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現れた男は

 雨粒の音が嫌なほど伝わる、薄暗い荷台の中。

 僅かに動く度、自らを縛る冷たい手枷と首輪、馬車内へと繋ぎ止める鎖の金属音を部屋に響いた。


「……ああ。我は、捕まったんだな」


 そんな狭い場所にて、先ほど目が覚めた紫肌の人ならざるヒト。

 スライムの魔族であるイデアルは周囲を軽く見回し、少し過去を振り返ったことで、自身が陥っている状況をすぐに察してしまう。


 ライトが買い物に出た数分後、突如家に押し入ってきた黒装束の悪党共。

 扉を破壊してであえて注目させ、屋根から気配を殺しての侵入と強襲。明らかに手慣れた者達の犯行。

 被弾してしまった最初の一矢に魔力を阻害する魔法か毒でも仕込んでいたのか。気付けば眠らされ、こうして無様に捕まってしまったのだと。


 自らを狙ったか、偶然押し入った家にいた小娘を狙ったのか。

 自分以外の被害者。既に涙も声も枯れてしまったのか、絶望を瞳に宿し沈黙する猫人の女性と羽鳥人ハーピーの少年。

 前者は自身の知り合い、片方は知らず。だがここに集まり、囚われている三人の共通点をすぐに察せぬほどイデアルは馬鹿ではない。


 魔族。海と狭間を境にした彼方、魔大陸を血と魂の故郷とする人にしてヒトならざるとされたもの。

 かつての大戦の終わりに、唯一女神プライヤが手を取るべきと示しながら、それでもなお本能が隔たりを生んでしまう異形。

 つまりこれは、恐らくだが魔族だけを狙った者の犯行。魔族を人と思わぬ者による拉致であると、すぐに見当が付いていた。


 抵抗しようと思えば、きっと出来た。

 怒りと敵意を糧に、この身に眠る魔力を放出でもすればきっと退けられた。少なくとも、為す術なく捕縛されるなどという醜態を晒すことはなかったはずだと、他ならぬイデアル自身が一番に理解していた。


 彼女がそれをしなかったのか、ふと思ってしまったからだ。

 この部屋を、住まわせてもらっている寂れながらも温かい彼の家を、彼が積み重ねた研究資料やスライムの一切を消し炭にしてまで生き延びる価値が、果たして自分にあるのだろうかと。


「……報い、じゃな」


 報い。そう、報いだ。

 自らの運命に背いて逃げ出した報い。たまたま出会ったよすがに縋った報い。死ぬべきである忌み子の自分が生きたいと思ってしまった報い。

 全て、全てが自身に返ってきただけに過ぎない。あの日、父の命令にて死ぬはずだった自分が、人の手を借りてまで逃げ出した愚か者に溜まっていたツケが回ってきただけ。


 イデアルに焦りはない。そうなることが分かっていたと、諦めたように一度目を閉じて開いた。


「せめて、逃がしてやらねばな。こんな場所で終わる者など、我一人で十分じゃ」


 荷台は未だ揺れず。恐らくだが、まだ移動を始めてはいないのだろう。

 であればまだ間に合う。街を離れていないのなら、少なくとも二人をこの荷台から逃がすことくらいは出来るはず。己の最期が誰かのためになるなら、躊躇う道理はないと。


 繋ぐ。拘束によって塞がれていた魔力の流れを強引に。

 繋ぐ。自らの内を巡る魔力を暴れさせ、中を壊して道を作り上げ。

 繋ぐ。無理矢理に構築した魔力の道と核を接続し、暴発という形で魔力を行使する。


 イデアルを、そして他二名をも拘束している首輪と手枷に施された効果は二つ。

 人より優れた反面、血の巡りと同等以上に魔力の流れに依存した魔族を無力化する魔力封じ。

 そして精霊や人形といった不確かな器体ファントムボディを使う存在を精神という全身を巡る意志の血脈を固定し、斬り捨てることでの逃走を許さぬ存在固定の魔法。


 この二つの拘束にあえば、いかなる魔族も十全に力を発揮することは叶わない。

 ただし例外はある。イデアルは──スライムの魔族は、他の魔族や精霊と構造が根本で異なる。


 通常の不確かな器体ファントムボディは、血液のように魔力を全身に巡らせて仮初めの肉体を定義するが、イデアルの体は巡る魔力ではなく、他のスライム同様核に依存している。

 つまり体は本質でなく核。人で言えば核と脳の両方に位置する器官、それが健在ならば魔力を起こすこと程度は可能なのだ。


 それでも精神で縛る存在固定の魔法が、大きな枷になるのは事実。

 内にて裂けるスライムの肉は人が肉を裂かれるのと同様の苦痛を生み、本来通らせる道でないが故に暴れ傷つける魔力が心を蝕み続ける。


 そこまでして出来るのは魔力の放出程度。

 だがそれで十分。己を肉体ごと荷台を爆散させれば、運が良ければ二人の逃げ道を作ることが出来る。

 不意を突いて街まで逃げ切れれば、或いは大きな音で誰かが気付いてくれれば、再度拘束されようが間に合うかもしれない。そんな淡い期待に縋るしかない雑な手だけが、今のイデアルが思いつく最善であった。


「そこの二人。上手くいかなかったらすまん、頑張って逃げてくれ」


 瞬間、死を受け入れたイデアルの脳裏を過ぎったのは、こちらに来てからの十数日。

 自分の体を厭らしい目と興味を向けて剝ごうとした、剣の腕が立つ冒険者。

 ちょっと大人びた雰囲気なくせに、夢やスライムを語るときは少年のように純粋で、不器用ながら嫌がることはせずに優しく寄り添おうとしてくれた変わり者。


「……どうせ別れるなら、最期に一言くらい礼を言いたかったな」


 自身の歩んできた、真っ暗な人生の中で最期に灯ったほの明かり。

 結局、彼の伸ばそうとしてくれた手を取れなかったことを心の中で詫びながら。

 イデアルが二人以外の全てを吹き飛ばさんと狙いを定め、力のままに魔力を放出しようとした。



 ──その間際だった。突如荷台の外で大音が鳴り、入り口であろう布が開かれたのは。



「間に合った……いや、間一髪だったというべきか」


 薄暗い荷台の中に現れたのは、真っ黒なポンチョで体を隠した男。

 男は僅かに赤く汚れた剣を片手に持ち、少し息を弾ませながら頭巾を脱いで顔を露わにした。


「……ライト?」

「ああ、迎えに来たぞ、イデアル」


 囚われた三人の前に現れたのはライト。

 赤みがかった茶髪の、初めて心を許した人間。狭いボロ小屋に住まわせてくれて、男女ながら不思議と不快にならずに過ごせた男。最期の言葉すら残せず別れたはずの、死ぬ間際に思い出してしまった者がそこにはいた。


「……遅かったな。我はあと数秒で覚悟完了し、それはもう盛大に自爆するとこだったぞ?」

「なら危ない所だった。同居人の死体なんて、俺は見たくないからな」


 わざとらしい軽口を叩きながら、はち切れんばかりに膨れあがろうとしていた魔力は収縮させるイデアル。

 鎖に繋がれながらも言葉を返せるほど健在な姿を見て、ライトは少なくとも、この十数日で初めてイデアルへ見せたであろう安堵の微笑をもらした。


 手に持つ剣で鎖を斬り、イデアルを解放するライト。

 残り二人の鎖も斬ろうと動こうとしたライトだが、冷たく柔らかい感触が背に被さってくる。


「……イデアル?」

「少しだけ、こうさせてくれ」


 体を少し震えながら、ライトへ抱きついたイデアル。

 ライトはその抱擁を振り払うことなく、彼女が満足するまでの間その場に佇み続けた。


「……情けない所を見せたな。それでこいつら、何者じゃ?」

「魔族狩りなんて名付けられた人攫い集団だ。数はちょうど三人。全員無事……とはいかないか」


 何秒か、何十秒か。

 誰も数えていない、段々と弱まっている雨音のみを音にしながら抱きしめ続けたイデアルは、少し頬を赤く染めながらも離れていき、ライトは残り二人の解放を行っていく。


 助けが来てもなお目に光は戻らず、心ここにあらずといった猫人と羽鳥人ハーピー

 特に酷いのは猫人の方。性別もあるのだろう、最初に攫われた少年よりも多く、青痣や擦り傷が所々に点在してしまっている。

 心のケアなど出来ない自分に歯を食いしばりながらも、ライトは羽織っていた黒のポンチョを猫人に被せ、鞄から瓶を取り出して中身の薄緑の液体を猫人の口へと注いでいく。


「何じゃ、魔法薬ポーションか?」

「ああ。加熱消毒した透明なスライムの体に複数の薬草、魔法水を混ぜて熟成させた自家製だ。お前の体を足した改良版もあるんだが、あっちはまだ安全性の保証が出来てなくてな。近々実験してみるつもりだが……お前も飲むか?」

「飲まん。何だかなぁ……そういう生々しいのは聞きたくなかったなぁ。なんかこう色々と雰囲気が台無しじゃ……」


 げんなりとするイデアルをよそに、羽鳥人ハーピーの少年にも飲ませるライト。

 その後イデアルにも手伝ってもらい、ひとまずの応急処置を済ませた二人。

 だがあとは脱出だけと言った所で、ライトは何かに気付いたように気配を鋭くしながら再び剣を抜いた。


「少し待っていてくれ。一つ、片付けなければならないことがある」

「……一人で大丈夫か?」

「もちろんだ。イデアル、二人のこと任せた」


 イデアルに二人を任せ、ライトは荷台の外へと出る。

 馬車の荷台の外ではほとんど雨は止んでおり、外は雨粒なき静けさを取り戻している。



「あれ、どういうことだい? この光景は少し予想外だな」



 そんな外──ゴルザ北門付近にて、大剣を携えながら銀髪の男の声が響いた。


「……一足遅かったな。バルス」

「やあライト。困るんだよなぁ。俺はあんなにも優しく丁寧に、君が一番行くべき場所を教えてあげたと思うんだけど」

「友人がある冒険者の悪事について教えてくれてな。……イデアルまで欲張ったのは失敗だったな」


 多少の戸惑いを顔に出しながらも、いつも通りな気さくさで話しかけるバルス。

 周囲で倒れる黒装束達。そしてライトの奥にある馬車を目にしてすぐ、バルスは困ったようにため息を吐いてしまう。

 冒険者。それも等級Bの、ゴルザでも信頼の厚い実力者。

 ライトは余裕を崩さない同僚を前に、決して警戒を緩めず、歓迎の代わりに剣先を向けながら構えた。


「攫い屋共も全滅……やれやれ、随分大口叩いておいて軟弱な連中だね。おかげで手を回してやった脱出経路が無駄になったじゃないか」

「……なんでだ? お前ほどの男が、何故こんな馬鹿な真似を?」

「馬鹿な真似とは心外だな。魔族なんてのは俺達に害しかもたらさない、人の形をしただけ化け物だ。そんなやつらが暴れ出す前に対応するのは、ゴルザを愛する冒険者として当然の務めだとは思わないかい?」


 ライトの態度に隠す意味などないと踏んだのか、問われたことへ正直に話し始めるバルス。

 非道を語っているというのに、バルスの言葉に悪意などなく。

 息をするみたいな当たり前と。食事をし、睡眠を取るのは生きるために当然だと言うかのような平然さだった。


「……違うな。お前が魔族を嫌いなだけじゃないのか?」

「嫌い、か。それは少し違うね。俺は魔族を人と思わない、そういう風に育っただけだよ」


 彼の言葉にライトは察する。この男は、本心からそう思い行動しているに過ぎないのだと。

 冒険者であれば、異なる思想を持つことはあるだろう。──故に語る意味も必要は、もうない。


「さて、誰にも知られず処理したかったが仕方がない。攫い屋集団“魔族狩り”は一足先に来た冒険者との交戦の果てに全滅、だが死に際の抵抗によって商品と勇んだ冒険者は手遅れだった。そういう筋書きでこの件は決着……即興にしては、上出来だとは思わないかい?」

「下らない三文芝居だな。……バルス、これ以上罪を重ねるのは止めるんだ。例え俺達の口を封じようと、冒険役場ギルドはもうお前の悪行を把握している。逃げ場はないぞ」

「そうか、ならば仕方ない。こんな形でゴルザを離れるのは遺憾だが、早々にヴァリオールから出るとしよう。おお困った、これでは尚更見逃せなくなってしまったね」


 戯けた声色で話しながら、バルスは背負っていた大剣を構える。

 ライトもまた、これ以上話すことなどないと示すかのように、目を鋭くして強く剣を握り直す。


「おいおい、まさか俺に勝つつもりかい? 等級の差は実力の差、お前だって知ってるだろ?」

「そうだな。だがそこには例外があるのも知っているよ」


 バルスの言うことは、冒険者ならば誰もが知る常識だ。

 等級の差。依頼に提示される推奨等級とは異なり、冒険役場ギルドが正式に定めた実力の差に他ならない。

 ライトは等級C、対してバルスが持つ等級はB。一つ違えば、文字通り実力違い。それが等級なのだ。


 見合った直後、バルスは力を込めて大剣を横に薙ぐ。

 振るわれた魔力伴った刃は解き放たれ、弧を描い空中を迸り、瞬く間にライトの下へ辿り着く。

 それこそが飛剣。バルスの力の象徴、通り名の由来とされる必殺剣技であった。


「間合いなんて関係ないからこその飛剣。安心してくれ、過度に苦しまないよう……はっ?」


 だが飛剣の軌道に立ち、回避も間に合わず抵抗も不可能。

 故に勝負は付いたと、当たり前と言わんばかりに慈悲の言葉を述べようとしたバルス。

 だが握る剣ごと両断されるはずだったライトは、何事もないかのようにその場へ健在であった。


「な、なにをした……!? どうやって小細工をした、ライトっ!!」

「斬った。それだけだよ」

「そんな馬鹿な、あり得ないッ!!」


 仰天しながら、今度は連続で剣を振り続ける。

 数は増えながら、先ほどのに比べて何ら遜色ない飛剣の連続。


 ──それでもライトには、その奥の馬車には届くことはなく。

 ライトの振るう、疾く、鋭く、されど荒々しさを欠片も出さない静謐な剣によって断ち切られていた。


 この場で名は語られぬが、それはかつてライトが剣の師から習った剣技の一つ。

 物の核を見極め、ぶれぬ太刀筋で斬り捨てる。斬れぬものなどない、この世で最も優しくも鋭い剣筋。

 第四剣、露払い。極めればこの世で最も硬いとされる、オリハルコンすら撫で斬れるとされた柔の極意である。


「な、馬鹿なっ……!! 俺の飛剣は竜の鱗さえ裂く、あの剣聖と同じ技なんだぞ……!? ライト、お前はスライムばかり狩ってるだけの等級Cだろう……!?」

「そうだな。だが、スライムしか狩れないとは誰も言ってないぞ。……ところでバルス。お前の飛剣は魔力を刃に纏わせ、形を持たせて飛ばす斬撃だったな?」

「く、くそっ……!!」


 無情に斬り捨てられる自身の必殺剣を前に、焦燥を隠せず声を荒げるバルス。


 放った剣は大飛剣。飛剣のバルスの最高威力、全力振りの一刀。

 彼の言葉どおり、かつて小型とはいえ、強靱なる竜の鱗すら直接斬りつけることなく裂いた剣。

 鋭さ、速さ共に先ほどまでの飛剣とは比較にならず。同じように弾けば、待つのは自らの剣が負けて命ごと断たれる未来のみ。


 ──ただし斬ろうとしている相手ライトが同じ対応をすれば、だが。


「がはっ、今のはっ……」

「第二剣、翔鳥とぶとり。……残念だがバルス、剣聖のは魔力なしの斬撃。お前のとはレベルが違うよ」


 ライトに振るわれた一刀。飛剣は墜ち、バルスは斬り捨てられて地に伏せる。

 第二剣、翔鳥とぶとり

 どこまで空を翔る鳥が如き不可視の斬撃。極まれば雨雲さえ割るとされた、この世でももっとも非合理な飛び道具。その一撃にて、一度も鍔競り合うことなく戦いに決着はついた。


「お、終わったのか……?」

「ああ。さあ帰ろう。ほらっ、ちょうど雨も止んできた──」


 様子を見に顔を出したイデアルに、ライトはもう問題ないと告げながら剣を収める。

 戦闘故に剣を握っていた腕を飛ばしはしたが、これ以上を裁くのは街の法の役目。

 冒険者の俺が出来るのはここまでだと、バルスの止血に取りかかろうと鞄に手を入れようとした。



「お見事お見事。斬撃を飛ばすとは、中々やるじゃねえか。人間の剣士」



 ──その瞬間だった。

 パチパチと、小気味好く響き続ける拍手の音と共に、空から一人の男が降りてきたのは。


 ライトに剣を抜かせたのは思考ではなく、それより早い直感と防衛本能。

 全身を総毛立たせ、冷や汗を滲ませながら、目の前に現れた男へ全霊の警戒を向けさせた。


 背から翼を、臀部から尻尾を生やす、執事服を着こなした青肌の魔族。

 だが容姿や服装など、ライトが恐れるのはそんな所ではない。

 存在。青肌の魔族が発する、そこにいるだけで空気を歪ませ、人に死以上の絶望を与える力の片鱗。


 剣の師。村を焼いた夜の竜。その竜を一人で討った幼馴染。

 ライトの人生にて相対したいくつかの理不尽と常識外をも遙かに凌ぐ、最強が目の前の男だと。


「何者だ。魔族か?」

「答える義理もねえ。それに俺のことは、後ろのイデアルお嬢さまがよーく知ってるはずだぜ?」


 臆そうとしていた自分を口内を噛み、何とか持ち直して尋ねるライト。

 青肌の魔族は軽い調子で笑みを浮かべながら、ライトの奥──呆然と震えるイデアルへと目を向ける。


「う、うそっ……。ば、バトラー……?」

「その通りでございます。このバトラー、魔王陛下の命の下、遙々魔大陸よりはせ参じました。──また会えて嬉しいぜ、追放された第五の王女様?」


 実に磨かれた、仕える者として一流だと見て取れるほど優雅な一礼。

 そんな礼を軽々としてのけた青肌の魔族──バトラーは、二人を前に野性的な笑みを浮かべた。

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