るも、やがて口を閉じて沈黙してしまう。
「……イデアル?」
『なあライト。寝物語と聞き流していいから、少しだけ耳を傾けてくれないか』
十秒を超える静寂。このまま目を閉じて、夢の世界へ旅立ってしまいそうなライト。
そんなライトをイデアルは少し伸ばした腕で頭を撫でながら、おもむろに話し始めた。
『もう察していると想うが、我はこの大陸出身ではない。魔大陸、つまりずっと遠くの魔族の地より逃げてきた。魔族の王たる魔王ガリアン・ロードレスが五番目の娘……つまり魔王の娘なんじゃよ』
魔王の娘。イデアルの語ったそれに、ライトはさして驚きはしなかった。
先ほどの戦いで、青肌の魔族──バトラーがそれらしいことを話していたのを聞いていて、なおかつどこか良い家の出であると予測していたからだ。
要所要所で見せる、人を下に付ける迫力。
普段の態度とは別に、日常から滲み出てしまう品の良さ。
最初文字は読めないと言っていたのに、この十数日で娯楽用の本さえ読めるようになった、勉強の方法を知っている頭脳。
ライトも流石に王族とまでは思っていなかったが。
それでも元々抱いていた疑問の答えとしては充分過ぎると、イデアルクッションが気持ちいいので首を動かすことはないが、むしろ納得したほどだった。
『スライムの魔族は凶事の前触れと、魔大陸ではそんな言い伝えがあってな? 母上が我を産んだのと同時に亡くなってしまったのもあり、我は忌み子とされ処分されるはずじゃったらしい』
「……じゃあ、どうして?」
『されなかったのは母上とバトラーのおかげじゃだろうな。父上に疎まれ、姉上達と待遇は違ったとはいえ、あいつが育ててくれたから我はここまで成長出来た』
それは悲しいというより、寂しそうな声色だとライトは感じてしまう。
今でこそ独り身だが、ライトは故郷の村では愛されて育ってきたという自覚があった。
両親が、幼馴染が、村の皆が、剣の師が。
それぞれが時折厳しくも、温かく接してくれた過去。それが今の自分の基盤であると理解している。
生まれた時から存在を厄とされる宿命を背負っていたとしたら。
自分が産まれてきたせいで親の命を奪ってしまったとしたら。
身内に疎まれ、己が血を呪う環境にいながらも、腐ることなく学ぶことを強制される定めだとしたら。
その苦難の一端すら推し量れないからこそ、イデアルの重さを安易に慰められず。
掛けるべき言葉が見つからなかったライトは、せめてイデアルの言葉に聞き漏らさないようにと頬の裏を噛み、姿勢を正してイデアルの話に耳を傾けた。
『だがある日、父上は命を下した。次の魔王の憂いを払うべく、厄の象徴たる忌み子を迅速に処分せよと』
「実の父が、嫌っているとはいえ娘を……」
『恐らく父上の最もお気に入りであり、次の魔王確実とされた第一王女レルナの頼みだろう。あれは特別我を嫌っておったからな。母の命を、そして幼い頃から執心していた執事を奪い独占する厄災だと』
ライトが起き上がってしまい、イデアルは撫でる物を失った手を名残惜しそうに仕舞いながら。
人型に戻って向かい合いながらも、黄金の瞳を少し伏せて話を続けていく。
「バトラーの助けもあって、我は何とか城から逃げることが出来た。一度、教育が嫌になって街へ降りたことがあってな? その時に知り合ったマーリンという古代魔法を研究している老人に匿ってもらっていた」
「匿われてから二日ほど経った後、マーリンは長年研究していた転移の古代魔法をついに完成させてな。我はその転移門によってこの本大陸まで逃げ果せた。それが我がここにいる理由じゃ」
そうして話を終えてから、イデアルはゆっくりと顔を上げる。
いつもの人型を何も変わらない、紫色の体をした少女の姿。
それでも語り終えた少女の姿が、ライトにはいつもより少し小さく思えてしまった。
「国を追われ、何一つ持たず、足掻いてまで生きる意味さえ見出せず。……死ぬなら死ぬで構わなかった。飢えて野垂れ死のうと、畜生の餌になろうと、害として消されてもいいとさえ思っていた。実際お主に会わなければ、あのままもう一度眠っていたはずじゃ」
「……でもあのとき、俺を拒んだだろ?」
「流石に目覚めてすぐ変態が迫ってきたら動じるでしょ。だから我は悪くない」
ライトに言われてそのときを思い出したのか、イデアルは頬を掻きながら微笑を浮かべる。
だがその笑みも長くは続かず。ほんの一瞬だけ空気を軽くしたが、再び顔を曇らせてしまう。
「……なあ、こんな我をどう思う? こんな陰鬱とした話を聞いて我を、厄の前兆たるスライムの魔族を恐れたか? 家の惨状と命の危機を呼び込んだ不幸の原因を、厄介者と追い出したくなったか?」
イデアルは沈んだ表情で、自虐的に、それでも覚悟を決めたとライトの目を見て問う。
答え次第では、きっと彼女はこの夜が明けるよりも前にこの家を去ってしまう。ライトはそんな気がしていながらも、口を開くまでに時間は要さなかった。
「正直に言えばちょっとびっくりした。まさか王族と話す機会が、俺なんぞの人生にもあったんだなってさ」
「……そこなの?」
「まあね。……けど、それだけだよ。転移魔法には驚いたけど、魔大陸なんて存在しか知らない場所から来たと言われてもそうですかとしかなれない。忌み子なんてのも本大陸では聞いたことない話だし、そもそもスライムの魔族なんてイデアルに会わなきゃいるとすら思わなかった」
不安そうな顔を浮かべるイデアル。
そんな彼女をライトはゆっくりと、偽りなく思った通りに答えをイデアルへとぶつける。
ライトは鈍感で人付き合いが苦手だが、それでも何も察せぬほど愚かなわけではない。
目の前の少女が抱く想い、望んでいる優しい答え。それらを完全に察することは出来ずとも、答えれば喜ぶことくらいは何となくでも推測出来はする。
それでも。いや、だからこそ。
この場において、目の前の少女には偽りなく向き合いたい。全てを話してくれた少女に嘘をついてまで共にいるような関係では嫌だと、不思議と思ってしまったのだ。
「俺にとってのイデアルは、ちょっと我が儘だけど、一緒にいて苦にならない同居人……友達……協力者……うーん、いざ言葉にするとこそばゆいし難しいな」
「なんじゃそれは。……それは、お主の夢のためか? 最高の気持ちええとやらの研究のためか?」
「どうだろうな。情と打算、どっちもじゃないか?」
嬉しさと不満、その両方をこもった問いに対し、あまりにも正直過ぎるライトの答え。
困った様に笑いながらの答えを聞き、イデアルは呆れながらも釣られるように笑ってしまう。そこにはもう、先ほどまでの気まずさはどこにもなかった。
「……なあ、我はまだここにいてもいいか? 一緒に生きても、いいのか?」
「こんな家で良いのなら、是非嫌になるまでいてくれ」
「……そうか、そうか。そう言ってくれるなら、好きなだけ甘えるとしよう」
そうしてイデアルは咲いた花のような笑みを浮かべながら、ライトの肩へと寄りかかる。
ライトはそんな少女を微笑を浮かべ、自らもこのまま眠ってしまおうと、先ほどまでの心地良さを思い出しながら目を閉じかけた瞬間だった。
「しかしそうか。まさか気持ちええとは、こういう方向なのか……?」
「……ん? ん?」
「そういえば気持ちええを薬の効果と思っていたが、そういえば師は揉んだり飛び込んだりすると言っていたような気がする。……なんてことだ、勘違いしていた!? 俺は大馬鹿か!? スライムを育てろ、つまり生きたスライムの磨き上げられた感触こそが最高の気持ちええへの道ってことか…!?」
突如、近場に雷でも落ちたみたい飛び起きるライト。
困惑するイデアルをよそに、ぶつぶつとそれはもう早く呟きながら、次第に顔を欲塗れでにやけさせる。
「ふははっ、ははははっ!! 停滞してしばらく、ついに、ついに一歩前進した気がする! ありがとう、ありがとうイデアル! 君は最高のスライムだっ!! ははははっ!!」
「あ、はい……」
「そうと決まればこうしちゃいられない! この感覚を忘れぬうちに次の方針を……ああ、楽しくなってきた……!!」
ライトは喜々としてイデアルの手を掴み、ぶんぶんと振ってからベッドを飛び降りて机に向かう。
急に握られたイデアルは一瞬だけ頬を赤く染めるも、すぐに困惑が勝ったのか、
「もしもーし? ちょっとー、ライトー?」
「ああまともな紙が欲しい!」
「……はあっ。やっぱり変態じゃ、まったく……」
精神が肉体の疲労を凌駕してると、そう言わんばかりの活力で一心不乱にペンを動かすライト。
イデアルはそんなライトにじとりと呆れの目を向けるも、穏やかな微笑みに変え、ベッドの上から熱中しているライトの背中を眺め続ける。
天井の穴から漏れる月の光は、彼らのこれからを祝福するかのように。
ライトが力尽きて眠りに落ちるまで、雲に遮られることはなく、二人だけの夜は更けていった。